26.退職日
あの日の出来事は、多くの者の運命を変えた。
護衛と街の衛兵たちはロットバルトを追跡した。
しかし、その姿は空へ溶けるように消え、二度と見つかることはなかった。
一命を取り留めたオディールは、事の顛末をジークフリートにすべて正直に話した。
そしてジークフリートは、改めてオディールと夫婦として歩んでいくことを選んだ。
その後の調査で、さらに多くの事実が明らかになる。
オディールが幼い頃、「母は家を捨てた」と聞かされていた。
しかし、その失踪にもロットバルトが深く関わっていたことが判明した。
そして残念ながら、母親はあの結婚披露宴の直後に既に亡くなっていた。
ジークフリートの父へ掛けられていた魔法も解呪される。
正気を取り戻した父は、自らの意思ではない判断をしていたことを知り、深く項垂れた。
ロットバルト商会では、幹部たちへ施されていた魔法も次々と解かれていった。
真実を知った者たちは相次いでジークフリートへ協力を申し出て、商会はそのままジークフリート商会の庇護を受けて再建されることとなった。
さらに、各地の取引先にも同様の魔法が確認され、一つずつ解呪が進められた。
失われていた信頼は、少しずつ取り戻されていった。
それでも、ロットバルトという男だけは見つからない。
公には「消息不明」。
混乱を避けるため、その正体が魔法使いであった事実は伏せられた。
各地で捜索は続けられていたが、その行方を知る者は誰一人としていなかった。
そして──。
新年を迎える頃。
ジークフリートには、もう一つ確かめなければならないことが残っていた。
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雪の降る夜の街を、蹄の音が響く。
磨き上げられた黒塗りの車体は街灯を映し込み、栗毛の大きな馬は一定の歩幅で石畳を踏みしめる。
窓の外では、街灯の灯りが流れるように過ぎていく。
馬車の座席には、一人の女性が静かに腰掛けていた。
"オデット"。
夜の仕事をするときだけ名乗る名前。
この馬車に乗るのも、今日が最後になる。
父の借金は、いつの間にかすべて返済されていた。
詳しい事情は分からない。
ただ、鉱山で働いていた父は山を下り、小さな靴工房を再び開く準備を進めている。
そして自分もまた、昼は仕立て屋『チャイコフスキー』の職人として生きていくと決めた。
もう、夜の仕事に頼らなくてもいい。
だから今日が、本当に最後の出勤だった。
馬車は静かに湖畔の高級ヴィラ街へ入る。
石畳の両側には瀟洒な屋敷が並び、窓から漏れる暖かな灯りが冬の闇を照らしていた。
この景色も、見納めになる。
やがて馬車は、一軒の貸別荘の前でゆっくりと止まった。
御者が扉を開く。
「到着いたしました。」
「ありがとうございます。」
オデットは軽く頭を下げ、馬車を降りる。
歩き慣れた石畳を踏みながら、ふと今日の予約票を思い出す。
予約者の名前には、見覚えがなかった。
初めて担当するお客様。
けれど、それでいい。
最後の一人まで、心を込めて施術しよう。
それが、この仕事への感謝であり、オデットという名前との別れになる。
深く息を吸う。
ノッカーに手を掛ける。
──コン、コン。
乾いた音が夜の館に響いた。
背筋がすっと伸び、口元に柔らかな微笑みが宿った。
"オデット"は、今日も完璧な笑顔で扉が開くのを待っていた。
次回はいよいよフィナーレです。




