4.ドレス
朝の鐘が鳴る頃、一台の馬車が街路を進んでいた。
黒塗りの車体には、獅子を象った家紋が金糸で描かれている。
御者が手綱を操り、馬車は街の目抜き通りを滑るように進んでいく。
向かいに座る女性書記が、革表紙の予定帳を開いた。
濃紺の仕立ての良いドレスに身を包み、眼鏡の奥の瞳は理知的な光を宿している。
「おはようございます、若旦那様。本日のご予定をお伝えいたします。」
「ああ、頼む。」
「午前は織物組合との会合。」
「うん。」
「昼前には港湾倉庫をご視察。」
「……うん。」
「昼食の後は、北方商会との共同商いについてのお打ち合わせ。」
ジークフリートは小さく息をついた。
「午後は新しい店の工事の進捗報告。その後、ご当主様へのご報告がございます。」
窓の外へ視線を向ける。
「その後は──」
「ちょっと頼みがある。」
書記の言葉を遮る。
「"シューマイスター"という職業を知っているか?」
一瞬の逡巡。
「……いえ、存じ上げません。申し訳ございません。」
「腕の良い靴職人らしい。工房を探しておいてほしい。」
「承知いたしました。」
車窓には、朝の市場が映る。
焼き立てのパンを運ぶ職人。
店を開ける花売り。
子どもを連れて歩く母親。
誰もが、それぞれの一日を始めている。
昨夜のことが、不意に頭をよぎった。
──『想像していたより、ずっと綺麗な人だった。』
思い返して、苦笑する。
我ながら気障な台詞だと思った。
だが思わず口をついて出た本音だった。
あの柔らかな微笑み。
相手の呼吸に合わせるような穏やかな話し方。
耳元で囁くように告げられた、白鳥の話。
あれも客人へ向ける微笑みだったのだろう。
少し寂しさが込みあげる。
馬車は大通りへ差しかかる。
ふと、一軒の仕立て屋の前で視線が止まった。
軒先に吊るされた白いドレスが、朝の風で静かにゆれている。
余計な装飾はない。
けれど、流れるような布の重なりは、まるで羽根を重ねた白鳥の羽根のようだった。
ジークフリートは目を細める。
――あれは、彼女に似合いそうだ。
そう思った自分に、思わず苦笑した。
名前しか知らない女性に、似合う服を考えている。
我ながら、おかしい。
「若旦那様。」
書記の声で我に返る。
「そろそろ本店へ到着いたします。」
「ああ。」
ジークフリートは最後にもう一度だけ振り返った。
ドレスの隣に吊るされた、年季の入った木製の看板が目に入る。
『魅了の魔法不使用 ナーデル・ウント・ファーデン 仕立て屋チャイコフスキー』
朝日に照らされた白いドレスは、一羽の白鳥のように静かに輝いていた。
"女性秘書"というと現代ビジネスのようになってしまうので、"女性書記"と呼ぶことにしました。でもこの物語での役回りは秘書と同じです。
"ナーデル・ウント・ファーデン"は"針と糸"という意味です。
白鳥の湖は、フランス人がロシアで作ったドイツが舞台のバレヱ作品なので、この物語でもその雰囲気が感じられるように意図的に多様な言語を混ぜています。




