第7話:正しさの行き先
翌日。
私は彼女を屋敷へと招いた。
「本日は、お時間をいただきありがとうございます」
型に嵌められた完璧な礼。
無駄のない所作。
――やはり、よく出来た方。
「ええ」
私は微笑む。
「それで、本日の“試験”は?」
彼女はまっすぐに問いかけてくる。
「簡単ですわ」
私は静かに告げる。
「本日一日、自由にお過ごしくださいませ」
わずかに、彼女の眉が動いた。
「……それだけ、ですの?」
「ええ」
「特別なことは何もいたしません」
彼女は真意を探るように私の目を見つめる。
「普段通りで結構ですわ」
しかし、私に他意はない。
「……承知いたしました」
彼女は、迷いなく頷いた。
――さすがですわね。
その後、私は彼女の前に姿を見せなかった。
けれど。
何も見ていないわけではない。
昼過ぎ。
廊下の一角で、小さな騒ぎが起きていた。
「申し訳ございません!」
若いメイドが、慌てて頭を下げている。
足元には、割れた食器。
「大丈夫ですの?」
落ち着いた声。
彼女だった。
「はい……あの、私の不注意で……」
「そう」
短く頷く。
「では、すぐに片付けなさい」
正しい指示。
的確で、無駄がない。
「怪我は?」
「い、いえ……」
「なら問題ありませんわね」
それだけ言って、彼女はその場を去ろうとする。
……なるほど。よく分かりましたわ。
彼女が去った後も、メイドの手は小さく震えたままだった。
――まるで執行猶予を言い渡されたように。
夕刻。
彼女は再び、私の前に立った。
朝と変わらぬ仮面で……。
「本日は、いかがでしたでしょうか」
変わらぬ姿勢。
揺らぎのない視線。
仮面の奥は安全だと、思っている瞳。
「そうですわね」
私は一歩、近づく。
「とても“正しく”振る舞っておられました」
彼女の瞳が、わずかに細められる。
「……ですが?」
引っ掛かりを覚えたのでしょう。
私は扇子で口元だけを隠して、仮面の下を覗く。
「ええ」
静かに、感情を込めることなく頷く。
「それだけ、ですわ」
朝に活けられた花がしなだれていた。
「何が、問題だとおっしゃるのですか」
声に、わずかな硬さが混じる。
「問題ではございません」
しなだれてしまった花に触れる。
優しく、繊細に――壊れないように。
「足りないのです」
空気が変わる。
「あなたは、正しい」
ゆっくりと、言葉を落とす。
「けれど――」
指先で触れた花は、すでに水を吸うことを諦めていた。
「その正しさで、誰かを“見て”いらっしゃいますか?」
彼女の呼吸が、止まる。
「怪我をしていないから問題ない」
「指示を出したから問題ない」
彼女と若いメイドとの、廊下でのやり取り。
「貴方のそれは……」
私は背中に語りかける。
「“処理”ですわ」
仮面越しでは見えないものがある。
「あなたは、間違っておりません」
でも、正しさでは足りない。
「それでは、誰も残りませんの」
言葉が、静かに刺さる。
彼女は、震える肩で何も言えなかった。
「本日は、ありがとうございました」
私は優雅に一礼する。
視線を外す。
「あなたは、正しい」
静かに、そう告げる。
「――ただ」
一瞬だけ、視線を落とした。
「誰も、あなたに頼ろうとはしておりませんでしたわ」
――この花のように
「今回は、ご縁がなかったということで」
……足りませんのね。
……惜しいところでしたのに。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
正しく振る舞うことは、 誰にでもできます。
ですが、 誰かを“見る”ことは、 それとは別の行為です。
そして―― 見ていないものは、 残りません。




