10."偶然"
数日後。
昼下がりの大通りは、多くの馬車と買い物客で賑わっていた。
商談を終えた帰り道。
ジークフリートは書記を伴い、石畳を歩いていた。
「あっ……!」
一人の若い女性が角を曲がってきて、ジークフリートの肩へ軽くぶつかる。
手にしていた包みが地面へ落ち、中から白い布がこぼれた。
「申し訳ございません!」
女性は慌てて膝をつく。
長い黒髪。透き通るような白い肌。
荷物を拾い顔を上げる、その瞬間、二人の視線が重なった。
ジークフリートは息を呑む。
――オデット。いや、どこか違う?
女性もまた、ジークフリートの顔を見て、ほんの一瞬だけ目を大きく見開いた。
まるで、思いがけない相手に出会ってしまったかのように。
しかし次の瞬間には、はっと我に返ったように視線を伏せる。
「……失礼いたしました。」
取り繕うように静かに頭を下げる。
その仕草も、声の調子も、どこか覚えのあるものだった。
ジークフリートは落ちた包みを拾い上げる。
「こちらこそ、前を見ていませんでした。」
「ありがとうございます。」
女性は微笑み、優雅に一礼する。
「それでは、失礼いたします。」
そのまま人混みへ消えていく後ろ姿を、ジークフリートはしばらく見送っていた。
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その夜。
豪商や貴族が集う夜会が開かれていた。
会場へ入ったジークフリートは、一人の男へ声を掛けられる。
「これはジークフリート様。」
ロットバルトだった。
「本日はお招きいただきありがとうございます。」
「ぜひ紹介したい者がおりまして。」
ロットバルトが視線を向けると、一人の令嬢がゆっくり歩み寄ってくる。
昼間に街で出会った女性だった。
「娘のオディールです。」
女性は裾をつまみ、美しく一礼する。
「初めまして。オディールと申します。」
その所作。柔らかな笑み。穏やかな声。
すべてが、オデットによく似ていた。
ジークフリートの胸が高鳴る。
――そうか。
――あの店では、本名を名乗れない。
本当は……オディール。
胸の中で、点と点が結びついていく。
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翌週。
ジークフリートはいつものようにシュヴァンへ予約を申し込んだ。
だが、返ってきた答えは予想外だった。
「申し訳ございません。」
受付係が頭を下げる。
「オデットはしばらくお休みをいただいております。」
「いつ頃戻るんだろう。」
「現時点では未定でございます。」
「そうか……。」
「他の施術師をご案内することもできますが。」
ジークフリートは静かに首を横へ振った。
「いや、今日はやめておこう。」
貸別荘へ向かうことなく、馬車は街へ引き返していった。
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それから、少し後。
アンナは事務所で予約帳を眺めていた。
見慣れた名前が、今週も書かれていない。
男性の受付係が同情するように言う。
「最近はご指名がありませんね。」
「そうですね。」
アンナは静かに微笑んだ。
「きっと、ご贔屓の方が見つかったのでしょう。」
そういうものだ。
お客様には、お客様の生活がある。
自分は、そのひとときに寄り添うだけ。
それ以上を望んではいけない。
そう言い聞かせるように予約帳を閉じる。
けれど胸の奥には、小さな寂しさが静かに残る。
「ところで……。」
受付係は値踏みするようにアンナの姿を眺めた。
「また講習を受けてみてはいかがです? 店としても、あなたをお勧めしやすくなりますし、ご縁にも恵まれやすくなりますよ。」
「……結構です。」
受付係は小さく舌打ちをした。
アンナは静かに一礼すると、事務所を後にした。




