13.瀕死の白鳥
その日の店じまいの後。
店内から客の姿が消え、明かりも半分ほど落とされていた。
工房の奥では、店主と妻が帳簿を広げて向かい合っている。
長い沈黙の末、妻が静かに口を開いた。
「……今月も赤字ね。」
店主は黙ったまま帳簿へ目を落とす。
売り上げは下がる一方だ。
そもそも、以前と比べて店を訪れる客が激減している。
他店が次々と魅了の魔法を導入し、客の目を惹きつけている。
その影響であることは誰の目にも明らかだった。
「先日、銀行家にも相談してきたの。」
妻はため息をつく。
「これ以上の融資は難しいそうよ。」
店主は腕を組んだまま動かない。
「このままじゃ、冬は越せないかもしれない。」
暖炉の薪が、小さく音を立ててはぜた。
妻は意を決したように言う。
「……魔法を、一部だけでも使ってみない?」
店主の眉がぴくりと動く。
「一部だけよ。」
妻は慌てて続けた。
「全部じゃないわ。例えば店頭に飾る試作品だけとか、品評会へ出す品だけとか。」
「駄目だ。」
短い一言だった。
「でも!」
「駄目だ。」
今度ははっきりと言い切った。
「俺たちは服を仕立てている。」
店主は静かに妻を見つめる。
「錯覚を売る仕事じゃねぇ。」
「あなた!」
「魔法で客を呼んでどうする。」
店主はゆっくり立ち上がった。
「魔法が切れた時、客は何を思う。」
妻は言葉を失う。
「『騙された』と思われたら終わりだ。」
しばらく重苦しい沈黙が流れる。
「でも……。」
妻の声は震えていた。
「このままじゃ、お店がなくなってしまうじゃない。」
「……。」
「みんなの生活だってあるのよ。」
あと一言で口論になる。
その時だった。
勢いよく扉が開いた。
「親方!」「女将さん!」
アンナ、マイヤ、スヴェトラーナ、ウリヤーナの四人が飛び込んできた。
「聞こえちゃいました。」
アンナが申し訳なさそうに頭を下げる。
「盗み聞きするつもりじゃなかったんです。」
店主は苦笑した。
「全部聞いてた顔だな。」
四人は揃って目を逸らす。
「……はい。」
重苦しかった空気が少しだけ和らいだ。
「だったら一緒に考えようよ!」
マイヤが机へ身を乗り出す。
「みんなのお店なんだから!」
スヴェトラーナも頷く。
「私たちにできること、きっとあります。」
ウリヤーナは帳簿を覗き込みながら首を傾げた。
「魔法に頼らずに目立てばいいんですよね?」
店主は腕を組む。
「そんな都合のいい方法があるか?」
四人は顔を見合わせた。
しばしの沈黙。
マイヤがぽんと手を打つ。
「あっ!」
「思いついたの?」
アンナが尋ねる。
マイヤは満面の笑みを浮かべた。
「踊ろう!」
「……踊る?」
「店の前で!」
皆がぽかんとする。
「この前、劇場で観た踊り!」
興奮気味に身振り手振りを交えながら話し始める。
「白いドレスを着て、お店の前で踊るの!」
「白鳥が羽ばたくみたいに!」
「『あのお店、何だろう?』って絶対見に来るよ!」
店主は呆れたように笑う。
「仕立て屋が踊るのか?」
「そう、見せるの!」
マイヤは力強く言った。
「服は着てもらって初めて生きるんだから!」
その一言に、店主の表情が変わる。
「……服は着てもらって初めて生きる。」
静かにその言葉を繰り返す。
やがて、小さく笑った。
「悪くねぇ。」
妻も驚いたように夫を見る。
「あなた?」
「仕立て屋は芸術家じゃねぇ。」
店主は四人の弟子たちを見回した。
「お客様のお求めになるものを作るのが、俺たちの誇りだ。」
そして、珍しく口元を緩める。
「だが、お客様に店を見つけてもらわなきゃ始まらねぇな。」
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翌週。
白いドレスをまとったマイヤが、店先で静かに舞い始めた。
まるで命の灯火が揺らぐように。
羽ばたこうとしては力尽き、それでもなお美しく舞い続ける白鳥。
通りを歩く人々が足を止める。
「何だ?」
「仕立て屋だぞ。」
「きれい……。」
人垣は次第に大きくなり、その輪の中へ自然と客が吸い寄せられていく。
店の中では、アンナたちが一人ひとりを笑顔で迎えていた。
まやかしではない。
本物の技と、本物の美しさが、人の心を動かしていた。
瀕死の白鳥とは、3〜4分ほどのバレヱ作品です。アンナ・パブロワが初演で踊りましたが、マイヤ・プリセツカヤ、ウリヤーナ・ロパートキナ、スヴェトラーナ・ザハロワも名演を残しました。




