対処してみた
動画撮影をTAKE1で終えた恵子は、動画での通話状態を続けたまま『担任に電話をする』夫を見守っていた。
自分の名前を名乗り、自分の気持ちそのままにいじめを訴える夫は、少し感情が先走っているようにも思えた。
だが、誰が聞いても、それはまさしく『いじめられたその日に担任に電話する父親』そのものであっただろう。
まぁ、演技でもなんでもない楽な仕事なのだが。
でも、やっぱり...
恵子(壊)の提案そのままに使ったメールアドレス『mitapapa-to-mitamanma-lovelove@......』は、場の雰囲気をぶっ壊してしまうのでは、と少しヒヤヒヤした恵子であった。
午後9時半。
満を持して『猫を飼ってみた』動画を投稿する。
登録者数は順調に増え続けており、あと1週間もあれば目標の10万人に到達するだろう。
それでも投稿した理由はひとつ、『ケト』という名前を出すため。
今後、中津江将太を誘拐、軟禁したら、警察の捜査が入るだろう。ここまでの準備で使った、『ケト』というユーザー名とケッチャンを結びつけるためであった。
だから、『結局、最後は猫頼みかよw』と思わないでほしい。
ていうか、猫を被っている時点で、最初から猫に頼っているのだ。
10月3日、土曜日。
午前2時、いかにも怪しい、真っ黒い出で立ちの夫が、空き家へと帰ってきた。
冷凍庫に籠る息子だけを自宅に残し、2人はまたしばらく、空き家での生活を続けることになる。
10月4日、日曜日。
午前9時、夫の携帯電話が鳴った。息子の担任の先生からだった。
録音ボタンを押し、念のためパソコンのカメラでの撮影もしながら、通話を開始する。
学校が下した、いじめっこ3人への処罰、それは『1か月間の停学処分』であった。
本当は息子を死へと追いやった3人であるのだが、表向きはただのモノ盗りなのだ。仕方がないだろう。
当然だが、前回盗んだモノも含め、全てが返品されるというので、担任には空き家の住所を伝えた。
10月7日、水曜日。
全ての盗品が返されたことを確認すると、夫は、荷物の送り主に電話をかけた。
弁護士を装った夫から、
『依頼主の富田様から、損害賠償の請求について話をするよう、依頼されている』
『今週の土曜日、10月10日に訪問したい。都合の良い時間を教えてほしい』
と伝えると、3家族とも午前中であれば都合が良いと言うので、わかりやすく、アーベーツェーの順に9時、10時、11時に訪問することにした。
10月10日、土曜日。
午前8時45分、弁護士を装った夫が、いじめっこ宅へと向かった。
ここ半年間、2人は法律、特にいじめに関することを勉強した。また、いじめに詳しい弁護士に実際に相談するなどして、対処法を熟考していた。
世間体と真面目さだけが自慢の夫だから、きっと問題無く、いじめっことその両親を脅してくるだろう。
そういえば、整形で少しイケメンになったから、先ほどの自慢に『見た目』も追加しておこう。
12時過ぎ、コンビニ弁当を手に夫が帰宅した。
ようやく見慣れてきたイケメンの夫がニコニコ顔をしているので、どうやらうまくいったようだ。
『中津江家がヤンチャだった』というネタバレを含む概要を聞きながら、録ってきた音声を聞かせてもらう。
「いじめられるほうが悪い、だと?クソ野郎が。でも、これで心置きなく誘拐できるね!」
口は悪いが、恵子(壊)の言い分はもっともだった。
中津江将太の誘拐、そして軟禁は、我々が犯す罪の中で最も重いもの。多少の不安と躊躇いを抱えていたのだが、少年の言葉は、それらをきれいさっぱり消してくれた。
いや、むしろ早く誘拐したい!という気持ちを抱かせてくれたのであった。
10月16日、金曜日。
