40-03
囚われの身でありながら、括約筋がまともに機能していることだけで感謝すべきだ 03
唐突に視界が開け、植物の勢力が嘘のように引いた場所に「黄金城」があった。
城門の上には水晶が掲げられていて、クレインが通りかかった際、一瞬だけ青色に点滅した。
「南……ヴァルドラン大陸、龍族か?」
足を止めたクレインを一瞥し、スピリトは構わずに先を続けた。「そう、そこのもっと南に、『聖魔殿』が建てられていたはずですが……ん~、不死族なら......」
城に入った。夕刻でもないのに、街全体が蜂蜜のような光を放っている。建物は精緻な金細工で覆われ、水晶が埋め込まれた街路がどこまでも続いていた。寓話の中に迷い込んだかのようなその輝きに、クレインは一瞬だけ、胸を締め付けていた緊張が緩むのを感じた。
空城のように妖精をどこでも見かけないことに戸惑っていたクレインだったが、不意に耳に届いた歓声に、背筋は即座に凍りついた。
「sdなおおtん。ほいえお、ほいえおjc」
「ふふ、mおえいhlぢファおk? jwお、mp」
露天席に座っているのは、尖った耳と人間離れした美貌を持つ妖精族たちだ。妖精たちは互いに語らい合うように、聞いたこともない不規則な発音の言語を操り、蕩けるような笑みを浮かべている。
しかし、その傍らに繋がれている「モノ」を見た瞬間、クレインは息を止めた。
それは、自分と同じ「人間」の姿だった。
一人の少女が首輪をつけられ、空虚な瞳で妖精に抱かれている。
「!?」
少女はクレインの存在に気づいたのか、じっと不気味なまでの微笑みを湛えたまま、彼に向かって小さく手を振った。
「なあ! 君! なあ! 言葉、わかるよね?」
「……えっ、あ」クレインは戸惑いながらも、反射的に頷いた。
「やっぱり、そうだと思ったよ!」クレインの肯定を聞いて、少女の表情がさらにぱっと明るくなった。「こいつら、人の話がまったく分からないみたいでさぁ」
彼女は手すりに半身を預け、親しげにニコニコと話しかけてくる。その間も、妖精は仲間との談笑の合間に、愛犬を慈しむかのような手つきで彼女の頭を優しく撫でていた。
「知ってる? 私、航空会社の内定をもらったんだよね! やっと、やっとCAになれたの!」
少女が弾んだ声でそう告げると、妖精は何かを囁きながら、身を乗り出しすぎた彼女をそっと手すりから引き離した。そして、よく言い聞かせるように、またその頭をポンポンと叩いた。
それでも彼女は手すりにしがみついたまま、無邪気な笑みを絶やさずに言葉を繋いだ。
「今は入社前の旅行中なんだぁ! ……あ、もう戻るたい。またね~!」
その声は極めて高揚していて、心からはしゃいでいるように聞こえた。にもかかわらず、クレインの背筋には、凍り付くようなおぞましい寒気が走り抜けていた。
「映画、の、……記憶」
スピリトの護衛が、人族の言葉をうまく話せないかのように断片的にそう言葉を紡ぐと、クレインを先へ進むよう促した。
それまで、クレインはあの方角を呆然と見つめたまま、どれほどの時間が立ち尽くしていたのか、彼には見当もつかなかった。
「それ、気にしないほうがいいですよ」スピリトも先ほどの彼女の方を見てから、そう話して、興味なさそうに歩み続けた。
「ちが……違うだろう!」クレインは咄嗟にスピリトを掴んだ。その瞳には動揺と恐怖が満ちていた。「あの人……誰かに似てるって思ったけど……」
スピリトは掴まれた箇所に目をやり、それからクレインを見た。「クレイン殿下は困惑しているようですね」
そして、クレインの次の言葉を知っているかのように、平然とした顔で答えた。「先のは『ちょっとだけ大人にした海唯さん』です」
「……どういう意味だ?」クレインは指に力を込めた。
スピリトは「ふっ」と冷笑し、クレインの手を振りほどいて話した。「精霊魔法――肉体創造、ですよ」
そう言いながら、スピリトは歩みを続けた。
「もちろん、ただの肉体で『生命』を吹き込むことなんてできませんが、『記憶』を入れることならできます」
「いやいや! さっきから、何を言ってるのかさっぱり分からない!」クレインは怒鳴って後を追ったが、なぜかどうしてもスピリトに近づけない。
足元をよく見れば、スピリトは僅かな距離を浮いて進んでいるのがわかるのだが、あいにくそれを知ったところで何の意味もなかった。そもそも、今のクレインにはそれに気づく余裕さえなかった。
「ええ、お言葉通りですよ」スピリトはいつも通りの口調で答えた。「『体』は作られたモノで、『中身』は入れられた記憶です。んー、不死族とはそういったモノですよ~」
「海唯は『不死族』なのか!?」
「ああ、海唯さんの場合は全くの別物ですよ。そうですね、『映画の内容』に近いものです」
「……えいが?」
「舞台劇のような娯楽の一種です。本当に『本人の記憶』を入れた個体は、皆自害してしまいましたので」
「……なんで?」
「さあ、そこまでは分かりませんね」スピリトは肩をすくめた。「『記憶』を入れたのはディ・コルジャアダなので、仕組みなど......知っても教えてあげないです~」
