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7-1 お友達 (前編)

 夕方、馬場へ行くと、マリアンナが唐突に言った。

「ちょっと出かけない? 紹介したい人がいるんだけど」

「え? 生徒ですか?」

「ちょっと大きい家に住んでいる、知り合い」

 謎な返答だった。そんな僕を導いて、マリアンナが歩き出す。まだキクスは来ていない。

 もし、キクスがいたら、間違いなくついてきただろう。

 マリアンナが僕を連れて行ったのは本館の前で、そこには馬車が停まってる。小さな四人乗り程度の馬車で、特徴らしい特徴がない、一般的な馬車である。

「あの、乗馬の訓練は?」

「それはいつでもできるからね。今から行けば、夕飯にありつけるよ。豪勢な奴にね」

 まだ何が何やらわからないまま、馬車に乗り込み、すぐに走り出す。カーテンが引かれていて、外は見えない。気になったけど、マリアンナが黙っているので、開けてもいいか、聞ける雰囲気も出ない。

 馬車は一度止まり、また走り出す。帝都の中に入ったのかな、と思っていると、また馬車が止まる。少し走り、また止まる。今度はしばらく走っていた。

 次に止まると、マリアンナが降りようと立ち上がった。

 扉が、外から開いた。背広の男性が外に立っている。もちろん、知らない人だ。マリアンナは平然と降りて、馬車が横付けされた建物に入っていく。僕はほとんど外を見る余裕もなく、マリアンナに続いて、建物に入った。

 入ったけど、すぐに立ち竦んでしまった。

 少しだけ装飾が施された、どこかの貴族の邸宅のような廊下が目の前に伸びているが、その所々に立っているのは、禁軍の兵士の制服を着ている男女だ。

 禁軍の兵士が貴族の館にいるわけがない。

 禁軍の兵士がいるのは、皇帝陛下と帝国の要所と決まっている。

「こっちよ。ぼうっとしないで」

 促してくるマリアンナは、ドアの一つを開けている。禁軍の兵士には少しも気を払っていない。ここは一体、どこなんだ?

 僕は気を奮い立たせて、駆け足でマリアンナが入った部屋に飛び込んだ。

 中にいるのは、初老の男性で、拍子抜けした。

 その男性の前にはキャンバスが用意され、まだ何も描かれていない。画家なんだろうけど、ここで何をしているんだ?

 部屋には椅子が数脚ある。

 不吉なのは、画家らしい男性が向いている方向に、やたら装飾華美な椅子があることだ。玉座と言っても、おかしくはない。金銀が細かく細工され、宝石が輝く。

 恐怖に駆られて、それでも狼狽えることもできず、視線をマリアンナの固定する。

 しかし背後でドアが開く音がして、マリアンナがそちらに向かって敬礼をしたので、そうもしていられない。僕も素早く振り返って、反射的に敬礼した。

 敬礼したけど、訝しさが心を満たした。

 入ってきたのは侍女服の女性で、もちろん、マリアンナが敬礼する相手ではない。

 その侍女が道を開けて、次に入ってきた少女に、敬礼したんだろう。

 だろうけど、敬礼をする相手なのか。

 金色の髪の毛は背中の半ばまで長く、瞳は大きく、澄んだ水色。

 服装は高級そうなドレスだ。それがやたら似合っているというか、型にはまっているというか。着せられている感じはなかった。

 でも、どう見ても十代前半だった。

 どこかの貴族のお嬢さん、だろうか。

 いやいや、違う。何かを忘れている。

「皇帝陛下に敬礼!」

 マリアンナが突然に大声を出したので、反射的に僕は解きかけて姿勢、敬礼をもう一度、していた。

 ……皇帝陛下?

 入ってきた少女が微笑みながら、今は頭を下げている男性の前を抜け、玉座のような椅子に座った。画家が改めて頭を下げて椅子に腰を下ろし、デッサンを始めた。

「敬礼はいいわよ、マリアンナ。ここにあなたたちがいることは秘密ですから」

 マリアンナが敬礼を解いて、頷く。

「なら、寛がせてもらうわよ。リン、座って」

 腑に落ちないまま、僕は空いている椅子に腰を下ろした。侍女が小さな机を運んできて、僕とマリアンナの前に置いた。

 部屋の隅に用意されていた台車が引っ張ってこられて、載せられていた軽食が机に並ぶ。どれも簡単に摘めるようなものだけど、手が込んでいるのは一目瞭然だ。

「えっと」僕は画家の前で姿勢を変えない少女の方を伺った。「どなたです? 皇帝陛下?」

「まさにその人、皇帝陛下よ。リーア・シャリーン・ロルス四世陛下。知らないの?」

「知ってますよ。帝国民ですから」

 少女が忍び笑いを始めた。

「皇帝陛下の顔を知っているのは、本当に一部の人間ですからね」

 そういう少女の余裕は、揺るがない自信を感じさせる。

 師範学校の入学式での声を思い出したいけど、それはもう、激しい調練の記憶に塗りつぶされていた。

「証拠が欲しいの?」

 マリアンヌがサンドイッチを食べつつ、少女の方を指差す。

「あの指輪は皇帝のみが身につけることができるものよ。それくらいの知識はあるでしょう」

 確かに、少女の手元には、大きな赤い宝石の指輪がある。

 その指輪は、子供の時に聞かされた物語に登場した、皇帝に伝わる指輪、そのものに思える。

 しかしここまでくると、もう何も信じられない。

「意外に狭量な方ですね、リン・リーさんは」

「いえ、それは……」

 少女の言葉に、どう答えたらいいんだ?

「友人を信じないのですか?」

「マリアンナの事は、信じます。ただ、現在の状況は、ちょっと……」

「やはり度量が狭いのですね」

 少女は生意気にもこちらを挑発しているらしい。実際、それは効果的だ。

「私が皇帝であることを示すのは、簡単です。皇族は水色の瞳をしているのですから」

 そうか、気付かなかった。いや、気づいたけど、理解を拒否していた。

 少女の瞳は、水色。選ばれし者の、証明だった。

「失礼しました、陛下」

 立ち上がり、腰を折った。

「楽にせよ」

 少女の声の響きが、先程までとは違っていた。重みのある声は、のしかかるように耳に響く。

「楽にね」

 ガラリと声が変わり、気安いものになる。僕は姿勢を戻し、ゆっくりと椅子に座り込んだ。視線を向けるのも不敬になる、と無意識に考え、視線をリーアに向けられなかった。

「楽にして。マリアンナは私のお友達で、ここにいる」

 リーアがゆっくりと話すのを、僕は直視できずに、テーブルを睨みつけて聞いた。

「あなたのことも、マリアンナから聞きました。私もあなたとお話がしたくなって、ここに無理やり、呼びつけてしまいました。お嫌でしたか?」

「いえ、そんなことは。汗顔の至り、と申しますか……」

 どういう言葉を使えばいいのかも、わからなくなっていた。

 皇帝陛下のご尊顔を拝し……恐悦至極……、いや、えーっと、その後に、どう続ければ……。

「気軽にいきましょう、リン。マリアンナを見習って、ね」

 横を伺うと、当のマリアンナはサンドイッチを口に放り込み、お茶を飲むと、行儀が悪いことにサンドイッチのソースのついた指を舐めていた。

 ……たぶん、わざとやって見せてくれたんだろう。



(続く)

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