午後8時半、ケッチャンネルの登録者数を確認すると、『106,101人』と、目標数を超えていた。
先週の時点で目標を達成できていたのだが、計画どおり、いじめの2週間後に生配信することにしていた。
午後9時25分。
生配信まで、あと5分を切った。
1階のリビングに移動した夫は、あとは配信を観るだけなのだが、かなり緊張している様子だった。
そんな中、すでに猫を被り、あとは配信ボタンを押すだけの恵子は、恵子(壊)といつもどおりガールズトークを繰り広げていた。
「大丈夫かなぁ...あぁ、心配だわ。あたしが生配信なんかしちゃったら、本当にケイコ教団ができちゃうんじゃない?」
「その教団の教えが『いじめは良くない』ならいいけど」
「ふんっ、小さいわね!あたしが教えるのは『いじめる方が悪いに決まっている』よ!」
「いや、あんまり変わらないし。でもその教えには賛成」
「あっ、でもさ、相手が喜ぶいじめなら悪くないか...例えば鞭とかロウソクで」
「はい、5秒前、4、3、2、1...」
午後9時半。
恵子(壊)の生配信が開始された。
登録者を増やしたおかげか、配信を終えるまでの視聴者数は6万人を超えていた。
「おいっ、残り4万人の登録者は何処?」
と、恵子(壊)がぼやいていたが、リアルタイムでこの人数なら十分だろう。
あとは、動画として残るから、目標としていた『100万人以上に視聴される』の達成も十分あり得る。
そのために、半年間も準備してきたのだから。
10月21日、水曜日。
午前3時、恵子(壊)のテンションが高まっていたその時だった。
自宅の監視カメラ映像を常時映しているパソコン画面が赤く光っていた。
寝室に向かい夫を起こすと、一緒に映像を確認する。
赤く光るのが『火』であるとわかったが、しかしすぐに消えていく。
防火、耐火仕様の外壁が燃えるはずが無く、スプリンクラーが作動したのであろう。
4時になるのを待ち、データとして保存された1時間分の映像を確認し始める。
3時4分、正面の道路に現れた赤い光が、家へと一直線に走るのが確認された。
外壁に設置したカメラ映像を観ると、自転車に乗った人物が何かを投げる姿を捉えていた。
自宅の正面側の市道には、もともとは外灯と呼ばれるものが設置されていなかったのだが、防犯工事で、敷地内ギリギリに防犯灯を設置していた。
その灯りが照らしたその人物は、『中津江将太』であった。
「なに?わざわざ罪を重ねてくれたの?...よし、軟禁環境をより良くしてやるとしよう。ゲームとか、漫画とか、いっぱい用意しとくからね!期待して待っててね!」
10月23日、金曜日。
午後8時半、ケッチャンネルの登録者数を確認してみる。
1週間前、10万人を超えて喜んでいたその数は、なんと200万人を超えていた。
そして、動画の視聴回数はなんと、1千万回を超えていたのであった。
「バズったわー。教団できたんじゃない?ほらっ、コメントに『神!』ってあるよ?」
「教団つくるっていう目標は無いからね?」
「しかし、みんなの素性バレちゃったねー。あの人が頑張って編集したのに」
「そりゃ、登校したのが10月2日って言ってて、10月5日にとある高校で3人が停学処分になってたら、気づくよね。まぁ、本当は素顔晒したいくらいだったし、隠す気は無かったけどね」
「さてさて、今日の生配信終わったらどうなるかなー!もうさ、あいつら、外なんて出歩けなくなるよね?でも、少なくとも中津江将太はちゃんと学校行きそう。あれは大物だ!」
「興味無いわ。とりあえず誘拐するときに生きててくれれば良し」
「あなた、なんかあたしより口悪くなってない?」
「そりゃこんだけ話してれば感染るわ...はい、5秒前、4」
「えーっ、今度は10秒前からカウントしてって言ったよねー?ちょっとーっ!