「はあ!? いや! 待て!」クレインは頭をぐしゃぐしゃして、またスピリトを掴んだ。彼は何もかもが理解に追いつかない様子でさらに問いかけた。「それってつまり、海唯は、そのディ・コルジャアダって人に作られた人ってことか? ……」
「クレイン殿下、勝手についてきたくせに、質問が多いですね」スピリトはため息をついたが、先ほどの城門での水晶の反応を思い返して、結局、彼に答えた。「人ではありませんよ」
「海唯は人間じゃないの!?」
「……」スピリトは白目をむいて、馬鹿を見ているような目でクレインを見た。「ディ・コルジャアダは、最初の妖精王です」
「最初の?」
「ええ、そうです。もっとも馬鹿げた堕ち方ですよ。『不殺の王』が『殺し』をするなんて、何を考えているのやら」
そこまで話して、スピリトはまた鼻で笑ってから、もう一度クレインの手を払ったら護衛のほうへ睨みつけた。。
「ああ、クレイン殿下は質問が多いですから……では、話を戻しますが、小生はこの前もヴァルドラン大陸に行きましたが、『聖魔殿』はいませんでした。龍族はまだ眠っているようで尋ねようもありませんね」
スピリトは依然として、クレインを構わずに話を続けた。
「龍王はとっくに殺されたので、やはり要は『龍王の片目』です。このご時世に眠りから覚めたのは『半龍』しかいないので、それがそうでしょう」
またしばらく歩くと、クレインは宝石をあしらった豪華な庭の中で、微笑みながら踊らされている少女を見かけた。
彼より年下のように見えたが、先ほど見かけたのと同じく、どこか海唯の面影があった。
妖精たちはそれらを慈しむように撫で、時に飴玉を与え、時に着せ替え人形のように衣服を何度も取り替えている。
クレインがまた顔色を真っ青にして足を止めていると、スピリトの護衛が再び彼を押した。
「魔族の王が『龍王の片目』を探していますね」
「前代が残した面倒事は、本当に多すぎますよ。やはり、閉じ込めておくのが正解ですね」
「不死族の臆病者たちはどうでもいいですが、魔族の王は……ん?」
スピリトの話はもはや耳に入らないほど、クレインは魂を失くしたかのように呆然と歩む。先ほどまで自分が何を返事していたのかすら思い出せない。
「いいえ。気に留めるべき問題は、オルデイネ・ウ・ノウフォがなぜ『聖魔殿』を欲しているのか、ですよ」
黄金に輝く美しい街並みと、その中で繰り広げられる倒錯した歓楽。壊れたビルを呑み込む森の異常さよりも、先ほどの光景のほうが、よほどクレインを戦慄させた。
「……っ」喉の奥までせり上がった嘔吐感を、彼はかろうじて飲み込む。
その様子を愉しげに眺めていたスピリトが、冷ややかな声を響かせた。「どうしたんです? 勝手についてきて、今更後悔したのでしょうか、クレイン・ハーディス殿下」
黄金の輝きは、どこか言いようのない不気味さを帯びて見えた。クレインは頭が痛そうにふらついて、自分が立っている場所が、正気と狂気の境界線ですらないことを思った。
その時、また一人の妖精が見かけた。その妖精もこちらに気づき、無邪気に手を振った。その瞳には、新しく迷い込んできた珍しい「愛玩動物」への、恐ろしいほど純粋な好奇心が宿っている。
「妖精王の寵物に手を出す愚か者がいるみたいですね?」スピリトはその妖精を見て、何気ない口調でそう言った。
すると、その妖精は「ちっ」と舌打ちしてどこかへ離れていった。
「……『千年戦争を終わらせた妖精王はようやく仮面を下ろした。しかし、その者が妖精王であることを、誰も認めない』」クレインは王室書庫で読んだ数多の本の中で、なぜか急にこの言葉を思い出した。
おや? ネーフェ・ゴットの著作ですか。スピリトは、クレインが詠み上げた言葉を聞いて、数十年前の光景を思い浮かべた。
あれは、人族の書庫で、一人の女性が何時間も窓際に座り、何かを書いていた。
スピリトには彼女の後ろ姿しか記憶にない。ネーフェ・ゴットという名前で、「大賢者さま」と呼ばれていること以外、彼女のことを何も知らない。
元々人族に対して興味を抱かないスピリトだが、不意にその後ろ姿越しに、彼女が書いているものを見た。
妖精文字で書かれたその分厚い本の名前は『ネーフェの目録』という。
それに気づかれて、スピリトは彼女に話しかけられた。彼女には、本棚を満たすほどの著作があった。指し示された方向に、スピリトは適当に目をやったが、そのどれもが妖精文字で書かれていた。
なぜか、と問うと、ネーフェ・ゴットはいたずらっぽく笑い、こう答えた。
『知ろうとする人を待っています』
彼女の答えを思い出したせいか、スピリトは初めて自分から問いかけた。「ネーフェの著作を解読して、読んでいたんですか?」
「?……」どうして急にそんなことを聞かれたのか分からなかったが、クレインは素直に答えた。「そうだが……」
肯定の答えがハモった。
「ふっ、ふふふ」しばらく笑うと、スピリトは髪をすくい、耳にかけている水晶を外して、護衛に投げかけた。
それで、先ほどスピリトが話していた難解な話のすべてが、自分に向けて話されたものではなかったのだと、クレインはようやく気づいた。
彼の顔にぶわっと赤みが差し、穴があれば入りたいほどだ。




