25.非常鐘
床へ倒れた彼女の上に馬乗りとなり、ロットバルトが両手で首を締め上げている。
オディールの顔は苦しげに歪み、唇は青白くなっていた。
書斎へ飛び込んだジークフリートは、状況を見た瞬間、考えるより先に身体が動いていた。
「オディール!」
ジークフリートは全力で床を蹴る。
肩からロットバルトへ体当たりを食らわせた。
鈍い衝撃音が響く。
ロットバルトの身体が弾かれ、二人は床を転がった。
「ごほっ……!」
オディールは激しく咳き込む。
女性書記が駆け寄った。
「オディール様!しっかりしてください!」
指がオディールの首元へ触れる。
赤黒い指の跡がくっきりと残っていた。
ジークフリートは立ち上がりロットバルトと向き合う。
護衛たちが一斉にジークフリートの前へ出てサーベルを抜いた。
鋼が擦れる音が書斎へ響く。
ロットバルトはゆっくりと立ち上がり、何事もなかったかのように微笑む。
「随分と騒がしい来客ですな。」
黄金色の瞳がジークフリートを見据える。
「商人風情が。」
ロットバルトの足元から、黒い影が床を這うように広がる。
護衛の一人に黒い蔦が巻き付いた。
「うっ!」
サーベルが床へ落ちる。
もう一人の護衛は壁へ叩きつけられた。
ジークフリートは咄嗟に後ろへ飛び退きオディールを抱き上げる。
ロットバルトは退屈そうにため息をついた。
「絵に描いたような紳士ですな。美しいものだ。」
ロットバルトの体が黒く輝き、丸く膨張する。
球体から放たれた黒い羽根が、暴風雪のように刃となって飛び散った。
護衛達は思わず腕で顔を覆う。
羽根が服や皮膚を切り裂く音が響く。
ジークフリートはオディールと女性書記を庇うように背を向けて立つ。
「下がって!」
羽根が肩をかすめる。
上着が裂け、血が滲んだ。
廊下から慌ただしい足音が響く。
「旦那様!」
ロットバルト家の使用人たちだった。
彼らは書斎の惨状を見て立ち尽くす。
ロットバルトの体が人の姿に戻り、静かに命じた。
「侵入者を捕らえろ。」
使用人たちは顔を見合わせる。
長年仕えてきた主人⋯⋯しかし。
沈黙が流れる。
やがて、一人の年老いた使用人が告げた。
「……申し訳ございません。」
震える声だった。
「お従いできません。」
ロットバルトは小さく鼻で笑った。
「なるほど。」
黄金色の瞳が細くなる。
「魔法が解け始めたか。」
ジークフリートは静かに言う。
「人は操れても、心までは支配できない。」
ロットバルトは肩をすくめた。
「実に商人らしい答えだ。」
ゴーン……
ゴーン……
屋敷の非常鐘が鳴った。
使用人が異変を知らせるため、玄関脇の鐘楼で鐘を鳴らしたのだ。
既に門番が街の衛兵詰所へ駆けているだろう。
まもなく街の衛兵隊が駆けつける。
ロットバルトは窓へ視線を向ける。
「ここまでのようだな。」
黒い煙が身体を包む。
衣服が羽根へ変わる。
腕が翼となり、顔が黒い羽毛に覆われ、口は鋭い嘴へと変わっていく。
巨大な黒いフクロウ。
金色の瞳だけが、人間だった頃と変わらない。
「また会おう。」
窓ガラスが砕け散る。
轟音とともに巨体は冬空へ飛び立った。
「逃がすな!」
護衛たちが窓へ駆け寄る。
しかし黒い翼は闇へ溶け込み、瞬く間に見えなくなった。
書斎には、割れた窓から冷たい風だけが吹き込んでいた。
ジークフリートはゆっくりとオディールを椅子に座らせた。
「もう大丈夫だ。」
張り詰めていた糸が切れたように、オディールは小さな涙をこぼした。




