第48話:その手を……
窓の外では、柔らかな光が庭を照らしていた。
穏やかな午後だった。
風は静かで。
鳥の声が遠くから聞こえる。
夫は寝台に横たわっていた。
かつて王として国を支えた人。
誰よりも強く見えた人。
けれど今は、年相応の老人だった。
私は椅子に座り、その手を握っている。
骨ばった手。
昔より少し冷たい手。
それでも。
ずっと知っている手だった。
「今日は良い天気ですわ」
返事はない。
けれど構わなかった。
「庭園の花も綺麗でしたのよ」
静かな部屋。
沈黙は続く。
不思議と寂しくはなかった。
若い頃から、この人は口数が少なかった。
だから。
こうして隣にいるだけで十分だった。
しばらくして。
夫がゆっくりと目を開く。
少しだけ焦点の合わない瞳。
それでも私を見つけると、わずかに目を細めた。
「……いたのか」
かすれた声。
私は微笑む。
「おりますわ」
それだけで良かった。
夫は小さく息を吐く。
安心したように。
「そうか」
短い言葉。
昔から変わらない。
私は思わず笑った。
「何がおかしい」
「いえ」
首を振る。
「最後まで変わりませんのね」
夫は少し考えるような顔をする。
そして。
「お前もな」
私は目を瞬く。
それから小さく笑った。
「光栄ですわ」
夫も、ほんのわずかに笑う。
静かな時間だった。
時計の音だけが聞こえる。
やがて。
夫が窓の外へ視線を向ける。
「終わったな」
ぽつりと零れた声。
私はその意味を聞かなかった。
聞く必要がなかった。
王としての人生。
父としての人生。
夫としての人生。
そのすべてを指しているのだろう。
「ええ」
私は頷く。
「お疲れ様でした」
それが一番相応しい言葉だと思った。
夫は何も言わない。
ただ静かに目を閉じる。
握った手から力が抜けていく。
それでも私は手を離さなかった。
長い時間だった。
本当に長い時間だった。
出会った頃は、こんな日が来るとは思わなかった。
けれど。
いつか来ることは知っていた。
だから。
涙は流さない。
代わりに、その手をそっと包み込む。
「ありがとうございました」
静かな部屋に言葉が落ちる。
返事はない。
けれど。
きっと聞こえている気がした。
窓の外では、風が花を揺らしていた。