10月23日の日曜日、午後9時半、ケッチャンネルを御視聴のみなさん、こんばんわー!ケッチャンです。」
午後9時半。
恵子(壊)の2回目の生配信が始まった。
夫が頑張って編集した『対処動画』を流し終えると、恵子(壊)は、これから『自殺する』ことを宣言する。
そして、恵子(壊)は、最初で最後の真面目話をした。
後に語り継がれる、スーパーウルトラマジメケイコである。
というのは冗談だが、実際、このときに喋ったのが恵子(壊)だったのか、恵子本人だったのか、恵子は今でも思い出すことができない。
予定どおり、恵子(壊)が、自殺までの5分間の準備時間をつくると、作成しておいた動画を流した。
真っ黒い画面にカウントダウンだけが表示される画面から始まったその動画。
カウントが0秒を表示すると、恵介が映し出された。
半年前の、息子の自殺動画である。
何度も観たその映像。
マイク機能が既に機能していないパソコン画面に向かい、恵子(壊)は、またしても息子に声をかけていた。
この動画で、恵介の自殺を最後に、世の中のいじめが無くなってほしい。
恵子は、ただ、それだけを強く望んだ。
「いじめは無くならないよ。でも、これで自殺する人が1人でも減ったら。それだけで、いいよね」
恵子(壊)のぶっきらぼうで、優しい言葉が、恵子を包み込んだ。
11月6日、金曜日。
午後11時半、2人は、中津江家に設置し続けている監視カメラの映像を観ていた。
真っ暗なリビング、そして寝室の映像がずっと映し出されている。ずっと観ているが、父親の大悟が帰宅した様子は見られない。
ここ1か月、2人は大悟の行動を監視していた。
すると、ほぼ毎週、金曜日には帰宅しないことがわかった。愛人、それか別の女とイチャイチャしているのであろう。
帰宅するのは、いつも次の日の午前11時頃だった。
午前2時まで待機すると、夫は近くの月極め駐車場に向かい、駐車していた車に乗り込むと、中津江家へ向かった。
家を出て約40分後、『これから中津江家を出る』という、夫からの電話を受けた恵子は、大荷物を手に空き家を出た。
久しぶりの外の空気の中、自宅へと歩く。
空き家の契約は、11月7日土曜日、今日までとしていた。
当日は所用があるとして、家の鍵はリビングのテーブルの上に置いておき、手続きは郵送でのやり取りで既に済ませていた。
いじめ現場の撮影のために設置したカメラは、当日のうちに既に撤去していた。
動画上、『富田家が仮住まいする』としていたので、生活していた痕跡等は気にしなくてもいい。
カメラとパソコン、猫の被り物、そして最低限持ち込んでいた衣服を入れた袋だけ、持ち出した。
6分後、自宅に着いた。
防犯灯が作動しないよう、遠隔操作済みであった。
玄関には既に起爆装置が設置してあるため、裏口から出入りする。
当然ながら裏口の戸も厳重であり、3か所の鍵を開ける必要があった。
中に入ると、戸を開けたまま、暗闇の中で夫を待つ。
電気自動車の静かな停止音を聞くと、車に向かい、トランクに入った大きなキャリーケースを一緒に家の中へと運んだ。
リビングで中身の少年と携帯電話を取り出すと、ソファに置き、夫は車を戻すためにキャリーケースを持って外に出た。
恵子は、少年の携帯電話の電源を入れると、カメラを起動し、ソファの上に寝かせた少年の写真を撮影した。
その傍らには猫の被り物を写り込ませていた。
メッセージアプリを起動すると、いじめっこ達のグループトークを探し、他の2名に先ほどの写真を送信する。
続け様に、
『次はお前らだ』
『安心しろ、殺しはしない』
とメッセージを送ると、電源をオフにして自分のポケットに入れた。
約10分後、夫が帰宅した。
ソファに寝る少年を一瞬だけ確認すると、恵子と共に2階の真ん中の部屋に入った。
「うまくいったね」
