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12 拘束

「事実を知りたいわね、私は」

 帝宮の中でも皇帝の私的空間である部屋の一つで、私はミラとマリアンナと顔をつきあわせていた。

「事実なんてはっきりしているわよ、リーア」

 焼き菓子を食べつつ、マリアンナが言う。

「間抜けな上級生が、下級生に叩きのめされた」

「それは禁軍師範学校では禁止されています」

「仕掛けたのはリンではないのははっきりしているわ」

 ミラは黙って、しかし珍しく席についていた。

 私は紅茶に砂糖をひと匙入れて、スプーンで混ぜた。

「前にも似たようなことがあった、とマリアンナは言っていたでしょう?」

「クルップスは大間抜けで、二年生になった時から下級生を相手に好き勝手やっていた。その対象になった下級生がどうなったか、知りたい?」

「参考までに」

「耐えられなくなって退学したか、反抗して、クルップスの親の息のかかった連中からつるし上げられて、やっぱり学校から消えた」

 ひどい話だ。

「教えてくれればよかったのに」

「皇帝陛下の気を煩わすのも、いかがかと思いまして」

 内心、私は相当、焦っているのに、マリアンナは余裕だった。焼き菓子を食べ終わり、紅茶を飲んでいる。

「リンは今、反省室に入れられていて、まぁ、安全といえば安全よ」

「反省室? 師範学校で、独房、って呼ばれているのを、私は知っているけど」

「逆に安全って考えればいいわ。誰もちょっかいを出せないし、公的に拘束されているわけで、教官たちが懲罰を決める時も、公的に処分されるでしょう。どこかの金持ちが、金をばら撒いても、それほどの影響はない」

「少しは影響があるわけね」

 私の苦り切った一言に、さすがのマリアンナも顔をしかめた。

「教官を抱き込んでいるらしいわ。こちらからも働きかけたいけど、それをやったら、相手と同じになる。こちらが公正さを訴えるなら、まずは自分たちが公正じゃないと」

 紅茶のカップに手を伸ばしたけど、私はその手を止めた。

 考えるけど、答えは出ない。

 まさか皇帝が師範学校の一生徒の乱闘に対する処分に、干渉するわけにいかない。

 何ができるんだろう?

 この国では何でもできるはずなのに、それは思い込みで、実際には自分はお飾りか、さもなければ名前を署名する人形のようなものなのかもしれない。

 それで良い、と思う自分もいる。

 だって、私には優れた政治能力も、財務能力も、軍隊を指揮する能力も、何もない。

 十代の少女で、幕の内側から声を発するだけなのだ。

「あまり難しく考えないで、リーア」

 こちらの顔をマリアンナが覗き込んできて、はっとした。

「人の善意に期待しましょうよ」

「そうですね……」

「しかし、あのリンが、クルップスの大間抜けをぶちのめすとは、思わなかったわ」

 そう言って、ケラケラとマリアンナが笑う。

「あいつ、病院送りだし、あの怪我じゃ、もうまともに剣は触れないでしょう。指揮官になれば別だけど、入隊する前から傷病兵のような無様さじゃ、いくら金を配っても無理でしょうね。クルップス一族の前途に、乾杯したいわ」

 私はまた、どこか落ち着かない気持ちになった。

 リンが相手を傷つけることを望むとは思えなかった。マリアンナも実際に見たわけではないので、伝聞の伝聞だけど、上級生は本気でリンを再起不能にするつもりだったらしい。

 危機的状況に陥ったリンは、仕方なく、相手を傷つけた。

 傷つけざるをえなかった。

 でもあのリンが、人を傷つけるなんて、想像できない。

 私の前ではいつもどこか及び腰か、穏やかで物静かな、普通の少年なのだ。

 そのリンが、人を打ち据える?

「師範学校って、怖いわね」

 ぽかんとしたマリアンナに、私はどうにか笑みを返した。

 兵士を育成している場所なんだ。兵士というのは、つまり人殺しで、優れた兵士とは人殺しの専門家のようなものだ。

 マリアンナも、ことが起これば戦場へ立つ。

 彼女もいつか、人を殺すんだろうか?

