21.誓い
ロットバルト邸を辞した三人は、玄関を出て荷馬車へ向かった。
張りつめていた空気がようやく緩み、女将が小さく息をつく。
「無事に終わってよかったわ。」
「はい。」
アンナも胸をなで下ろした。
初めて任された花嫁衣装。
花嫁本人に喜んでもらえたことが、何より嬉しかった。
親方は荷馬車の荷台を確かめながら頷く。
「これで俺たちの仕事は終わりだ。」
その時だった。
屋敷の門前へ、一台の瀟洒な馬車がゆっくりと止まる。
御者が扉を開き、一人の青年が降り立った。
ジークフリートだった。
「これは、チャイコフスキーの皆さん。」
親方が帽子を取り、一礼する。
「本日はご婚礼衣装の納品に参りました。」
「そうでしたか。」
ジークフリートは穏やかに微笑み返す。
その視線が、親方の隣に立つアンナへ向いた。
冬の日差しを避けるように伏せた横顔。長い黒髪。
どこかで見たような立ち姿。
アンナも一瞬だけ顔を上げる。
二人の目が合った。
胸の奥で、何かが引っかかる。
「では、失礼いたします。」
親方が荷馬車へ向かって歩き出す。
女将も後に続く。
アンナも静かに歩き出した、その瞬間だった。
「……待って。」
気づけばジークフリートは、一歩踏み出していた。
そして思わず、アンナの手首をつかむ。
アンナは驚いて振り返る。
「オデット……。」
その名が、思わず口をついて出た。
辺りの空気が止まる。
アンナは困惑したように首をかしげた。
「……申し訳ありません。」
静かな声だった。
「どなたかと、お間違えではありませんか。」
その一言で、ジークフリートは我に返る。
(しまった……。)
人前で呼んではならない名前だった。
「……失礼しました。」
ジークフリートはすぐに手を離した。
「よく似た方を知っていたものですから。」
アンナは小さく微笑む。
「そうでしたか。」
軽く一礼すると、親方たちの後を追って荷馬車へ乗り込んだ。
馬車がゆっくりと遠ざかっていく。
ジークフリートは、その後ろ姿をいつまでも見送っていた。
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五日後。
教会には、祝福の鐘が高らかに響いていた。
扉の前には、純白の花嫁衣装をまとったオディール。
その隣には、正装姿のジークフリートが立っている。
司祭が静かに問いかけた。
「汝ジークフリート、この者を妻とし、生涯愛し、敬い、支えることを誓いますか。」
「……誓います。」
「汝オディール、この者を夫とし、生涯愛し、敬い、支えることを誓いますか。」
「誓います。」
参列者が静かに見守る中、司祭が頷いた。
「それでは、誓いの口づけを。」
ジークフリートはゆっくりとオディールへ近づく。
純白のヴェールが揺れる。
あと少しで唇が触れる、その瞬間。
ラベンダーの香りが鼻をくすぐる。
脳裏によぎったのは、五日前にロットバルト邸で見た一人の女性だった。
正装に身を包み、俯きながら立っていたアンナ。
そして、思わず口にしてしまった名。
――オデット。
一瞬だけ動きが止まる。
オディールがわずかに目を開く。
我に返ったジークフリートは、ぎこちなく微笑み、そっと唇を重ねた。
盛大な拍手が鳴り響く。
その後、教会の中で婚礼の典礼が厳かに進み、街中を行く馬車を沿道の人々が祝福した。
その賑やかさと喧騒の中で、新郎の胸の奥に芽生えた小さな影など、誰一人知る由もなかった。




