第一章「これから宇宙を見に行こうよ」④
「ねえ、私たちってどうして生まれたんだろう? 宇宙の歴史を知ればその答えも分かるのかな? 先生のこの本には人間の存在理由が書いてあるってこと?」
ハルカは裏表紙のあらすじを読みながら宗平に尋ねる。
「その本には、宇宙創世から人類誕生までの歴史を分かりやすく書いたつもりだ」
「そうなんだ。ねえ、せっかくだから山梨に着くまでの間、先生に授業をしてほしいな。どうして人間はこの世界に存在しているの?」
宗平は顎に手を当てながら言う。考える時にはそうするのが癖だった。
「どこから説明すればいいのだろう? 宇宙創世の最初から説明してもいいのだろうか。それとも人類誕生の直前から説明するべきなのだろうか。君はどちらがいいと思う?」
「私は最初から話を聞きたいな。宇宙がどうして生まれたのかすごく気になる」
「分かった。初心者にも分かるようにできるだけ専門的な詳細を避けて説明しよう」
「よろしくお願いします、先生」ハルカはそこで頭を下げる。
「僕たちが住んでいる地球は太陽のまわりを回っている。その太陽は天の川銀河をつくる恒星の一つだ。銀河は宇宙にたくさんあるけれど、それらはお互いに離れていく。遠くにある銀河系ほど速いスピードで離れていくんだ。その観測事実から分かることは、はるか昔にはすべての銀河がひとつの場所にあったということ。宇宙はその一点からすさまじい速さで膨張しているんだ。その最初の衝撃のことをビッグバンと呼んでいる」
「ビッグバンは私でも聞いたことがあるよ。広大な宇宙がたった一点から始まったなんて不思議だね。でも、何もないところからどうしてビッグバンは起こったんだろう?」
ハルカはそこで首を傾げる。宗平は困ったように眉をひそめる。
「ビッグバンがどうして起こったのかはまだよく分かっていない。よく言われるのは時間も空間もない無から宇宙が生まれたというものだ。ビッグバンの始まりは空間の大きさがゼロ、密度が無限大の極限状態である特異点と呼ばれている。その特異点では物理法則が成り立たなくなってしまう。だから宇宙の最初の瞬間を解明することはできないんだ」
「そうなんだ。でも、ビッグバンが宇宙の始まりということは分かっているんだね」
「そうだ。ビッグバンは理論上、存在することが計算で導き出される。そしてビッグバンの残光を実際に観測することもできる。大昔の宇宙は非常に高温で光り輝いていた。その残光が今でも宇宙空間に漂っているんだ。宇宙で星のないところにアンテナを向けても、不思議なことにある電波を観測することができる。この何もない背景からやってくる謎の電波のことを宇宙背景放射と呼んでいる」
「大昔のビッグバンが今でも観測できるなんてすごいね。そのビッグバンでいろんなものが生まれたということなの?」ハルカはまた首を傾げる。
「そういうことだ。宇宙背景放射を調べることで宇宙のさまざまな事実が分かる。宇宙が生まれたのは138億年前だと言われている。ビッグバンの膨大なエネルギーから原子の元である素粒子が生まれたが、宇宙の内容はそれだけでは説明できないんだ。通常の物質である原子などは宇宙の成分のうちわずか数パーセントでしかない。宇宙には僕らが観測できない謎の物質やエネルギーが大量に存在しているんだ」
「つまり宇宙の成分のほとんどは分からないということ? なんだか怖いね」
ハルカは身を縮ませる。その表情は険しくなっている。
「そうだね。僕らが観測できないものをダークマターやダークエネルギーと呼んでいる。銀河の運動速度はとても速い。本来ならばバラバラに存在していてもおかしくないんだ。でも実際には銀河団というまとまりを作っている。それは目に見えない重力源が銀河団を覆っていて、バラバラにならないようにつなぎとめているからなんだ。その目に見えないダークマターは僕らが観測できる物質のおよそ六倍ほどの総重量で存在している。僕らはそんな目に見えないものに支えられて生きているんだ」
「なるほど。観測できない重力源のことをダークマターというんだね。すごくかっこいい名前だな。じゃあもう一方のダークエネルギーはどういうもの?」
