第20話:見送り
「お嬢様、見送りに行かれるのですか」
部屋には私と侍女しかいない。
「駄目……かしら」
目深に被ったフードの中から声を出す。
「いいえ、お嬢様のわがままを叶えるのも侍女の勤め」
彼女は優しく私の手を握る。
「行ってください、シャルロット」
初めて彼女に、呼び捨てられた。
でも、その声音は公爵令嬢の私にではなく、私個人に向けられた言葉。
「……ありがとう、エリス」
朝の空気は、冷たく澄んでいた。
王都の城門前。
石畳の広場には、多くの人が集まっている。
兵を見送る者。
ただ見届ける者。
それぞれの思いが、言葉にならないざわめきとなって広がっていた。
その中に――私もいる。
深く被ったフードの内側で、静かに息を整える。
誰にも気づかれてはならない。
公爵令嬢としてではなく。
ただの、一人としてここに立っているのだから。
視線を上げる。
整列した騎士たち。
磨かれた鎧が、朝の光を受けて鈍く輝いている。
規律。
統率。
揺らぎのない列。
――その中にいる。
分かっている。
けれど。
どこにいるのかは、分からない。
目で追う。
一人ずつ。
順に。
探している自分に気付いて――ほんのわずかに、呼吸が乱れる。
……何を、しているのかしら。
私は。
視線を落とす。
手は、何も持っていない。
あの扇子は、もうここにはない。
指先が、空を掴むようにわずかに動く。
すぐに止めた。
――いけませんわね。
顔を上げる。
ちょうど、その時。
号令が響いた。
低く、重く。
広場全体を震わせるような声。
騎士たちが、一斉に動き出す。
足音が揃う。
硬質な音が、規則正しく石畳を打つ。
行進。
迷いのない、前へ進むための動き。
私は、ただ見ていた。
人々の隙間から。
距離を保ったまま。
その中に――
見つけた。
ほんの一瞬だった。
視線が、そこに止まる。
見慣れた背中。
――あの騎士の。
変わらない姿勢。
あの日と同じ、隙のない立ち方。
胸の奥が、わずかに揺れる。
けれど。
声は、出ない。
出さない。
彼は、前を向いたまま歩いている。
ただ、それだけ。
……そうですわよね。
それで、いい。
それが――
彼の在り方なのだから。
行進の流れが、ゆっくりとこちらへ近づく。
距離が、縮まる。
けれど同時に、決して交わらない線がはっきりとしていく。
その時。
彼の手が、ほんのわずかに胸元へ触れた。
無意識のような、自然な動作。
――それだけ。
けれど。
騎士は、一瞬だけ足を緩めた。
ほんの、わずかに。
違和感と呼ぶには小さすぎるほどの変化。
誰も気付かない。
誰も見ていない。
ただ一人。
私だけが、それを見ていた。
……今のは。
意味を持たせることは、できない。
してはいけない。
彼は、そのまま歩き続ける。
振り返ることもなく。
止まることもなく。
やがて、視界の端へと消えていく。
行進は続く。
人の流れも、やがて動き出す。
ざわめきが戻る。
日常が、何事もなかったかのように広場を埋めていく。
私は、動かなかった。
その場に立ったまま。
ただ、彼が消えていった先を見つめている。
――これで、終わりですのね。
そう思う。
けれど。
胸の奥に残るものは、消えない。
名前もつけられないまま。
ただ、そこにある。
やがて私は、ゆっくりと視線を落とす。
そして――
何も言わず、踵を返した。
人の流れに紛れて。
誰にも気付かれることなく。
静かに、その場を後にする。
――言葉を交わすことは、最後までなかった。




