19 襲撃と逃走
名主の屋敷を出発したのは、襲撃を受けて反乱の報を受けてから、五日後だった。
帝都から二百名の禁軍の部隊が到着し、警護の体制は万全になった。
相当な人数に守られて、私は帝都へ戻ることになった。輿に乗せられて、一週間はかかるだろうけど、帝都に入れば少しは安全になるはずだ。
やってきた部隊の指揮官から、帝都での騒乱は収まりつつある、と聞いていた。
禁軍が機能し始め、警察と協力して、治安活動を行っているらしい。
指揮している兵士の名前は、よく知っている。安心感がその名前を聞いて、やっと感じられた。不安は私の心を深いところまで占めていた、とその時に気づけた。
帝都に向けて出発し、半日が過ぎた。
「陛下」
輿の外でミラが囁くように言った。
「妙な情報が入りました」
妙な、とはどういうことか、尋ねたかったけど、輿の中にいては、そんなことはできない。
「手短に答えて」
「帝都は、反乱軍に制圧されています」
なんですって?
尋ねようとした時、急に輿が停止した。すぐに地面に下される。
「大休止のようです」
外からミラの声がする。驚いた。本当に驚いているのは、一瞬で冷や汗が吹き出したことでも、はっきりしている。
額をぬぐいつつ、輿の外へ出た。
周囲は侍女たちが幕を張って覆っている。輿の担ぎ手は四人、控えている。その四人は禁軍の兵士で、私の顔を見る権利がある。
ミラがすぐそばにいた。
「さっきの話だけど、どこからの情報?」
名前を言われても、すぐにはわからなかった。
「どういう役職の人?」
「帝国軍情報局の局長です」
「情報局? 一年前に、設置を許可した部局ね。確度の高い情報かしら?」
「まず間違いなく。私はよく知っています」
考えるまでもなく、問い詰めていた。
「その人が裏切っていない、という保証は? 情報が偽情報じゃないという保証は?」
「信じるべき人間を信じるしかありません」
即座のその一言には、たしなめる要素、諭す要素、そして、落ち着かせる要素、そんなものが複雑に入り組んでいた。
「あなたのことは信じているから」
そんなことしか、言えなかった。ミラは無言で頭を下げるだけだ。
次女が私に飲み物を運んでくる。するとミラが、すっとそれを遮るようにして、手に取った。
でも私はそれを奪うように、ひったくる。
「信じているわよ、私は」
まるで駄々をこねるようなことを言っている自分が、平静とは思えない。
でもどうしようもなかった。
飲み物のグラスに口をつけようとした。
大音声が聞こえたのは、その瞬間だった。
「我ら、リーア・シャリーン・ロルス四世へ反旗を翻し、天に代わり、成敗する!」
突然のことに、輿の担ぎ手たちが立ち上がり、幕を掲げている侍女たちが目を丸くしてこちらを見ている。
私も同じような表情でミラを見ていた。
そのミラがこの場で、一番、落ち着いていた。
「幕を支える棒を用意して。目隠しです。みんな、その後に幕のそばに控えて。賊がやってきたら、逃げるのです。陛下のことは私に任せて、自分の命を一番に考えなさい。落ち着いて、行動して」
侍女たちに、担ぎ手たちが棒を渡した。こうして周囲を幕に囲まれて、私はミラと一緒に、その幕のそばに身を屈めた。
「すぐそこに賊が来たら?」
小声でミラに尋ねた。私が今、背中を向けている幕を破って賊が飛び込んできたら、私は一番最初に切られてしまう。
「幸運を祈るのみです」
どれくらいの時間が経ったのか、耐えきれずに身じろぎをした時、三人の兵士が、幕の中に飛び込んできた。
三人とも、禁軍の兵士の鎧を身にまとっている。
味方じゃないか!
