第6話:正しい令嬢
午後のサロンは、いつも通り穏やかな空気に包まれていた。
――少なくとも、表向きは。
「ごきげんよう、公爵令嬢様」
静かに差し込まれた声に、視線が集まる。
そこに立っていたのは、一人の上位貴族の令嬢。
整った所作、隙のない佇まい。
そして――はっきりとした意志を宿した瞳。
私とは違う――選ぶ自由がない者。
だけれど、サロンに現れた綺麗な薔薇。
……悪くありませんわ。
「ごきげんよう」
私は微笑みを返す。
貴方を歓迎しますと……。
その瞳は揺れない。
「お話は、かねがね伺っております」
彼女はゆっくりと歩み寄る。
「殿方を“試している”と」
立ったまま。
逃げ道を残しているのか。
いえ、彼女は挑戦者なのだ。
棘を残したまま、花瓶に活けられた。
未だに、渦中の人物である私に詰め寄る彼女の存在がサロンで際立つ。
ざわめきが、次第に静かに広がっていく。
「ええ」
私はあっさりと頷いた。
「何か、問題でも?」
その一言に、周囲の空気が張り詰める。
でも、彼女は立派な棘で私に立ち向かう。
「問題があるか、と問われれば」
サロンで微笑んでいるのは私と彼女のみ。
「ございますわ」
はっきりと、言い切った。
……これは。
「婚約とは、家同士の結びつき」
彼女は背筋を伸ばして続ける。
「個人の感情や気まぐれで左右されるものではありません」
正しい。
「それを“試す”など――」
一瞬、言葉を選ぶように間を置く。
「軽率ではありませんこと?公爵令嬢様」
ざわめいていたサロンが、完全に静まり返る。
誰も、口を挟まない。
今や、主役は彼女に移行していた。
私は、ティーカップを持ち上げる。
そして一口、紅茶を含んだ。
「……そうですわね」
ゆっくりと、言葉を置く。
「確かに、正しいご意見ですわ」
瞳を見ながら、肯定する。
「ただ――その正しさで選ばれた方は、本当に“誠実”でしたの?」
彼女の瞳が、わずかに揺れる。
「それに」
ティーカップを静かに戻す。
「その“正しさ”で、幸せになれるとは限りませんもの」
まずは棘をひとつ、取って差しあげる。
「……では、お聞きしますわ」
でも、彼女は残った棘で一歩踏み出す。
「あなたは、その方法で“正しい方”を選べると?」
誰もが疑問に思っていた質問。
皆が息を呑む中でも、私だけは微笑む。
「いいえ」
間を置かず、更に私は答えた。
空気も人も、揺れる。
「選ぶのではありません」
わずかに口元を隠すように、扇子を広げる。
「――残るだけですわ」
それだけを言うと、パタリと閉じる。
「残れなかった方は、それまでだったということですもの」
言葉がサロン全体に落ちる。
彼女は、初めて言葉を失った。
……ええ。
ええ、そうなりますわよね。
「でしたら」
私は静かに首を傾げる。
「あなたも、試されてみます?」
これまで守っていた彼女の花びらが一枚、剥がれ落ちた。
――その下にあったのは、恐れではなく。
「逃げる、という選択もございますけれど」
言葉とは裏腹に、着席するよう勧める。
誰も、息をすることさえ忘れているようだった。
けれど――
その中で、ただ一人。
彼女だけは、わずかに笑っていた。
私からの挑戦を受け入れた証として……。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
正しい方法は、 誰にでも説明できます。
ですが、 残るものは、 必ずしも説明できるとは限りません。
だからこそ、 そこに差が生まれます。




