20-3 罠 (後編)
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今にも飛び出したい自分を、抑え込むのに苦労した。
私はリンの説得を受け入れて、日が暮れる前、木の陰に隠れていた。リンもすぐ横にいる。
周囲に闇が降りて、家の中にかすかに明かりがある。それが外の闇に線のように伸びているのだ。
ミラには見張りも何も付いていない。
それが不安を大きくさせる。見張りも必要ない、ということは、生きていないということかもしれなかった。
「僕が様子を伺いってくる。ここで待っていて欲しい」
十分に闇が周囲に満ちてから、リンが私の耳元で言う。私は頷くしかなかった。
口の中がカラカラに乾いている。
スゥッとリンが木の陰から出て、足音もなく集落へ入っていく。気付かれている様子はない。
瞬く間に距離を詰めて、リンがミラのすぐ前に立つ。
そうか、先に合図を決めておけばよかった。ミラが無事なのかだろうか、すぐに知りたかった。リンはミラの前に屈み込み、動かない。
いきなり、目の前で事態が変わった。
建物の中から四、五人の村人が飛び出し、リンとミラを包囲したのだ。
リンは剣を抜こうして、止めている。逆に村人たちは、手に何かを持っている。武器になるのは間違いない。
どうしようもなかった。
考える間もなく、私は走り出した。村人たちはこちらに気づいていない。
「控えなさい!」
思っていた以上にはっきりと、大きな声が出た。弾かれたように村人がこちらに向き直る。その向こうでリンが微かに首を振っている。逃げろってことだろう。
でも、逃げるわけにはいかない。
「リーア・シャリーン・ロルス四世である! 控えなさい!」
村人たちは少しも動揺しなかった。
それもそうだ、私の顔なんて、ほとんど誰も知らない。
「誰だ? 何をしている?」
村人のひとりがこちらへ歩み寄る。私はその男を睨み付けた。
「皇帝の言葉を聞けないのか!」
「皇帝ってな、お嬢ちゃん……」
「御前である! 控えよ!」
自分で叫びながら、これはどんな三文芝居なのか、わからなくなってくる。
どう見ても、見知らぬ子供が自分が皇帝だと叫んでいるだけで、信憑性どころか、悪ふざけとしか思えない。
どうにしないと……。
「反乱軍を討伐する必要がある! 伝令のための馬を貸せ!」
そう言ってみたけど、村人たちは小さく笑うだけだ。
「禁軍の部隊へ連れて行け! そうすれば、この集落は歴史に名を刻むぞ!」
今度は反応があった。
ただし、良い反応ではない。
村人たちが顔を見合わせる。リーダーらしい男が、こちらを疑り深そうに見る。
「確かに、禁軍に皇帝を差し出すのは、歴史に名が残るだろう」
そう言って村人たちは改めて顔を見合わせた。そして、どこか覇気のない声で言った。
「禁軍は今、皇帝を探していて、それは処刑するためだ」
……目の前が真っ暗になった気がした。
なんてことを。
私はもう言葉を継げずに、目の前の村人を見るしかできない。
彼らの向こうでは、リンが剣を抜くか迷っているようだ。
理由は、この無関係の村人を切り捨てるのが、正義ではないから、だろう。
「私を、連れて行きなさい」
躊躇いなく、そう言えた。
「その代わり、あそこの二人は無事に逃がして。あなたたちに、損はありません」
リンが私を凝視している。
「あの娘は無理だ」
村人の一人が軽い調子で言う。
「あの娘は怪しい動きをしていたからな、仲間を呼び寄せるための餌だ。実際、お嬢ちゃんとあそこの小僧が引っかかった。引っかかったがどう見ても、ただガキだ」
「待て」
仲間に制止され、村人たちは改めて視線を交わしている。
リンが剣を抜く決心をしたのが、見ていてわかった。
私はそれを制止しようとした。
声を出すべき、息を吸い込む。
切ってはいけない。
彼らは無関係の、生きている人間だ。
私を生かすために、彼らを切っては、いけないのだ。
「ダメ!」
叫んだ時、何かが私の背後から飛び出して、躍り出てきた。
村人たちも悲鳴をあげて、間合いを取る。
「陛下、ご無事ですか?」
大きな鹿のようなものに乗った青年が、こちらを見ている。来ているのは帝国陸軍の、中央軍の制服だ。
襟章は、大尉。
彼に続いて、二頭の鹿が現れると、私の両脇に控えた。
名前を知らない大尉が、大声を張り上げる。
「控えよ! 陛下の御前である!」
効果は劇的だった。
村人たちは手に持っていた武器、いや、鍬のようなものを放り出すと、平伏した。
「元気そうだね、リン」
大尉が集落に中心に進み、騎乗のまま、リンを見下ろしている。
険悪な様子など少しもない。
まるで自分の弟子を眺めるような空気が流れた。
「あまりゆっくりもできんぞ。その娘も連れてこい」
「はい、主任」
主任ということ、この大尉が、レント・ヴィランか。
リンがミラの拘束を解いて、背負うと、こちらへ戻ってくる。その時にはレントは鹿の上から降りると、私の前に片膝をついている。
「安全な場所まで、お守りします」
「ええ‥…」
安堵よりも疲労感が強かった。でも今、ここでへたり込むわけにはいかない。
「よろしくお願いします、大尉」
(続く)




