7-2 お友達 (後編)
リーアが笑顔で勧めてくる。いや、皇帝陛下が、くだされた……?
「お夕飯としては簡素ですけど、召し上がれ」
自分より幼いはずの少女のおおらかな口調に、圧倒されつつ、軽く頭を下げ、僕もサンドイッチに手を伸ばした。
「リンは夕飯は牛乳と聞きましたが?」
突然にリーアが言ったので危うくサンドイッチを取り落としそうになった。
マリアンナを睨みつけるが、彼女は二つ目のサンドイッチを頬張っている。
「どういう理由があるのかしら?」
「え、ええ、それは……調練が激しいと、体が、受け付けないので……」
「師範学校に入学して、五ヶ月ほどかしら。まだ調練には慣れないの?」
どう答えていいか、難しかった。
しかし黙っているわけにもいかない。
「兵士は、三食をきっちり口にする、ということもままならないのです」
「それで?」
「有事のことを考え、少ない食事に体を慣らすように、しています」
ふーん、とかすかにリーアが首を傾げ、画家が動きを止めるように声を出した。リーアが姿勢を戻す。
「有事というのは、戦争になるということ?」
「兵士の役目は、それに尽きます」
「どこと戦争になるのかしら」
これには本当に、答えに窮する、という事態だ。
大陸は、ロルス朝大陸帝国に統一され、外敵は限られている。
大陸の西にある大海の向こう、そこにある西大陸、アルス大陸は、まだ統一されていないが、大陸帝国は興味を持っていない。いくつかある国家の中の二つが、大陸帝国と交易を結んでいる程度だ。
東側には群島があり、ここにも大陸帝国の支配は及んでいない。この群島に住む民族は好戦的で、帝国の人間からすると蛮族のように見られている。こちらは帝国海軍の一部が、防衛線を海上に作り、同時に海岸線を帝国陸軍が警戒している。
外敵らしい外敵はその辺りだが、交戦状態になったことは、ここ数十年、ない。
つまり、ロルス朝大陸帝国は、平和の真っただ中にあり、戦争は萌芽も何もないのだ。
それなのに、僕が有事、戦争に備えているというのは、おかしく見えるかもしれない。
「どこと戦争になるの? リン」
もうリーアは僕を名前で呼んでいる。途端に、皇帝陛下である、という認識が、緩んだ。
自棄気味に、僕は答えることにした。
「西大陸も、東の蛮族も、攻めてこないとは限りません」
「あなたは禁軍師範学校の生徒でしょう。優秀なら、禁軍に配属されます。禁軍がそれらと戦う事態とは、つまり、私の命がそれらの国家に脅かされるということです。そんなことがあるのですか? あるという想定をしているのですか?」
本当の自棄で僕は応じた。
「そういう事態もあるでしょう。絶対にないとは言い切れない。それに別の問題もあります」
「どういう問題かしら?」
「内戦です」
部屋の中がシンとしたことで、僕は一瞬で冷静さを取り戻し、後悔した。
画家が手の動きを再開し、リーアが小さく笑った。
「正論ですね。内戦。確かに、ありうる可能性だわ」
「いえ、皇帝陛下に弓引くものは、いないかと……」
取り繕うとする僕の肩を、マリアンナが殴りつける。
「自分の発言に責任を持ちなさい」
「いや、そうだけど、不敬罪で逮捕されたくはないし……」
またリーアが小さく笑った。
「面白い人だと聞いていたけれど、想像よりも面白いわ。マリアンナが気に入るのも理解できた。ねぇ?」
「私が気に入っているというのは、置いておいて、この通り、不思議な男です」
マリアンナとリーアが笑みを交わし、それから二人が世間話を始めた。
どうやら化粧品の話題らしいけど、僕には理解できない世界なので、聞くともなしに聞きながら、サンドイッチをできるだけゆっくり食べた。
どこがどう違うのかわからないけど、今までの人生で食べたどのサンドイッチよりも、美味しい。
皇帝っていうのは、いつもこういうものを食べているのか。
侍女がお茶のお代わりをカップに注ぎ、少し離れたところの控えた。
それだけの動作なのに、どこかに違和感がある。なんだろう。ぎこちないわけではなく、自然なんだけど、何かが気にかかる。
彼女が次にお茶を注ぐ時、僕はじっと視線を向けたけれど、結局、何もわからなかった。
「そろそろ時間ね」
リーアがそう口にしたので、僕は彼女の方を見た。
無意識に、真っ正面から彼女を見ていた。彼女もこちらを見ている。
こうして見てみると、可愛らしい顔をしているし、可憐な雰囲気を醸し出している。
「肖像画を描くのに、数ヶ月かかるというから、次も来てね、二人とも」
なんだって?
「半月に一回、今の時間に、ここで、ね。無理かしら、マリアンナ?」
「良いわよ。教官に悟られないように、手回しをして欲しいけど」
「ミラ、手続きできる?」
侍女が軽く頭を下げ、「御意」と短く答えた。それが彼女、ミラが発した唯一の言葉だ。
リーアが席を立ち、洗練された動作でドアへと向かう。ミラが無言でドアを開け、先に外へ出た。
振り向いたリーアが微笑む。
「次はもっとお話ししましょう、リン。マリアンナ、またね」
僕の横でヒラヒラとマリアンナが手を振り、リーアも年相応と感じさせる素振りで手を振って、廊下へ出て行った。
ドアが閉まった時、僕は崩れるように椅子に落ちた。
「お疲れ様。サンドイッチ、持ち帰る?」
声を出せなかった。
久しびりに夕飯を食べたからか、戻しそうな気がする。
そうでなければ、今になって圧力を実感したのかもしれない。
「マリアンナは、いつから陛下の前に?」
「師範学校でたまたま、出会ってね。もう二年は親しいわね」
「信じられない。皇帝陛下のご尊顔を拝するなんて」
そういう僕に、マリアンナは呆れたような表情になって、頭を小突いてくる。
「次からは皇帝陛下ではないし、ご尊顔でもないわよ。普通の女の子で、あなたはお友達なんだから」
皇帝陛下と、お友達だって?
悪い冗談としか思えなかった。
血の気が引く思いに飲まれている僕の横で、マリアンヌがサンドイッチに噛り付いた。
「やっぱり美味いわね、帝宮の食べ物は」
……帝宮。
全てが信じられなかった。
夢じゃないかと思ったけど、夢じゃない。
とびきりの悪夢が現実になったような錯覚から、僕は抜け出せそうにもない。
僕はこれから、どうしたらいいんだ?
(続く)




