6-2 休日 (後編)
キクスがニヤッとマリアンナに笑いかける。
「でかい獲物を担いできたのに、すまんなぁ、こっちはウサギが焼けたところや」
「私の負けね。もらっていい?」
「はよ、食おか。猪も新鮮な奴は上手い、食べ終わったら、血抜きして、刺身で食ってみよ」
僕には自分がいる世界がわからなくなっていた。
ウサギの肉は脂がにじみ出て、いい匂いをさせている。キクスもマリアンナも、美味そうに食べている。僕も恐る恐る、口をつけた。
それでもどこか、不気味だった。
さっきまで生きていたのに、今はもう、ただの肉だ。
僕がゆっくり食べている間に、キクスとマリアンナが猪を解体していく。周囲に生臭さが立ち込めた。
それから僕は小川の水を少しだけ飲んで、二人の様子を観察した。
びっくりすることに、二人は役割分担して、片方が燃えるものを集め、片方が大きい石を集め始めた。すぐに二人の姿が木立に消え、少しすると戻ってくる。
どういう手法なのか、森の中でも僕と三頭の馬がいる場所を、把握しているのだ。どれだけ離れても、迷わないのか?
目の前で薪が山になり、石も山になる。
石が積み重ねられていき、瞬く間に筒のような風に組み上がった。高さはそれほどない。
その中に薪が放り込まれていく。
大きな葉っぱが十数枚、運ばれてきた。
何をするのか、注視していると、薪に火がつけられ、徐々に煙が上がる。
そこで、筒の上に、串代わりの木で貫かれた猪の肉が差し出された。火は当たらないから、どうやら煙で燻すつもりのようだ。
大きな葉っぱが、筒の上に何枚も重ねられ、蓋の代わりになった。
「デザートや」
ぽいっとキクスが僕とマリアンナに名前がわからない果実を放ってくる。マリアンナが無警戒に食べたので、僕も食べてみた。酸っぱいけど、美味かった。
猪の肉が燻製になるまで、マリアンナとキクスが猟の仕方について話している。
「どこぞのお坊ちゃんはしらんようやな」
ニヤニヤと笑いつつ、キクスがこちらを見る。ムッとして言い返す。
「故郷では猟師の手伝いもした」
「火も起こせんのにか」
ぐうの音も出ない。あの時は、本当に手伝いで、僕は捕まえた動物を運ぶのが主な仕事だった。次までには火くらいは手早く起こせるようにしよう。
燻製が出来上がると、マリアンナとキクスが積んである石を崩して、自分たちの痕跡も可能な限り消し始めた。
「戦場では痕跡を残しちゃまずい場面もあるから、その練習」
ぼけっと眺めている僕に、マリアンナが笑って言う。
ここに至って、全てが訓練なんだとわかった。長く馬に乗ること、馬を潰さないやり方、火を一から起こす、食べ物を手に入れる、森の中で迷わない、手早く料理する、痕跡を消す。全てが重要だった。
「帰りましょう。夕方には戻らないと」
三人で馬を道まで連れて行き、跨ると、すぐに駆け始めた。
帰り道も、やっぱり馬のことばかりが頭にあって、あっという間に帝都に戻っていた。
「ちょっと用事があるから、またね、二人とも。帰り道、気をつけて」
マリアンナが馬場を通り過ぎて駈け去った。用事ってなんだろう?
馬場で馬を返し、水と秣を与え、体を少し洗ってやる。キクスはマリアンナが自分の白馬にするのと同じくらい、丁寧に世話をしていた。ガサツなようで、それだけではないのだ。
厩舎を出ると、キクスが言った。
「猪肉の燻製、美味いと思うで。大事に食べや」
燻製にされた肉は、三人で均等に分けていた。僕の荷物にもちゃんとある。
彼はブラブラと去って行った。
それにしても、マリアンナはどこへ行ったんだ?