「あらゆる物質は重力をもたらす。重力というのは物質が引き合う力だから、宇宙を収縮させる方向に働くはずなんだ。でも実際の宇宙はむしろ加速しながら膨張していることが分かっている。それを説明するのがダークエネルギーなんだ。物質の重力が宇宙の膨張を減速させるブレーキだとすれば、ダークエネルギーは宇宙の膨張を加速させるアクセルの役割を果たしている。これも目に見えないけれど大切なものだ」
「なるほど。ビッグバンで素粒子ができた後、宇宙の歴史はどのように進んでいくの?」
「まずは恒星の内部で元素が作られるんだ。ビッグバンで作られたのは水素とヘリウムという元素だけだった。酸素や炭素などの残りの元素を生成したのが恒星なんだ。原子核は融合して、膨大なエネルギーを放出しながらより重い元素を生成する。その反応を核融合というんだ。それらが超新星爆発によって宇宙にばら撒かれると太陽や地球が生まれる。大気や海洋が形成されると、生命の元になる有機分子が合成される。それらの有機分子が集まると細胞が形成される。生命の起源は単細胞生物なんだ。やがて細胞同士が集まってシステムを作り出し、動物や植物のような真核生物が生まれる。生物はさまざまな競争や環境変化の中で進化する。そして現生人類であるホモ・サピエンスが誕生するんだ。そう考えてみると僕らの存在は奇跡のように思えるよ」
「なるほど。教えてくれてありがとう。勉強になったよ。それと、もうひとつだけ教えてほしいことがあるんだ。私たちはどのように生きていけばいいのかな? 私たちが生きる意味について教えてほしい」
宗平はいきなりの問いに困ってしまう。人生の意味なんてよく分かっていないのだ。
「申し訳ない。僕は人生の意味について語ることができないんだ。哲学や心理学から論理的な答えを導くことはできるかもしれない。でも、自分自身の実感として納得できる答えは未だに見つけられていないんだ。僕は正直に言うと自分の人生に絶望している。だから僕はまだ人生の意味について探している途中なのかもしれない」
「そうなんだ。先生でも分からないくらい人生の意味って難しいんだね。昔の偉い人たちは人生の意味についてどう言っているんだろう? まずはそこから考えてみたいな」
「哲学にはサルトルなどが示した実存主義というものがある。簡単に言うと人はまず存在していて、後から人生の意味を選択するというものだ。実存は本質に先立つという。人は自由であるからこそ人生に責任を負うんだ。あるいは仏教などの東洋思想ではこのように語られる。人はつながりの中で生きており、今この瞬間をありのままに生きることが大切だという。人生に無理やり意味を求めることが苦しみとなるんだ」
「うーん……なんだか元も子もないという感じだね。理屈では分かるけど、私が知りたいことからは離れている気がするな。他にも人生の意味について語っているものはないの? たとえば精神科の先生はどういうことを教えてくれるのかな?」ハルカは首を傾げる。
宗平はいきなりの精神科という言葉に戸惑いながらも、ハルカの問いに答える。
「強制収容所での壮絶な体験を描いた夜と霧という本がある。その本を書いた精神科医のヴィクトール・フランクルはこう語っている。人生の意味は三つの価値から見いだされるという。一つ目は創造、たとえば自分の仕事をすること。二つ目は体験、たとえば誰かを愛すること。そして重要なのは三つ目だという。人生の意味は苦しみに対する態度の中に見いだされる。つまり状況は変えられなくても、自分がそれにどう向き合うのかは選べるということだ。まあ、今の自分にそんな気力はないけれど」
「なるほど。そう言われるとちょっとだけ勇気がわいてくるかも。苦しみの中でも人生の意味は見いだせるということだよね。もし先生が答えを見つけたら私にも教えてね」
「分かった。君も人生の意味を見つけたら教えてほしい。君の答えには興味がある」
二人を乗せた列車は山梨に近づいていく。ハルカは本を読み、宗平は眠りにつく。二人の旅がどういう人生の意味を形成するのか。それはまだ誰にも分からない。