「あぁ。全然起きそうな気配無かったぞ。こんなに薬が効くなんてな」
中津江将太を眠らせる、あるいは気を失わせる手段として、最初は、クロロホルムを染み込ませた布で口を覆うとか、催眠ガスを充満させるとか、よくアニメとか小説で聞くものを考えた。
だが、いずれも現実的でない手法であり、そもそも入手ができそうになかったのだ。
そこで、処方されるもののうち、比較的強力な睡眠薬を使うことにした。
これも監視カメラで知ったことだが、中津江将太が父親のお酒を隠れて飲んでいることに気づいた。
そこで、昨日、金曜日の日中、家に誰もいないことを確認すると、夫は仁井田から空き家に返却された鍵を使い、普通に玄関から侵入。こっそり飲んでいるウイスキーを、薬を仕込んだものへとすり替えた。
念のため、冷蔵庫に入っていたペットボトル水や、カップ麺をつくるためにお湯をわかすであろうケトル等にも薬を入れておいた。
「結局、薬入れたやつ、全部飲んでくれたな」
「そう、ね。一応処方されたやつだし、後遺症は無いと思うけど、あんなに摂取して大丈夫かな。まぁ、後のことは興味ないからいいけど」
午前4時。
2人は、息子の部屋で最後の交わりを終えた。
計画どおり、夫は先に地獄に行くことにする。
夫が睡眠薬を水で流し飲んだのは、約30分前のことだった。効果が現れてきたらしい。
2人は口づけを交わす。
おそらくこれが最後だろう。まぁ、死んだ夫に、恵子が一方的にすることはできるのだが。
「あなた、何か言い残すことはある?」
「やりたいことは全部やったし言いたいことは全部言ったよ」
「じゃあ、わたしから。ねぇ、言ってもいい?」
「いや、ここで聞かなかったら、もう聞けないんだけど」
「ふふっ。あ、これはわたし、壊れてない方だからね。
えっと、たぶん、ていうかほぼ確実なんだけど、今、『5か月目』なの。
地獄で出産って、大変かな。
ねぇ、名前考えといてね。性別はわからないから、どっちともとれるやつがいいかな」
夫は、恵子(壊)が初めて現れたときの、『あの表情』をした。
「その表情も3回目だね。ごめんね、わたし、ぶっ壊れちゃって」
「...地獄で出産か。ほんと面白いな、恵子は。その明るさに、何回助けられたかわからない。
恵介の性格、お前に似れば良かったのにな。
あっ、最後に言っておくけど。
恵子、ぶっ壊れたって言ってるけど、前とそんなに変わってないよ。
あと、俺の『あの表情』ってやつ?恵子に見せるのは、3回目じゃないんだけど。あぁ、これはどうでもいい、か」
夫よ、最後に気になることを言うんじゃない。
え?もともとのわたしが恵子(壊)で、今のわたしが新たな人格ってこと?
何それ、あーっ、でも今こんな雰囲気で聞けないわー。
「じゃあ、そろそろ、お別れかな。恵子、そして恵介。愛してる。今までありがとう」
「うん、わたしも、ずっと、愛してる。じゃあ、おやすみ」
夫は安らかに、眠りに就いた。
だが、このままでは数時間後、普通に起床してしまい、また『おはよう』からの繰り返しだ。
恵子はクローゼットから縄を取り出した。
息子が首を吊るときに使ったものだ。
夫を天井から吊り下げるのは難しい。
恵子は、夫の首に巻き付けた縄をベッドボードにかけた。
滑車の原理で、ベッドの上でうつ伏せで寝ている夫の首を持ち上げると、マットレスから5センチほど浮かせた。
安らかな顔が少し、苦悶の表情へと変わり、呼吸が失われた夫の口からは、うなり声が漏れた。
数分後、夫は動かないモノへと変わった。
エアコンで冷えきった部屋に、恵子1人だけが残った。
でも、夫も、息子も、ただ動かないだけで、ここにいる。
恵子(壊)だっている。淋しくはない。
それに、もう少しでわたしも後を追うのだから。
そう、もう少しで。
...だよね?頼みますよ?警察の方々?