◆
帝都の中央にある帝宮は、正式名称をアレストリア大宮殿というけど、もう誰もそんな風には呼ばない。
その帝宮の中でも、皇帝が私的に利用する部屋に、その客は来ていた。
部屋に入ると、妙な匂いが漂っている。
「マリアンナ、久しぶり!」
私が言うと、彼女は直立して踵を合わせ、敬礼した。
「その冗談、面白くないって分かっているでしょ」
苦笑するしかない私に、マリアンナも相好を崩す。
「久しぶりね、リーア」
「学校の休みが少なすぎるのよ」
「リーアの仕事が忙しすぎるのもあるわよ」
部屋の廊下へ通じるドアのすぐ横に、ミラが立っている。しかし今はどこか気を許している気配がある。他には部屋には誰もいない。
「昼間に来ると思っていたけど、どうしてこんな時間に?」
窓の外はすでに日が暮れかかり、空は濃紺よりもなお暗い色だ。
「お土産があってね」
言いながら、マリアンナは持っていた小さな袋から、何かを取り出して差し出してくる。
ムッとした匂いが濃くなる。
「何かしら」
受け取ってみると、何かの肉らしい。しかし硬い手触りだった。
「猪の肉よ。今日の昼間、燻製にしたの」
「猪? どこで買ったの?」
「山の中だね。購入したわけではなく、狩猟で手にいれた」
思わず私はマリアンナを凝視してしまった。残酷なことをしそうもない顔をしながら、そういうこともするのは、知っていた。でも何度、同じ場面に出くわしても、マリアンナの顔を見てしまう。
それくらい彼女の外見は、まさに清楚なのだ。
虫も殺せにように見える。
「一人で行ったの?」
「三人よ。二人とも、面白い生徒でね。片方はリーアにも話したことがある」
誰だろう? 禁軍師範学校の生徒といえば、とすぐに思考が回り、思い至った。
「試験で教官を倒した受験生?」
「正解。でもまだまだひよっこでね」
「気になるわ。ゆっくり話しましょうよ。座って」
私たちはテーブルを挟んで椅子に腰掛けた。ミラがすぐに支度をして、レモンの果汁を絞った水を入れたグラスに、氷を浮かべたものを運んできた。
マリアンナの話に、私は頻繁に相槌を打った。
リン・リー、というのが彼の名前だ。マリアンナ自身は見ていないようだけど、相当な剣術を使うらしい。でも体力もないし、馬術はどうにか一人前になったばかり、今日の昼間は見ているだけだった。
部外者の私から見ると、試験で教官を倒したという一点だけで、師範学校に紛れ込んでしまった、力不足の少年、という印象だった。
「でも、不思議なところもあるの」
顎を撫でながら、マリアンナが言う。
「どこが不思議なの?」
「逃げようとしない。走っている時、それこそ徹底的に教官に打たれているのに、諦めないの。何度転んでも、何度気を失っても、立ち上がって、調練に戻る。根性がある、ってことなんだろうけど」
「へぇ。元は辺境の街にいたんでしょう? 逃げる先がないだけじゃないの?」
うーん、とマリアンナが首を傾げた。
「たぶん、違うわね、あれは。彼は、目的を持っているんでしょう」
「目的? 禁軍に入る、ってこと?」
禁軍師範学校は、禁軍の指揮官を要請するのが設立の目的で、今では禁軍だけではなく、地方軍の指揮官になるものも多い。
禁軍に入るには、成績優秀者と見られないとダメだから、今の彼の成績では、どう頑張っても、地方軍の末端の指揮官にしかなれない。
「軍人はもう戦う相手もいないし、安全な職業じゃないの。禁軍にこだわるのは、前時代的だわね」
私が言うと、マリアンナがニヤニヤと笑う。
「私も禁軍に拘っているんだけど?」
「あなたは私の友人ですから、ぜひとも禁軍に入って、助けてもらいたいわ」
「期待に応えるように努力します」
「それで、リン・リーさんは、そのマリアンナの目から見て、どこまでいく? 卒業までは行くのかしら?」
わからないわね、と肩を竦めるマリアンナ。
「根性があるのと同時に、強情でもある。どこかで誰かと衝突するのは、目に見えているかな」
「そうなったら、助ける?」
マリアンナは笑って見せるだけで、はっきりとは答えなかった。
それから一時間ほど、マリアンナと話をした。猪の燻製は、どこか味わい深くて、新鮮な味だった。
「では、そろそろ失礼させてもらうわね」
マリアンナが席を立った。そして敬礼する。
「皇帝陛下に、敬礼」
(続く)