 いつだったか、リンと話したことが思い出された。

 この国には、戦争がない。リンは争いの可能性として、内乱、ということを言っていた。

 私はそれを否定した。

 今も、否定する。

 内乱を抑止するのは、私の仕事だ。

 そこがきっと、私の戦場なんだな。

「何よ、リーア。何を考えているの?」

 私はマリアンナに何も言わず笑みを見せ、やっと紅茶のカップを手に取った。

 紅茶は、すでに冷めていた。


     ◆


 反省室はどう見ても独房だった。

 本館の地下にあり、通路を中心に三部屋がある。通路とは鉄格子で区切られている。

「もっとマシにやれなかったんか?」

 その通路に、どっかりとキクスが腰掛けていた。

 僕は独房の中の寝台に腰掛け、苦笑した。

「手加減できなかった。自分でも、知らずに体が動いたんだよ」

「そら、あかんわ。そんなこと言うたら、教官連中は処罰を手加減なんてしてくれへんで」

「言い訳もできそうもないけど」

 はーっとキクスが息を吐く。

「そもそもがやり過ぎなんや。お前の腕ならちょっと骨にヒビを入れるくらいで済ませられたやろ?」

「だから、それは無理で……」

 僕が応じると、キクスが眼を細める。

「そこまでか? 本気で取られそうになったんか?」

「少なくとも、僕はそう感じた」

 取られる、というのは、殺される、ということだろう。

「中に金属の入った棒が押収されとる。それを見れば、誰もがただの乱闘じゃないとはわかるわな。ただ、その棒が目下、行方不明になったときとる。意味、わかるか?」

 頷き返す。

 行方不明というのは、つまり、誰かが隠したんだ。クルップスの親か、誰かが手を伸ばしているのだろう。

 しかしそこまで手を回せるのは、驚きだった。

 もう一つ、驚きはあるけど。

「キクスは、どうやってここへ来たの? 食事を届ける教官しか、昨日まで来なかったけど」

「内緒や」

 そう言われても、余計、気になる。

「気にすんなや。もう来んからな。次に会うのは、お前がその独房から出て、処分が決まった時や。今日は様子見に来たんや。最後かもしれんしな」

 つまり、僕が退学になる可能性があるのか。

 人を一人、ダメにしたんだし、僕には権力も経済力も威光も何もないし、仕方ないか。

「あの間抜けを潰したことは、気にせんでええで」

 キクスが立ち上がった。

「誰から見ても、あの間抜けは腐っとる。どこからどう見ても正真正銘の腐れ外道や。いなくなって、スッとしたわ。ありがとな」

 答え方がわからなくて、僕はただ頷いた。

「じゃあな、リン。また会えることを、願っとるで」

「うん」

 僕は寝台から立ち上がって、格子に歩み寄った。

 キクスの方から拳を突き出してきた。格子のこちら側に、彼の拳がある。

 僕はその拳に、自分の拳を軽くぶつけた。

「元気でな」

「キクスも」

 彼が去っていくと、混じりっ気なしの静寂がやってきた。

 この反省室には時計はない。窓もない。つまり、一人でいると時間の流れが曖昧になる。

 房の真ん中に座って、僕は目を閉じ、集中した。

 手にはまだあの時の感触が残っている。同時に気持ちの高まりも、かすかにあった。

 それらを全部、忘れるように、頭の中で剣を振った。

 切っ先が翻る。刃が光を反射し、瞬く。

 仮想の自分の体が、躍動する。

 幻のような敵が目の前に現れる。

 その顔は、クルップスだった。

 目を開いていた。

 ぼんやりとした明かり。薄暗い通路。

 誰の気配もない。

 顎を汗が伝うのに、突然、気づいた。反射的に拭う。額も汗が玉になっている。

 深呼吸して、僕はまた、目を閉じた。




(続く)


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