第26話:乗馬
王城の裏手に広がる馬場は、よく整備されていた。
無駄がない。
踏み固められた土、一定の間隔で並ぶ柵。
訓練用でありながら、貴族の遊興にも使われる場所。
――ちょうど良いですわね。
「まさか、これが試験とはな」
隣で、王子が言う。
いつも通りの声音。
警戒はしているが、過剰ではない。
「ご不満で?」
「いや」
短く否定する。
「分かりやすい」
その言葉に、私はわずかに口元を緩めた。
……理解が早い方は、嫌いではありませんわ。
「本日は乗馬をご一緒いただきます」
周囲には、数名の騎士と従者。
形式は整っている。
だが、本質は別。
「ただし」
手袋を整えながら、続ける。
「いつも通りではありません」
王子の視線が、わずかに動く。
「何が違う?」
私は、答えない。
代わりに。
「馬を、お選びください」
そう告げる。
並べられた数頭の馬。
どれも良馬。
だが――
違いはある。
明確に王子は、一頭ずつを見る。
毛並み。
脚。
目。
そして、わずかに荒い呼吸をしている一頭で止まった。
「これだな」
即断だった。
私は、何も言わない。
ただ、頷く。
……ええ。
それで結構ですわ。
「理由は?」
問いかける。
「他は整いすぎている」
王子は手綱に触れながら言う。
「こいつだけが、まだ“選ばれていない”馬だ」
だからこそ、選ぶ価値がある。
俺達みたいにな。
私は、わずかに目を細めた。
――面白い。
「正解ではありませんが、減点はいたしません」
「そうか」
興味もなさそうに返す。
だが、その目は笑っていた。
騎乗する。
私もまた、馬に跨る。
静かに。
自然に。
「では」
手綱を軽く引く。
「始めましょう」
合図と同時に、馬を走らせる。
風が頬を打つ。
速度は出さない。
あくまで、通常の範囲。
――表向きは。
しばらく並走する。
言葉はない。
ただ、呼吸と蹄の音だけが響く。
そして。
私は、ほんのわずかに手を動かした。
貴方はどう対応するのですか?
次の瞬間。
私の馬が、大きくいなないた。
前脚を上げ、暴れる。
「っ――」
バランスが崩れる。
落ちる。
誰が見ても、そう見える動き。
周囲がざわつく。
「お嬢様!」
侍女の悲鳴。
だが――
王子は、動かない。
一瞬だけ、視線が止まる。
判断。
そして、視線を前に戻した。
そのまま、走る。
――なるほど。
他者の選択に踏み込まない判断――及第点です。
私は、地面に落ちる直前。
体を捻り、受け身を取る。
衝撃はある。
馬は私を振り落とすと駆けていった。
だが問題ない。
砂を払って、立ち上がる。
――あの人なら、今の場面で手を伸ばしたでしょうね。
でも。
この人は、伸ばさない。
……違うわね。
あの人と、この方を重ねるのは失礼ですわ。
周囲が駆け寄ろうとする。
「そのままで」
静かに制する。
視線は、前。
王子の背。
彼は止まらない。
振り返らない。
ただ、コースの先へ向かう。
やがて、終点でようやく馬を止めた。
ゆっくりと、こちらへ戻ってくる。
焦りはない。
罪悪感もない。
ただ、当然のように。
「怪我は」
戻ってきて、最初にそれだけを聞いた。
「問題ございません」
私は答える。
視線を合わせる。
「なぜ、止まらなかったのですか?」
問い。
試験の核心。
王子は、迷わない。
「止まる理由がない」
即答。
「落ちたのはお前だ」
彼の表情は変わらない。
「選んだのも、お前だろう」
私は、黙って聞く。
「なら」
王子は続ける。
「俺がすべきは、予定を完遂することだ」
視線が、ぶつかる。
「助けを求められていない以上」
静かに。
「手を出すのは、違う」
周囲が沈黙した。
「もし、俺とお前が逆だったとしても、同じ行動をしただろう」
風が、二人の間を抜ける。
私はゆっくりと、息を吐いた。
「……合格ですわ」
その一言で、周囲がざわめく。
だが、王子は変わらない。
「そうか」
興味なさげに返す。
だが、その奥にわずかな熱があった。
私は、わずかに笑う。
――初めてですわね。
胸の奥に、微かな感覚。
不快ではない。
だが、名前はつけない。
つける必要がない。
「本試験は、これで終了です」
手袋を整える。
「ですが」
一歩、近づく。
「次は、もう少し難しくいたしますわ」
王子は、わずかに口元を上げた。
「望むところだ」
その返答は。
今までの誰よりも――
自然だった。




