6-1 休日 (前編)
夕方の馬場は、夕日で真っ赤だった。
いつも決まった馬に乗るわけではないので、難しい時もあるけど、最初に比べてみれば雲泥の差だ。
裸馬でも乗りこなせるとマリアンナが認めてくれたので、この自主訓練の時は、鞍と手綱をつける。教程の時の馬術の稽古では、まだ裸馬だけど、落馬はもうしない。
馬の駆ける速度を小まめに変えたり、馬首を頻繁に変えたりする稽古をしていた。
マリアンナは四年生なので、自分の馬が用意されているわけで、その馬は白馬だった。体も大きい。
何より、動きは僕の馬とは比べ物にならない。
「終わりにしましょう」
そう言われて、僕はゆっくりと地面に降りて、轡をとって、厩舎へ向かう。マリアンナが歩み寄ってきた。
「お友達は今日も来ているわね」
彼女の視線の先には、キクスがいる。彼は馬場を囲む柵に腰掛けて、こちらを見ていた。
彼も立ち会った決闘から数日後、夕方のこの時間、馬場へ来るようになった。しかし馬には乗ろうとしない。一度、誘ってみたけど、返事は簡潔だった。
「馬は好きじゃないんや」
その言葉の真意を、馬術が得意じゃない、と僕は受け取っていた。
「みっともないところを見せたくないんですよ」
「そんなこと、あるわけないわ」
クスクスとマリアンナが笑う。
「どうしてですか? 実際に馬に乗っているところを、見たことないですよ」
「彼があなたたちと一緒に午後の調練を受けているのを見たこと、ある?」
なかった。でもその理由は今まで、誰からも聞かなかったし、知ろうとも思わなかった。
「能力の高い上級生は、午前中に運動をするの」
予想もしていなかった。
「私もそうよ」
「でも、馬場で初めて会った時、午後にいたじゃないですか」
「あの時は例外よ。私が乗る馬を探していたのよ」
そうか、あの時にマリアンナが乗ってた馬は、白馬ではなかった記憶がある。
「キクスが、勝ち組かぁ」
「信じられない?」
「まさか。その方が自然ですよ」
また小さくマリアンナが笑い声を漏らした。堪えているのがわかる。
「明後日から三連休ね。予定は?」
「何もないですよ。故郷に帰るには三日じゃ足りませんし」
珍しくマリアンナから予定を聞いてきたので、ちょっとドキッとしつつ、自然に応じた。
「じゃあ、ちょっと遊びに行きましょう。彼も連れてね」
言いながら、マリアンナがキクスを手招く。彼は柵から降りると、こちらへやってきた。
「なんや? なんか用か?」
「先輩への口の利き方、知らないの?」
「しゃちほこばって欲しいんか?」
僕は思わず苦笑いした。キクスは教官以外にはこんな感じなんだろうと容易に想像できた。
「休みに、出かけようかってリンに話したの。あなたも誘って行くつもりだけど、どう?」
「帝都へか? 帝都は去年、じっくり回って、もう飽きたわ」
「私は三年もじっくり回って、飽き飽きよ。もっと別の場所。外へ行こうかなと思っている」
外? 僕は話の流れが掴めなかったけど、キクスは察したようだ。
「歩きじゃないな? 馬か?」
「馬術の稽古も兼ねてね。馬は嫌いらしいけど、来ないの?」
「いや、行くで。面白そやな」
意外な展開になってきた。
しかし、外? 馬術の訓練?
「手続きは私がしておくから、じゃあ二人とも、明後日の夜明けにはここへ来てね。朝食は済ませておいて。お昼ご飯は持たずに行こう」
何が何やらわからないけど、一日の遠出らしい。
馬を使う、ということは、遠駆けか?
