11-1 決着(前編)
禁軍師範学校は年末に休みがあるために、十二月はどこか浮ついている。
これが良くない方向に作用したのは、確実だけど、もちろん、誰にも責任はない。
あるとすれば、全部、僕が負うべきだろう。
十二月になっても僕の右手首は痛みを訴えていて、添え木は外れなかった。
御典医からの処方箋を、禁軍師範学校の医師に手渡し、薬を処方してもらった。
「食事は摂れていますか?」
その問いかけに、「牛乳を飲んでます」とは言えなかった。
僕のその素振りで察したらしく、医師はどこか困ったような顔になる。
「タンパク質と呼ばれるものを摂るべきですね」
「例えば?」
「肉、牛乳、豆類、でしょうか。もちろん、それだけではいけませんが」
結局、この言葉を意図的に曲解して、僕は食事を変えなかった。
調練は休むことなくあるし、教官は僕に剣術の型や素振り、馬術を課さない代わりに、ひたすらの走り込みを要求した。
午前中は座学があり、ここでも利き手の右手の不自由さは、板書を写すのに影響したけど、そんなことは午後の苦行に比べれば、何のこともない。
午後は昼食を取る間もなく、走り始め、休む時間はわずかだ。
冬はもうやってきていて、屋外は寒い。
運動着の下にたっぷりと着込んでいるけど、汗をかき始めるとそれが汗を吸って、一度、動くのをやめると、急激に冷たくなる。
休む時間は水分補給とトイレの時間で、水分補給も水道水だった。
僕はここに兵士、あるいはその指揮官になるために来ているのであって、贅沢をするためじゃない。
それでもこれはちょっと、酷過ぎないか?
午後の前半は他の一年生や上級生がいても、後半はほとんど一人だ。数日だけ、二人ほどが一緒に最後まで走ったけど、知らない顔だし、見るからに雰囲気が荒んでいる。
そのことを、たまたま顔を会わせたキクスに尋ねると、
「あれは懲罰やで。悪い生徒へのお仕置きやな」
と、言われてしまった。
つまり僕は懲罰を受けているのようなものだった。それも毎日。
で、その日は一人で走っていて、教官が遠くで眺めているのを感じつつ、最後まで走りきった。
さすがにもう何も食べることはできない。牛乳をもらおう、と運動場を出ようとすると、前方に人影が三つ、現れた。
すでに日が暮れつつあり、敷地の各所の明かりは、まだ点いていない。
嫌な気配は歴然だ。
とっさに、さっきまで僕を監督というか、監視していた教官を探したけど、いない。
「お疲れのところ悪いが」
人影の一人が言った。
以前、僕に打ちのめされた上級生だった。さすがにもう名前は知っている。
ただ、覚えているのは姓だけで、名前は忘れていた。
クルップスという苗字で、これは帝都に本店を構える大会社の一つの創業者の苗字である。
つまり、富豪の一族である。
このことを連想して、教官の不在の理由がやっとわかった。
買収だろう。
クルップスは前と同じ仲間を二人連れている。薄暗くて、どういう表情か、読みづらけど、どうせ優しげな顔でもないだろう。
そのうちの一人が持っていた棒をこちらへ放ってくる。僕の目の前に転がってきた棒は、乱取りの時に使う、訓練用のものだと見て取れた。
「拾えよ。特別に稽古をつけてやる」
三人がそう言って、棒を構えた。
どうしたらいいのか、わからなかった。
確定していることが一つだけあり、この場には偶然、教官が現れるか、他の生徒が現れない限り、私闘そのものは誰にも感知されない。
もう一つ、これは推測だけど、僕がこの三人を叩き潰すと、その途端に、この私闘は公の場に露見する。
それでも僕は、一方的に叩きのめされるのは、趣味じゃない。
「一応、断りますけど」
僕はゆっくりと言いながら、三人を順繰りに見た。
「痛い思いをしても、知りませんから」
三人が動き出した時、僕は足で棒を蹴り上げ、左手で掴んでいた。
三人とすれ違う。
僕に三本の棒は当たっていない。逆に僕の棒は、上級生の一人の方を打ち据えている。
ただ、手応えは固かった。
何か、着込んでいるらしい。
もっと強く打ち込まないと、彼らは倒せないのか。
左腕だけでそれができるかはわからないけど、こうなっては、もう収めるのが難しい。
三人は数をたのんで、押し寄せてくる。
二度、三度を棒を躱したけど、もう無理だ!
捌ききれず、僕は自分の棒で、クルップスの棒を受けた。
強烈な衝撃を感じた時には、僕は地面を転がっていた。
素早く起き上がった時には、事態が読み取れた。
まずは肩に痛みがあるけど、戦えるから良しとする。
もう一つは、僕の左手にある棒は、粉々に砕けて、ほとんど残っていない。
こいつら、型の練習に使う棒を持っている上に、僕の棒に細工をしたな。
重さが違う、強度も違う。それを僕は普通の棒で受けたのだ。
粉砕されて当然だし、棒が壊れることでクルップスの棒の勢いが弱まったことに、感謝するしかない。
どうするべきか、迷った。
迷っている時間は、与えられなかった。
上級生の一人が飛びかかってくる。
一瞬で、僕の集中力が極限に戻った。
全てを僕は、忘れた。
(続く)