賊を制圧したんだ。
迎えるように立ち上がろうとする私の腕を掴み、ミラが幕の外へ駆け出した。幕が一瞬だけ視界を遮り、次に見えたのは、こちらを囲んでいる禁軍の兵士たちだ。
やや隙間のある隊形だけど、賊を撃ち漏らすことはないだろう。
「味方よ! ミラ! 落ち着いて!」
「敵です」
冷ややかな声に、私は動転した。
その時には禁軍の兵士たちは剣をこちらへ向けていて、ミラはそれとすれ違って、一人、二人、三人と、純粋な体の捌きと技で、兵士を投げ倒している。三人ともが首の辺りから墜落し、動かなかった。
「ミラ!」
「こちらへ!」
ミラに引きずられるように、私は走った。
禁軍の兵士が追ってくる。私を守ろうとしている、と考えたかった。
でも、無理だ。
彼らの表情は、そんなものじゃない。
私を狩ろうとする、野獣の表情だった。
もう何も言うことも、抵抗することもできず、私はミラに引っ張られて走った。
道を外れ、田畑の中を駆け抜け、木立の中に入る。木立はやがて林に、森になる。地面が傾斜する。山の中に分け入っている。
追っ手はしつこい。今、背後にいるのは四人ほどだ。最初はもっといたけど、多分、先回りするか、そうでなければ逃さないように両翼に展開しているか。
追っ手が三人になった時、ミラが立ち止まり、私をその場において、逆襲に転じた。
三人とミラの衝突は一瞬だった。
跳ね飛ばされるように宙に舞った三人の兵士が、強すぎる勢いで木の幹に叩きつけられ、その木が激しく揺れた。
私の元にミラが戻ってくる。
しかし表情は険しく、そして瞳は、直視できないほどの威圧感を放射している。
「そちらの陰に」
言われるがまま、私は太い木の陰に屈み込んだ。
周囲を四人の禁軍の兵士が包囲している。そのうちの二人は弓を持ち、すでに矢をつがえている。
ミラなら大丈夫だ、と思う一方、無理なんじゃないか、とも思う。
現実は待ってくれない。結果はすぐに出た。
弦が鳴り、矢が走った。
ミラも弾けるように地を蹴っている。
兵士が三人、叩き伏せられた。
残っているのは弓を持っている兵士で、すでに矢を射る寸前だった。
ミラは姿勢が整っていない、ほとんど背中を向けている。
そして彼女の左肩を、矢が貫いていた。
終わった。
そう思った時、小さな影が飛び込んできた。
兵士の前に飛び降り、弓が二つに割れた。
血しぶきを撒き散らして兵士が転がり、飛んだ矢は近くの木に突き立った。
「ご無事ですか?」
そこにいたのは、帝都にいそうな服装の少年だった。しかしその服は、もうボロボロで、汚れきっている。
誰なのか、すぐにわからなかった。
彼が私のすぐ目の前に片膝をついた時、気づけた。
「リン? リンなの?」
「はい、お久しぶりです」
会っていない時間は半年にも満たない。
でも彼は、まったく雰囲気が変わっていた。
今までの印象を残しつつどこか鋭くなったような。
彼は私の無事を確かめると、すぐに身を翻し、ミラに駆け寄った。彼女の肩の傷を見ている。
それをぼんやりと見ていたので、私はそれに気づいた。
ミラが倒したはずの兵士の一人が、勢いよく、上体を起こした。
視線は私に向いている。
振り上げられた手には、短剣の切っ先が光る。
投げつけられたと思った。ミラも、リンも反応できない。
短剣は、飛んでこなかった。
どこかから飛来した矢がその兵士の額を撃ち抜き、兵士は跳ねるように地面に倒れ込み、もう、動かない。
リンとミラは周囲を伺いながら、私の元に来た。
「逃げましょう、陛下。ここは危険です」
私を助けた矢がどこから来たのか、気になったけど、リンたちは警戒していないようだ。
こちらに手を差し出したリンが、軽く頷く。
「お守りします。命に代えても」
「その口調は、どうしたことかしらね」
私は彼の手をとって、立ち上がった。
「もっと砕けてもいいんじゃないの?」
「時が時ですので」
返事はそっけない。私が更に言い募ろうとすると、ミラが割って入った。
「傷が痛むので、仲良しごっこは後にしていただけますか?」
……ごもっとも。
私たちは三人で、更に森の中に分け入っていった。
どうしてここにリンが駆けつけてこれたのか、想像もできないけど、モロー砦を抜け出してきたのは確実だ。
上官や仲間の制止があったことは想像に難くない。その上、私がいる場所は正確には知らないはずだし、まさに奇跡だった。
私には、今、想像以上の幸運があった。
でもその幸運でも、絶対の安全からは程遠い。
私はミラの服の袖が肩からどんどん赤く染まっていくのを見ながら、その先を進むリンの背中を見た。
頼りになる、と無条件に思えるのは、状況のなせる技か。
今は、彼とミラを頼るしかなかった。
私は一人では無力な、ただの小娘に過ぎない。
じわじわと疲労がやってきた。
(続く)




