16-2 気迫 (後編)
それからまた日が経ち、まさに御幸の日になった。気候は春になり、もう防寒具はいらないし、山から雪も消えた。花も咲き始めた。果樹園もたくさんの木が蕾をつけている。
兵士が二人、御幸の行列を見にいくことになった。レントは最初から辞退していて、五人の兵士がくじ引きで、誰が行くか、決めていた。僕には選択権はない。留守番だ。
「皇帝陛下がこの砦をご覧になれば、腰を抜かすね」
山の頂上に設けられた見張り台だった。レントに連れられて、僕はそこへ上がったのだ。
山の麓に小さく村が見えた。その村のさらに向こうに街道がある。残念ながら、遠すぎて行列は見えそうもない。
そのことはレントもわかっていたはずだけど、どうしてここへ?
「兵士になった時、私は皇帝陛下の盾になるつもりだった」
突然の話題に、僕は黙って、続きを待った。
「地方の訓練校で鍛えられ、地方軍に組み込まれた。東部の地方軍で、海軍との共同作戦が多かった。船に乗って、海賊と変わらない蛮族と、戦ったよ。ある時、これは自分の仕事じゃない、と思った。戦果はあげたし、認められもした。階級も上がった。でも、私は皇帝陛下の盾であって、どこかの貴族の指揮下で蛮族を海に放り込むのは、違うと気づいた」
小さく、レントが笑った。
「それから色々あった。地方から中央軍に配置換えされた。でもそこが限界だった。つまらん連中は、皇帝陛下のことなど考えていない。自分のことだけだ。自分が栄達するための権力や後ろ盾だけを意識して、兵士になるのも指揮官になるのも、そのための段階の一つだ。こういうことを考えるから、私はこの山の中にいる」
「立派だと思います」
とっさにそう言っていた。レントは少し顔を伏せ、こちらに初めて見る弱々しい笑みを向けた。僕は息を飲むしかできなかった。
「人の評価とは、難しいな」
そんな言葉を残して、レントは見張り台を降りて行った。
その日の夜、突然の訪問者があった。レントが直々に連れてきたのだ。
「ミラじゃないか」
廊下に出て、思わず僕は叫んでいた。
「どうしてここへ?」
「お手紙を届けに参りました」
「手紙?」
ミラが僕に手紙を? なぜ?
「こちらです」
差し出された手紙を受け取る。封筒の宛名は僕で、しかし差出人は書かれていない。
やっと気づいた。でも誰からの手紙かは、口にはできない。
「確かに、お渡ししました」
「待って、ミラ」
自分の言葉が自分で信じられなかった。
「僕と立ち合ってほしい」
廊下を去ろうとしたミラがこちらを見た。
冷ややかな目だった。
「何故ですか?」
「君の強さを、初めて理解できた」
前からミラの動きには注意をしていた。でも、実力は測れなかった。
それが今、やっとわかった。
マリアンナよりも強いのだ。理屈ではなく、そう感じた。何かが僕に確信させていた。
そんなミラと立ち合えれば、何かを手にできる気がした。
まるで刃物の光のような視線で僕を見てから、ミラは軽く頭を下げた。
「立ち合いなど、できません」
「なんで?」
「リン様に怪我をさせては、お怒りを買いますので」
はぐらかすような言葉と同時に、僕を闇が覆った気がした。
殺気だった。
今まで感じたことのない、まるで実際に切られた、いや、切り刻まれたような、途方もない殺気だった。
気づくと、僕は尻餅をついて、ミラを見上げていた。
「これで、ご容赦ください。では」
頭を丁寧に下げてから、今度こそ、ミラは去って行った。
すぐには僕は動けなかった。全身が痺れているような気がした。
あんなに強い気をぶつけられたのは、初めてだった。
どうやったら、できるのか。あの瞬間、ミラは僕を殺すつもりだったのか。
殺気を自在に制御できる。僕では遠く及ばない境地だった。
取り落としていた手紙を拾い上げ、まだ流れてくる冷や汗を袖で拭いつつ、明かりの方へ戻った。封筒を丁寧に開封し、便箋を取り出した。
綺麗な文字で文章が綴られていた。
「これはミラの手紙です」
というのが、書き出しだった。
でも誰が本当に書いているのかは、わかった。
リーアだ。彼女以外にいない。
手紙の内容は、たいしたものではない。実際にミラが見ていてもおかしくない、帝宮の中の出来事が綴られている。
マリアンナから聞いた、という形で、師範学校の話もあった。
クルップスは退学になったらしい。もう体が自由に動かないのだという。
このことには僕も罪悪感を、未だに拭いきれない。
マリアンナとキクスは、特に変わりはないらしい。
僕の進退に関しては、何の記述もない。
手紙はさりげない一言で結ばれている。
「また会える日を、お待ちしています」
皇帝陛下その人が、僕に敬語を使うなんて、恐れ多い。
逆にそれが、親しみの証明である気もした。
手紙はもう一回、読み直し、封筒に戻して、机の鍵のかかる引き出しに入れた。
今、リーアはどこにいるんだろう?
(続く)




