第六話 受け継がれたもの
「理容師……?」
俺は思わず聞き返した。
「どうして、その言葉を知っているんですか?」
老婆は少しだけ目を細める。
その表情は、どこか懐かしいものを思い出しているようだった。
「その話は、いずれしてやろう。」
それだけ言うと、小さく笑って杖をついた。
答えは返ってこない。
だが、その笑顔を見て確信した。
この人は何かを知っている。
俺の知らない、この世界のことを。
そのときだった。
「ありがとう!」
「首が軽い!」
「目がよく見える!」
村人たちが一斉に声を掛けてきた。
昨日までは意味の分からなかった言葉が、今ははっきりと耳へ届く。
初めて、この世界の人たちと言葉を交わせる。
それだけで胸が熱くなった。
「本当にありがとう!」
「こんな気持ちになったのは初めてだ!」
次々と感謝の言葉が飛んでくる。
照れくさくなって頭をかいていると、一人の男性が言った。
「何か欲しい物はないか?」
「俺たちにできることなら、何でもする。」
周りの村人たちも次々と頷く。
俺は少し考えた。
欲しい物はいくらでもある。
鏡。
椅子。
櫛。
タオル。
それでも、一番最初に思い浮かんだのは別の物だった。
「髪を切るときに肩へ掛ける布が欲しいんです。」
もちろん、この世界にカットクロスなんてあるはずがない。
身振り手振りで説明する。
首から布を掛け、髪を落とす仕草を何度も繰り返した。
すると、一人の女性が前へ出た。
年は二十代半ばほどだろうか。
栗色の髪を後ろで束ね、落ち着いた雰囲気をまとっている。
「私はセフィ。」
「王宮へ納める布や衣服を仕立てています。」
少し誇らしげに胸を張る。
「あなたの望む物を作ってみせましょう。」
俺は地面に木の枝で絵を描き始めた。
大きな円。
その真ん中に小さな穴。
首を通し、肩まで覆う布。
身振りを交えながら説明する。
セフィは真剣な表情で何度も頷いた。
しかし、途中で困ったように眉を寄せる。
「形は分かりました。でも、この革を丸く切り抜く道具がありません。」
確かに、この世界にはそんな加工技術は一般的ではないのだろう。
どうしたものかと考えていると、セフィが「あっ」と声を上げた。
「そういえば……。」
慌てて家へ走っていく。
しばらくして、一枚の黒い布を抱えて戻ってきた。
「これです!」
俺は受け取った瞬間、息をのんだ。
首元を紐で結ぶ作り。
肩まで覆う絶妙な大きさ。
布の重みまで覚えている。
間違いない。
これは――
カットクロスだった。
「どうして……。」
思わず声が漏れる。
セフィは首を傾げながら答えた。
「家の裏で洗濯物を干していたら、木の枝に引っ掛かっていたんです。」
「誰の物か分からなくて、洗ってしまっておいたままでした。」
俺はクロスを両手で広げる。
現代では珍しくなった、首元を紐で結ぶ昔ながらの形。
使い込まれた跡がある。
この世界で作られた物とは、とても思えなかった。
胸が高鳴る。
まさか……。
この世界に。
俺より前に来た理容師がいたのか――。
俺は無意識に、老婆の方を見た。
老婆は何も言わない。
ただ、その意味深な笑みだけが、俺の胸に新たな疑問を残していた。




