10-2 剣術 (後編)
ミラの顔は少し青かった。
「リン様、こちらへ。医者がおります」
素早く歩み寄ったミラが僕を抱えるようにして、室内へ入ろうとする。なんで抱える必要があるのか、疑問だったけど、僕の両足は激しく震えていた。
ちらりとマリアンナを見ると彼女は今は、険しい目で、こちらを見ている。
リーアを確認する余裕はなかった。
ミラと一緒に帝宮の中を進んでいく。初めて見る場所だ。
「最後に、力を抜きましたね」
歩きながら、ミラが静かに言う。この時には僕の足腰も元に戻っていたけど、ミラは肩を支えている。
「マリアンナを、打てなかった」
本心を、彼女に言ってもいい、と疑いもなく思えた。
「稽古でも、友達を打ち据えるのは、無理だよ」
「マリアンナ様も、力を抜かれました」
彼女の言う通りだった。
マリアンナは僕の気配が消えた時、即座に気を緩めた。
それでも僕の手首を打つしかなかった。手加減しても、それが限度だったのだ。
それくらい、僕とマリアンナの気迫は、真剣で、本気だった。
「彼女の方が腕がいい、ってことさ」
「怪我などされては、陛下が悲しまれます」
「陛下もこれで、少しは認識を変えられるでしょうね」
もうミラは何も言わなかった。
医者は帝宮の中で生活している、つまり御典医だ。診察室に入ってすぐに僕の腕の状況を見て、頷いた。
「折れてますな。しかし、綺麗な折れた方だと思います。動かさないで生活することです」
元から用意されていたんだろう添え木が出てきて、先に貼り薬が貼られた僕の右手首にそれを当てて、包帯で固定した。
「見ない顔ですが、どなたです?」
医者が質問してくると、ミラが即座に「口外は無用です」と言った。医者は心得ているようで、頷いた。
「外の医者の診察を受けられるように、痛み止めの処方箋を書きましょう。貼り薬もあった方がいい。ここで書かれた処方箋というのも隠した方がいいのでしょう? ミラ殿?」
頷いたミラに、医者も頷き返し、その場でさらさらと処方箋を書き、封筒に入れ、差し出す。
「お大事に」
僕とミラは部屋を出て、歩いていく。どうやら外へ向かっているとわかるのは、その程度に帝宮の一部に詳しくなったからだ。
今日、帝宮にいるのも、半月に一度、お茶会をしたい、というリーアの意図を汲んだからだった。意図を汲むというのも変だけど。
彼女は皇帝陛下で、大陸中の人間に命令することができるのだから。
「陛下は」
前方に伸びる廊下の先に、外へ通じるドアが見えてきた。
「あなたのことを気に入っておられます」
「そのようですね。立ち合いをさせる程度に」
不遜なことに、皮肉げなことを言ってしまった。ちょっと腕の怪我で、精神が不安定だ。
「すみません。厚意には、感謝しています」
「その厚意ではない、好意があるのですよ」
「え? え?」
よくわからなかった。
廊下の終点に着き、ドアが開けられると、そこにはすでに馬車が待機していた。外は真っ暗だ。時間が気になった。マリアンナとどれくらい向き合っていたのか、今になって、知りたかった。
結局、僕はマリアンナと顔を合わさないまま、ミラに見送られて、帝宮を出た。
◆
「少しは反省したかしら?」
椅子に座ったマリアンナの言葉に、私は頷いた。
リンの怪我の状態を知りたかったけど、ミラが戻ってくるまで待つしかない。
「怖いのね、剣術って」
正直に言葉が出た。
怖かった。本当に、怖かった。棒を使っていても、二人はまるで真剣を向け合っているようだった。
私が見ている前で、二人は動きを止めて、ずっとそのままだった。
何度か、時計を確認した。彼らは二十分も、向き合っていたのに、まるで動かない人形のように、微動だにしないのだ。
それなのに、私ですら汗をかいていた。
何かが、私に影響したけど、それがなんて呼ばれるものかは、わからない。
言葉や理屈では説明できない、何か。
「マリアンナがすごいとは思っていたけど」
私は机の上のカップに手を伸ばした。微かに手が震えているけど、マリアンナは気付くだろうか。
「リンも、すごいのね。二人とも、将来が楽しみだわ」
「あなたの将来は不安だわ」
マリアンナもカップを手に取った。
「リーア、なんで、リンにそこまでこだわるの? ずっと前から不思議だったけど」
「それは、マリアンナが、彼を褒めすぎるからよ」
意味をマリアンナはすぐに理解できないようだった。
「彼のこと、最初はただの興味だったけど、今は、少し違うかな」
「どう違うの?」
「もっと、よく知りたいわ。本当の彼を」
自分でそう答えておいて、赤面してきてしまった。
私、変なことを言っているわ。
二人の立ち合いを前にして、ちょっと気持ちが乱れているかも。
「詳しいことはいずれ聞くけど」
マリアンナが目を細めている。
「はっきりしていることがあるわね」
「何かしら?」
「身分が違う」
ごもっとも……。
(続く)




