18-2 動き出す時 (後編)
すっとレントが息を吸った。
「反乱が起きている」
自然な一言に、兵士たちが息を飲んだ。僕はそれより一拍遅れて、意味を理解した。
「帝都を中心にした動きだ。中央軍の一部、そして禁軍の一部が行動している」
「皇帝陛下を狙っているんですかい?」
兵士の一人の質問に、小さくレントが顎を引いた。
「陛下は今、御幸の只中だ」
そうか、この砦は、リーアに近い位置だった。
「しかし五人では、何もできないのでは?」
もっともな兵士の疑問に、レントは微かに笑みを浮かべた。
「すぐには動けない。増援を待つしかないな。それでもこうして話をしているのは、我々が陛下をお守りすると決めたからだ」
そうか、キクスは伝令のような役目だったのか。
僕はレントがリーアの側に立ったことに、危うく膝から崩れそうだった。
安堵した。
「主任は皇室贔屓だからな」
「五人で禁軍と戦おうなんて、まともじゃないですよ。一人で何人倒せばいいんです?」
「そもそも、陛下はどこに?」
兵士たちがバラバラに発言するけど、どれも反発は気配もない。
みんな、レントについていくのだ。
「すぐに増援が来る手筈になっている。それまでは、待機だ。幸運にも、ここは僻地で、反乱軍が手を伸ばすこともない。それでも要所になりつつあるが」
「なるほど」兵士の一人がぼそりと言った。「陛下への援軍の遮断、あるいは挟撃が、成立するのですね」
「すぐにはそうはならないだろう。落ち着いて、機を待とう」
それから短い意見交換の後、解散になった。
僕は自分の部屋に戻り、寝台に腰掛けて、横になることもできなかった。
リーアは、無事なのか。それが気になる。
御幸には護衛部隊が付いているので、すぐに危険はないはずだ。でも、安全とは程遠い。
今すぐにでも、リーアのところへ駆けつけたかった。
それはレントや部下の兵士たちの発想とは違う。
僕はリーアを、皇帝陛下、ではなく、一人の友人、と感じていた。
何度も顔を合わせ、話をして、笑いあった相手なのだ。
それを、放っておくなんて、とてもできない。
寝台に腰掛けたまま、僕は壁に掛けてある烈風剣を見つめた。
僕に何ができるのか。リーアの力になれるのか。
時間を確認した時には、日付は変わっていた。僕は立ち上がり、目立たない私服に着替えて、剣を手に取った。
砦の中はひっそりとしている。忍び足で外へ出ても、誰も気づかなかったらしい。
防壁の崩れたところから外へ出て、僕は森の中を走り出した。足音を気にする必要はない。山の中に人間はいないのだ。
森の中は毎朝、走っているので、詳細に把握していた。レントは道を毎日、変えていたので、自然と全体像が頭に出来上がっていた。
それは僕が森の中で迷わないための対処だったのかもしれないけど、今は、ありがたかった。
リーアがどこにいるのかは、食堂での会合の最後で、レントが全員に伝えていたので、僕はそこに可能な限り早く向かえる、間道を目指している。
街道に出たいけど、反乱軍がどこで目を光らせているか、わからない。
キクスが軍服じゃないということは、それだけ警戒していたんだと想像できた。
間道にたどり着く、というまさにその手前で、誰かが僕の行く手を遮った時、反射的に腰の剣に手が伸びていた。
「どこへ行くんだい? リン」
聞きなれた声、そして見慣れた姿。
だからこそ驚きは激しかった。
「主任?」
そこにいたのは、レントだった。服装は私服だけど、腰には剣があった。
「今は動く時ではないよ。それとも、無駄に命を散らしたいのか?」
「僕には」
僕は弾む息を落ち着けつつ、歩み寄った。
「皇帝陛下には、大きなご恩があります」
「死ぬのが、恩返しだと?」
「死ぬとは決まっていません」
返事は声ではなく、涼やかとも言える音だった。
間合いを取った僕は、はっきりと感じた風の流れに、冷や汗が吹き出した。
レントは、剣を抜いていた。
「主任、何を……」
「私に切られれば、恩返しもできないよ」
殺気が波濤となった。
稽古で受けているのと段違いの圧力に、僕は反射的に剣を抜いていた。
切られる。容赦なく、一撃で、必殺の一振りが来ると予想できた。
しかし、稽古のように、お互いに動かない。
僕の動揺は、消え去っていた。
レントの本当の殺気が、迷いや恐れを、吹き飛ばしたようだ。
持っているのは真剣だ。
一撃で、相手を殺すことができる。
一撃で、決着するのだ。
だからお互いに、容易には動けない。
今までの経験から、レントの方が有利、いや、実力で大きく上回っている、ということは揺るぎない。
そのレントが動かないことは、何故なのか。
考えたかったけど、考えなかった。
無心が、やってきた。
周囲の景色が消える。音が消える。
見えるのはレントだけで、浮かび上がるように見えた。
剣に月明かりが反射し、まるでそれは剣には見えない。
光の筋が目の前にある。
その筋が動いたことは、後で気づいた。
光の筋が二本、複雑に絡み合った、と理解する。
すれ違っていた。レントは背後にいる。
僕は全身に灼熱を感じつつ、振り返らずに走った。
剣を鞘に納める時間もなく、強く柄を握り締めて、走り続けた。
間道に出て、しばらく走った。喉が渇いている。小川に架かる橋が前方に見えた。暗い中でも細い川面が光を反射している。
立ち止まって、水を飲もうとして、今もまだ剣を握っているのに思い至った。
剣を見ると、きっ先にわずかに赤い輝きがある。
目を背けるようにして鞘に戻し、強張っている手を無理やりに引き剝がし、両手で小川の水を掬って飲んだ。
東の空が、微かに明るみ始めている。
休む時間はない。
僕はまた走り始めた。
(続く)




