第三章「これが本当の初恋なのかもしれない」④
嵐山に着くと、二人はまず桂川にかかる渡月橋を歩いた。日曜日ということもあって、たくさんの観光客で混雑していた。二人はゆっくりと景色を見ていろんなことを話した。
「あの、ひとつ提案があるんですが、いいですか?」涼夏は首を傾げた。
「なんでしょう?」そう言って宗平は涼夏を見返した。
秋の紅葉が広がる桂川を背景にした涼夏は、いつもよりさらに美しく見えた。
「私たち、敬語をやめてみませんか? 私のことは涼夏って呼び捨てにしてください」
「いいんですか? じゃあ、やってみますね。涼夏、よろしく。なんだか恥ずかしいな」
「あはは! なんなの、それ。面白いな。ねえ、私は宗平さんのこと、なんて呼べばいいかな? 年上の人に呼び捨ては変だよね」涼夏は楽しそうに笑っていた。
「呼び捨てにしていいよ。その方が距離も縮まって嬉しいよ」
「分かった。ねえ、宗平。これからどこに行くの?」
ため口で首を傾げる涼夏のことが、宗平には何よりも可愛く見えた。
「これから行くのは竹林の小径という場所だよ。まるで昔の京都に迷い込んだみたいで、とても美しい光景なんだ」
「そうなんだ。とっても楽しみ! ねえ、宗平。今日は誘ってくれてありがとうね」
「何を言っているの、涼夏。こちらこそ、お誘いを受けてくれてありがとうだよ」
「ううん。実は、宗平とのデートをずっと楽しみにしていたんだ。今日は宗平のおかげでとっても楽しいよ。本当にありがとう」
涼夏の言葉を聞いて、宗平は思わず泣きそうになった。出来ればこの先もずっと涼夏と一緒にいたいと思った。愛おしさのあまり、気がつくと彼女の手を握っていた。まずいと彼は思った。たとえ良い雰囲気だとしても、初デートで相手の了承を取らずに、いきなり手を繋ぐなんて。彼は慌てて手を離そうとしたけれど、涼夏はその手を離さないと思ったかのように、力強くその手を握り返した。
「良いんだよ、手を繋いで。実は、私もそうしたかったんだ」
「ありがとう。君と出会えて本当に嬉しい。僕は、涼夏のことが好きなんだ」
宗平は気がつくと告白をしていた。今日はそのつもりはなかったのに。
「ありがとう。私も、宗平のことが好きだよ」
混雑した人混みの中で思わずしてしまった突然の告白を、涼夏は笑顔で受けてくれた。宗平は気がつくと嬉しさのあまり涙を流していた。そして涼夏の潤んだ瞳にもよく見ると涙が浮かんでいた。二人はお互いの涙を見て、思わず吹き出した。
「どうして泣いているんだろうね、私たち」涼夏は涙を手で拭いながら言った。
「こんな人混みで大人が泣いているなんておかしいね」そう言って宗平も笑った。
それから二人は、手を繋いで嵐山を散歩した。目にうつる紅葉がとても綺麗に見えた。二人はやがて竹林の小径と呼ばれる場所についた。竹林を背景に佇んだ涼夏はまるでよくできた絵画の一部になったかのように美しかった。宗平はその光景に思わず息をのんだ。彼はひそかに持参していたカメラを取り出すと、涼夏に尋ねた。
「ひとつお願いがあるんだけれど、記念に写真を撮っても良いかな?」
「いいよ!」涼夏は笑顔でVサインをした。そんな彼女のことも宗平は愛おしく思えた。
嵐山をあとにすると、二人は夕方の鴨川に向かった。河川敷にはたくさんのカップルが寄り添っていた。美しい夕日が京都の街並みに沈んでいくところだった。二人は河川敷の空いている場所に腰を下ろした。手を繋いだまましばらく一緒にたそがれていた。宗平は意を決して大切な言葉を口にした。緊張していたけれど、今度は悔いのないように涼夏の目を見てはっきりと言った。涼夏はそれを真面目な表情で聞いてくれた。
「長塚涼夏さん。好きです。僕とお付き合いしてくれませんか?」
「山本宗平さん。もちろんです。私こそよろしくお願いします」
二人は手を繋いだまま、どちらからともなく口付けをした。それは今までにした口付けとは違って、お互いの愛情に満ちた心地の良いものだった。宗平は天に昇るような気持ちになった。ここで人生が終わっても良いとすら思った。それから二人は抱きしめ合って、お互いの体温を感じた。宗平はここから本当の人生が始まるのだと思った。
「私ね、こんなふうに幸せを感じたのはきっと人生で初めてだと思うの」
「僕も、本当の幸せを知ったのはこれが初めてかもしれない」
「お互いにもしかすると、これが本当の意味での初恋なのかもしれないね」
「そうかもしれない。僕の恋人になってくれて、本当にありがとう」
「こちらこそ、ありがとう。私も、ずっと宗平のことが好きだったんだよ」
宗平は幸せのあまり心が躍った。恋していたのは自分だけじゃなくて、涼夏も以前から好きでいてくれたなんて。こんな幸せがあっていいのだろうか。
二人は改めて抱きしめ合った。相手の温もりが自分の凍えた心を溶かしていった。そこでお互いに初めて知った。自分の心がこれまで凍えていたことに。二人は思った。絶対にこの人の手を離さない。この人のことは自分が幸せにするんだ。日付は十月十日。宗平が二十四歳で、涼夏が二十歳だった。二人はここからお互いに愛を育んでいく。