詳しく聞こうにもマリアンナがはぐらかし、キクスに聞こうにも、キクスも教えるつもりはないらしい。
あっという間に当日になった。
食堂で朝食を軽く済ませ、馬場へ行くとすでにマリアンナもキクスもいた。マリアンナの白馬と他に二頭、馬が厩舎からもう出てきていて、鞍が載っていた。
「じゃあ、行こうか」
マリアンナが待ちきれなかったように馬に乗り、キクスも乗る。僕も慌てて騎乗した。
馬をゆっくりと歩かせ、馬場を出た。馬場を管理していた兵士が軽く手を挙げた。
師範学校の敷地を進む。今日から三日は、全てが休みだ。すれ違ったり追い抜く生徒は、みんなどこか楽しそうだ。
先帝の生まれた日が今日で、特別に三日は休みなのだった。師範学校は一年で休みは二十日もない。
実家に帰る生徒も多いだろうけど、僕には無理だ。なにせ片道が三日だし。
三頭の馬の縦列で、城壁へ向かう。この敷地に入った時の城門は真うしろ、正反対の位置になる。
そのうちに前方に城門が見えた。開門されている。そこに到着すると、マリアンナが書類を衛兵に見せた。すぐに書類は返され、マリアンナは外へ出て行く。キクスと僕も外へ出た。
「さて、駆けるわよ」
マリアンナがそう言った途端、彼女の白馬が駈け出す。
キクスも馬を走らせるので、僕は追うしかない。
最初こそ余裕があったけど、徐々に疲れてくる。少しするとマリアンナは馬を休ませるために速度を緩めるけれど、馬に余裕ができると、また速度を上げるのだ。
どれくらい走っていたかわからないのは、馬を御すことに精一杯で、そんなことを意識できなかったためで、ただいつの間にか太陽が真上に近い位置にある。
帝都を出た時は周囲は田園地帯だったのが、原野になり、今は森の中の道だった。
馬を止め、ひらりとマリアンナが下馬した。キクスもその横に降りる。僕が追いついた時には、二人とも、馬の轡を引いて山の斜面を降りて行っている。
何があるんだ? 渋々、二人に倣って馬を引いていくと、林の中に小川が流れていた。二人の馬はそこで水を飲んでいる。このために降りたのだ。
「ちょうどいいような場所ね。お昼ご飯にしましょうか」
「そいつは良い。競争しよか、先輩」
「望むところよ」
二人が馬をその場に残して、山の中に分け入って行った。別々の方向だ。
僕は途方に暮れた。
だって、何の説明もない。
この山の中に土地勘なんてないし、ここを離れてしまうと、二度と戻れそうもない。
しかも、お昼ご飯にするって、何も持ってきていないのに、何を食べるんだろう。
競争って?
仕方なく、僕はその場で待っていた。馬を時々、撫でたり、その馬が草を食べているのを眺めるしかなかった。
小川のせせらぎ、周囲の緑。癒されるなぁ。
「なんや、リン」
突然の声に振り向くと、キクスが立っていた。片手に何かをぶら下げている。
最初、何なのかわからなかった。
「ウサギや。三羽ある。十分な獲物やろ?」
彼は言いながらも、取り出した短剣でウサギを捌き始めていた。
「どうやって捕まえた?」
「石を投げつけた。コツがあるんよ」
手早くウサギの皮を剥いで、肉の血を抜いて、今度は木で串を作り始めている。
彼がこちらを見る。
「火を起こしてくれや、リン。新鮮なウサギは美味いで」
眼の前で繰り広げられる残酷な光景に、僕は絶句していたわけだけど、言われて、慌てて火を起こす準備を始めた。
師範学校では様々な授業があって、その中には野外で火を起こしたり、猟をするような授業もある。
火を起こすのは実際に授業でやったことがある。
それでも苦労して、どうにかこうにか火が起こると思った時、風が吹いて、儚く火種は消えた。
「見てられんわ。剣術だけじゃなくて、これも練習しときや」
キクスが手早く火を起こし、そこに僕が集めていた枯れ枝を放り込む。三本に一本は明後日の方向に投げ捨てられる。
「乾いた枝を選ぶんや。基本の一つやで」
自分の無能さを呪いつつ、炙られ始めたウサギの肉を眺めるしかない。
いい具合にウサギが焼けてくる。マリアンナは帰ってこない。
「あの女、何をちんたらしとるんや? 肉が焼けてまうぞ」
「待っていようよ」
「目の前に最高に美味い肉があるのに、遅れている奴を待つ理由があるかいな。食べよか」
ガサッとすぐ近くで足音がして、僕たちはそちらを見た。
「欲張りすぎた」
現れたのは、マリアンナだった。
しかし、でかい何かを背負っている。
「何というか」キクスがつぶやく。「豪勢やな」
「だから、欲張りすぎたって言っているでしょ」
地面に横たえられたのは、猪だった。子供のようだが、そこらの人間の子どもくらいの大きさがある。それが力なく、僕のすぐ横に転がっている。
どうしてか、ものすごく怖い……。何でだろう……?
(続く)




