第四章「なんて弱い人間なのだろう」②
やがて遥楓は五歳の誕生日を迎えた。宗平は仕事の終わりにいちごのケーキを買った。三週間前の四月一日、彼は若くして大学教授になったばかりで忙しかった。でも、この日だけは家族と過ごしたいと思い、定時で仕事を終わらせていた。自宅に帰ると、涼夏たちが誕生日会の準備を始めたところだった。
「私たちもさっき幼稚園から帰ってきたところなの」涼夏は言った。
涼夏は出産後、一年間の育児休暇を取ってから仕事に復帰した。精神科の専攻医として働き、つい先日に精神保健指定医の資格を取ったばかりだった。これからますます仕事が面白くなりそうだと涼夏は言っていた。
宗平はリビングの飾り付けを手伝った。遥楓は涼夏と一緒に折り紙を使って楽しそうに飾り付けをしていた。そんな二人の笑顔を見て、宗平は改めて幸せを実感した。飾り付けが終わるとみんなでダイニングテーブルの席についた。ケーキをテーブルの上に置くと、遥楓は大きな瞳を輝かせた。
「とってもおいしそう! お父さん、買ってきてくれてありがとう」
「遥楓が喜んでくれると、お父さんも嬉しいよ」
「本当においしそうだね。じゃあ、ろうそくに火をつけましょう」涼夏が言った。
ろうそくに火がともると宗平はリビングの照明を消した。ろうそくの火が家族の温かい雰囲気を演出していた。みんなは誰からともなく誕生日の歌を口ずさんだ。
「遥楓、ろうそくの火を一気に吹き消してごらん」宗平は言った。
「わかった、やってみる」そう言って、遥楓は大きく息を吸った。
習い事の水泳で息継ぎが上手くなったのか、遥楓はろうそくの火を一気に吹き消すことができた。嬉しそうに「やったー」と手をあげる遥楓を見て、宗平は彼女の成長を改めて実感することになった。生まれてから五年で遥楓は大きくなった。その成長スピードには目を見張るものがあった。子どもにとって一日一日がどれほど大きいものであるか。宗平は子どもの成長を見ながら、自分も負けていられないなとひそかに決意するのだった。
「ケーキを食べてもいい?」遥楓は大きな瞳で宗平を見ていた。
「もちろんだよ。お母さんにケーキを切り分けてもらったらさっそく食べよう」
涼夏が包丁できれいにケーキを切り分けると、みんなは手を合わせた。
「いただきます!」遥楓は口の周りにクリームをつけながら嬉しそうにケーキを食べた。
「慌てて食べるとケーキをのどにつまらせるよ」宗平は笑顔で言った。
「本当にこのケーキはおいしいね」涼夏は満足そうにケーキを味わっていた。
「私ね、将来の夢ができたんだ」ケーキを食べ終わると遥楓が言った。
「おっ、それはいいね。遥楓は大人になったら何になりたいんだ?」宗平が応えた。
「私は大人になったら、お母さんみたいなお医者さんになりたいの! いつも楽しそうにお仕事の話をするお母さんを見ていると、かっこいいなって思うんだ!」
涼夏は瞳を潤ませながら、遥楓のことをそっと抱きしめた。
「ありがとう。そう言ってもらえると、今まで頑張ってきてよかったなって思うよ」
「えへへ、お母さんよく頑張りました。えらい、えらい!」
そう言って、遥楓は小さな手で涼夏の頭をなでた。涼夏はその喜びを実感するように、そっと目を閉じていた。宗平はもらい泣きしそうになるのを必死にこらえた。
「ここでお父さんとお母さんから、遥楓にプレゼントがあります」
宗平は部屋から大きな赤い袋を持ってくると、遥楓に差し出した。
「わっ、ありがとう! さっそく開けてもいい?」遥楓は目を大きく見開いた。
「もちろん、開けてみて。遥楓が喜んでくれると良いけれど」宗平は言う。
プレゼントは遥楓が欲しいと以前から言っていたお人形遊びのセットだった。子どもに大人気のシリーズで、涼夏も子供の頃は大好きだと言っていた。
「やった! 私がいちばん欲しかったやつだ!」遥楓は大きな声で言った。
楽しそうにおもちゃの箱を開ける遥楓を見て、二人はホッとしたようにお互いを見た。
「さっそく遊んでもいい? というか、お母さんと一緒にこれで遊びたい!」
「いいよ。片付けと食器洗いは僕がやっておくから、二人は遊んでおいで」
「任せちゃっていいの?」涼夏は気をつかうように尋ねる。
「それくらいはせめてやらせておくれ。いつもは涼夏に迷惑をかけてばかりだから」
「なら、お願いするね。ありがとう」そう言って、涼夏は遥楓と一緒に遊びはじめた。
宗平は食器洗いをしながら考えていた。お母さんみたいなお医者さんになりたいのか。楓という字の通り、あの子はたくましくなったんだな。遥楓は母親に似て、器用で要領がいいことを以前から宗平は感じていた。医師になることは彼女にとって難しい夢ではないだろうと思った。自分の不器用さが遺伝しなくて本当によかったと安心した。
食器洗いが終わってソファでコーヒーを飲んでいたところで、遥楓が言った。
「お父さん、お星さまを見に行きたい! 私をきれいなところに連れて行ってほしいな」
「おっ、いいよ。今度の土曜、家族みんなで天体観測に行くか!」
「それはいいね。みんなで行こう!」涼夏も楽しそうに盛り上がっていた。




