20-1 罠 (前編)
夜明けまで、僕は眠らずにいた。
朝日が引き戸の隙間から漏れて、小さくリーアが身じろぎしている。
彼女はゆっくりを瞼を上げ、直後にガバリと飛び起きた。
「おはようございます、陛下」
リーアは何が起こっているのか、周囲を確認した。穏やかな寝顔だったので、いい夢を見ていたのかもしれない。
そしてそれは、この現実を前にすれば、残酷とも言えた。
「ミラは、帰ってきていないのね?」
彼女がこちらを睨むように見ているけど、僕が憎いのではなく、緊張からだろう。
「僕が行ければ良かったのですが……」
山中でリーアとミラに合流したのは、一昨日の事で、あの後、僕たちは必死に逃げた。追っ手から距離を取ったり、逆に姿を隠してやり過ごしたりした。
それも限界という時に、今いるこの小屋を見つけたのだ。
猟師が使う緊急の時のための小屋で、近くに細いけど小川が流れ、小屋の中には保存食があった。
あったと言っても、一人が二食を済ませる程度しかなかった。
僕は師範学校で食事を抜くのに慣れているし、ミラも平気なようだ。
自然とリーアにその食事が差し出され、彼女は断ったけど、結局は空腹に耐え切れず、昨日の夕方、一食分の三分の一だけ、食べた。
今、ここにミラはいない。
小屋にたどり着いてすぐに、僕は彼女の肩の治療をした。治療といっても、強く押さえて固定するしかできない。
正式な軍隊なら医療兵がいるし、道具も揃っているけど、そんなものはない。
火を起こして、それで熱した剣か何かを使って、焼いて傷を塞ぐ方法も考えたけど、今、ここで下手に火を起こすと、追っ手に捕捉されそうだった。
そんなわけで、応急処置程度のミラは、短いの相談の後、小屋を出て、山を降りて行った。
服装が侍女服ではあからさまなので、リーアが来ていた服と交換した。リーアはもしもに備えて、輿の中でも平服を着ていて、助かった。
ただ、服装はごまかせても、傷は誤魔化せない。
それでもミラは里へ降りる必要があった。
全体の状況を把握するための情報が必要だし、食料も必要だ。
可能なら味方と合流したいけど、リーアもミラも懐疑的だった。
僕はよく知らないけど、禁軍の兵士の中に裏切り者がいるらしい。裏切り者というより、禁軍の一部が反乱軍なのだ。
どうやら、リーアを警護するための禁軍の増援が、そっくり寝返ったようだ。
この小屋のある山も、包囲されているはずで、こうなってはいずれは網を絞られ、万事休す。
反撃する方法はないし、あるのは逃げるという選択肢だ。
逃げるための情報が、ミラが探っている最大の対象だった。
起き出したリーアが体のコリをほぐすように姿勢を変え、じっと保存食を見た。
「食べてください。体力が落ちるのが、一番、よろしくないかと」
「二人きりなんだから、堅苦しい口調はやめて」
いつもより余裕のない、リーアの言葉に、僕は軽く頭を下げた。
「では、遠慮しませんよ」
「どうぞ、かかってきなさい」
「死ぬ前に満腹になった方が、良いんじゃないかな」
僕の言葉にリーアは微かに表情を崩した。
「あなたも死んでしまうんだから、二人で食べましょうよ」
「ミラに悪いから、遠慮する」
肩をすくめて、やっとリーアが保存食に手を伸ばした。硬いビスケットのようなものを、二つに割って、口へ運び始める。小川から汲んだ水を、小さな瓶に入れておいたのを差し出す。煮立たせたいけど、無理だ。
「軍の主導とも思えないわ」
食事の最中でも、リーアは話し始めた。
「誰かが絵図を描いている。でもそれはどうでもいいわ。まずは私が生きていることを示す。次に帝国が揺るがないことを示す」
「前者は、どちらにも転ぶな」僕はじっと壁を睨んだ。「皇帝陛下が生きている、と知るのが誰か、ということになる。反乱軍が知れば、容赦なく処刑する。味方と出会えれば、逆に、陛下を中心に力を集結できる」
「ここは私の帝国よ」
珍しい発言に、今度は僕が笑っていた。
「今は、その言葉ほど信じられない内容もないな」
「そうでしょうとも」
リーアが瓶に口をつけて水を飲んだ。
「帝国が揺るがないことを示すには、軍隊が必要でしょう」
僕がそういうと、一層、リーアの表情が険しくなった。
「すでに地方軍に書状を送ったけど、あれは、届いたのかしら」
「地方軍に? それは状況を逆転できますが、今度は地方軍の発言力を気にしないと……」
「それは生き延びてから考えるわ。どちらにせよ、ミラを待たないといけないわね」
僕はずっと周囲の雰囲気を伺いながら、姿勢を変えなかった。リーアはそわそわし始めた。
「助けてくれて、ありがとう」
唐突に言われて、僕はちらりと彼女の方を見た。
「皇帝としての発言じゃないからね」
リーアは視線を手元に向けている。その手が微かに震えていることに、僕は気づいた。
「一人の人間として、感謝する」
「放っておくことは、できなかった」
実は、僕の手もともすると震えそうだった。それを剣の鞘を握りしめて、堪えているのだ。話をしていれば、少しは紛らわせることができるかもしれない。
「主任は、僕を止めようとしたけど、僕はそれを振り払った」
「主任というのは、砦の隊長ね? あなた、いよいよ放り出されちゃうわよ」
「その代わりに、リーアを助けられたなら、満足だよ」
自嘲の気配が小屋に漂う。
「でも二人とも死んじゃうわ」
「三人です」
「訂正する。三人とも」
僕はどう答えていいか、咄嗟に思考を手繰った。
「でも、正義のために死ぬ、忠義のために死ぬ、それも悪くはないでしょう」
「私はどうなのよ。後悔しかないわ」
「生き延びて、生きていれば、それもまた糧の一つになる、と言っておきます」
会話が途切れて、リーアは肩を落としたような姿勢になる。
(続く)




