第12話:親友
朝。
まだ空気の冷たさが残る時間。
屋敷は、静かに一日を始めようとしていた。
――そのはずでしたのに。
メイドが慌てた様子で部屋に入ってくる。
だが私は今、朝食の最中。
メイドはどう声を掛ければよいのか、扉の傍でソワソワしている。
「お嬢様、失礼します」
気付いた侍女がひと言告げると、メイドに向かった。
メイドは侍女に身振り手振りで捲し立てている。
話が終わるとメイドは部屋から出ていき、侍女は早足で戻ってくる。
「お嬢様、イザベラ様がお見えになられたそうです」
「イザベラが?」
私は顎に手を置く。
考えられるのは、ひとつ。
「シャルロット!」
廊下に響く声。
静寂を叩き割るような、慌ただしい足音。
扉が勢いよく開かれる。
「ここにいましたのね」
飛び込んできたのは、見慣れた顔。
「……相変わらず、ですわね」
私はイザベラの声でゆっくりと視線を向ける。
「ごきげんよう、朝からお元気ですこと」
整えられていた空気が、一瞬で崩れた。
――けれど。
不思議と、不快ではない。
「ごきげんよう、ではありませんわ!」
彼女は肩で息をしながら、こちらへ詰め寄る。
「聞きましたのよ!」
「何を、かしら」
私は紅茶に口をつける。
まだ一口目。
香りが立ち上る。
「とぼけないでくださいまし!」
机に手をつく勢い。
侍女が一歩、前に出ようとする気配。
私は軽く手で制した。
「私の婚約者が"試験"を申し込んだそうですわね」
――当然の反応ですわね。
「ええ」
あっさりと頷く。
「何か問題でも?」
その言葉に、彼女の表情が一瞬固まる。
そして。
「問題しかありませんわ!」
即座に、噛みつくように返してきた。
……やはり。
変わりませんわね。
「彼は私の婚約者ですのよ!」
「……それで?試験をやめろと」
私はティーカップを置く。
「本日は、その抗議にいらしたの?」
彼女は、ぎゅっと唇を結んだ。
一瞬だけ、迷う。
けれど。
「違いますわ」
真っ直ぐに、こちらを見る。
「私の婚約者が――」
空気が、ほんのわずかに変わる。
「何故、“試験”を受けることになったのか」
……あら。
私は、ほんのわずかに目を細める。
「聞かされていないんですね」
それだけ、返す。
彼女の指先が、わずかに震えていた。
「ええ、そうよ。説明していただけます?」
抑えている声。
けれど、その奥にあるものは隠しきれていない。
怒り。
不安。
そして――
信じているものを守ろうとする、強さ。
……でも。
「家がそう決めた、それだけのことですわ」
イザベラが今、感じているのは。
当事者のはずだったのに、除外された疎外感。
「どうして、お受けしたの」
「理由など必要かしら?」
この件はすでに彼女の手から離れてしまっている。
……理屈では。
だが、感情は別だ。
「どんな試験を受けさせるつもりなの」
それは、ただの確認のための言葉だった。
「ええ、簡単なことですわ」
私は静かに答える。
「他の方と同じように、“試す”だけ」
その言葉が落ちた瞬間。
彼女の瞳が、はっきりと揺れた。
「……それは」
言葉が、続かない。
「貴方もご存じでしょう?」
私は首を傾げる。
「わたくしは、“選ばない”のですもの」
――残るだけ。
彼女は、ぐっと歯を食いしばった。
「……あの方は」
低く、絞り出すような声。
「そのような扱いを受ける方ではありませんわ」
……なるほど。
私は、彼女を見つめる。
揺れているのは、怒りだけではない。
「そう思われるのね」
「当然ですわ!」
即答だった。
一切の迷いもない。
……ええ。
そうでしょうね。
「でしたら」
私はゆっくりと立ち上がる。
「なおさら、問題はないのではなくて?」
彼女が、息を呑む。
「“残る”のでしょう?」
静かに、言葉を置く。
彼女は何も言えない。
けれど。
視線だけは、逸らさなかった。
……強い。
「……それでも」
わずかに、声が震える。
「もし、貴方が」
一歩、踏み出す。
「誤った判断をなさったら?」
――あら。
私は、ほんのわずかに微笑む。
「その時は」
扇子を広げる。
「貴方が、正してくださるのでしょう?」
言葉が、静かに落ちる。
彼女の瞳が、見開かれた。
そして。
次の瞬間。
「……ええ」
迷いなく、頷いた。
その答えに。
私は、ほんの少しだけ満足する。
――なるほど。
貴方は、そういう方なのね。
「では」
私は席を示す。
「少し、お話でもいかが?」
彼女は一瞬だけ躊躇い――
ゆっくりと、腰を下ろした。
その動きには、まだ硬さが残っている。
けれど。
逃げる気は、ない。
……良いですわね。
予想外の観察対象に興味がわいた。




