美亜 儀式
「流奈先輩、いいんですか?」
後部座席の隣に座り、流れゆく景色を見ていた流奈に声をかける。
「ん? 何が?」
「……その、ご同行してもらって」
因幡の走らせる車に乗って数十分。行先は都内某所の神社に向かっている。
目的は「美亜に憑いた呪いを祓う儀式」のためだ。だから流奈は別に来る必要はまったくもってないはずなのだが。
「いいんだよ、だって美亜を一人で行かせるのは心配だもん」
「ですけど、流奈先輩の練習が——ごめんなさい、私のせいで」
元はといえば悪いものに憑りつかれたのが原因だ。
「あーもー、そんな暗いこと考えない!」
暗い顔で俯いた美亜の肩を、流奈がぽんと叩く。
「美亜はすぐそうやって自分のこと責めるんだから! それよりもっと自分のこと心配しなきゃダメだよ!」
「そうですね。物事を暗い方に考えると、憑りついた悪いものにさらに飲み込まれますから」
運転していた因幡が同意する。
「何も考えないで、楽にしてなよ」
「は、はい……」
因幡が「着きました」と車を停めたのは、それから十分もしないうちだった。
「神社でもあり、私の実家でもあります」
車から降りた因幡が淡々と告げる。
鳥居の最上部には「因野原神社」とある。因幡が神社の宮司であることは知っていたが、本当だったようだ。
「へえ、ここが……」
神社の正面である巨大な鳥居の前で、流奈がため息をついた。
朱色に塗られた立派な鳥居は、美亜たちの身長をはるかに超えていた。
「美亜、大丈夫? しんどい?」
鳥居へ続く道の途中で足を止めると、流奈が心配そうに顔を覗き込んだ。
「……いえ、大丈夫です」
美亜自身は何も問題ないとは思っている。だが、どういうわけか朱色の鳥居を見ると足が重くなり、すくんでしまう。
「怖いですか?」
先頭を歩いていた因幡が振り返る。
「……はい」
正直に頷くしかなかった。
「美亜の中にいる悪いものが拒否しているのかもしれませんね——ここは結界ですので」
神社の鳥居は俗世と神域を隔てる結界の役目を果たしているのだという。
今、美亜たちは神域に入ろうとしている最中なのだ。
「休みながらでもいいので、ゆっくりついてきてください」
「大丈夫です。ここで負けるわけにはいかないので」
息を深く吸った美亜は足に力を込める。足取りは重かったが、何とか前には進むことができた。ここで立ち止まるわけにはいかないのだ。
因幡に導かれるまま本殿前へ着くと、白地の羽織に紫の袴をつけた男性がこちらに向かって手を振っていた。
「お~、待ってたぞ」
「紹介が遅れました、私の兄です」
「どうも~」とのんびりした様子で因幡の兄——因幡龍一はぺこりと頭を下げた。
「話には聞いてるよ、良くないものに憑かれてるんだろ?」
龍一は美亜の方を心配そうに見ながら言った。
「大変だねえ、オレには何にも見えないんだけどさ」
「そ、そうなんですか?」
「ええ、兄は霊感がないので何も感じないのです」
「だからお前が宮司になってくれればよかったんだよ。オレよりずっと適役なのに」
因幡兎史博の隣に立った龍一は、呆れたように弟の肘を肘でつつく。
「無理ですよ。私には優れたアイドルのマネージメントをするという崇高な使命がありますので」
真剣な顔で言い放った弟に、兄は「やれやれ」と肩をすくめた。
「無駄話はここまで——私は着替えてきますので、少々お待ちください」
因幡兎史博はそう言って立ち去った数分後、白い羽織に緑の袴を履いて戻ってきた。
「それが因幡マネージャーの正装ですか」
「はい、この格好になったのも久しぶりです」
神社の装束である白い衣装を身に着けた因幡は、美亜と流奈の目には新鮮に映った。
「オレはこれから仕事があるから失礼するけど、あとは任せちゃっていい?」
脇で様子を見ていた龍一が、因幡に声をかける。
「大丈夫です、準備などありがとうございました」
「了解——まあ、大丈夫だよね。オレの弟だからね~」
機嫌よく口笛を吹きそうな様子で石畳を踏みながら、龍一は本殿前を後にした。
「——私も先日は大変な目に遭ったので、不安は残るのですが」
苦い顔になる因幡。
少し前にドラマ撮影をしていた楓花の撮影場所で呪いのトラブルがあり、その際お祓いに失敗したのだという。
「そんなことがあったんですか——で、今日は大丈夫なんですか?」
「わかりませんが、我々は今神域にいる。場所の力というのは非常に大きいですから、この間と比べれば有利だと考えていいでしょう」
「そっか」
「——それに、水上流奈という心強い味方がいますからね。もしものときはお願いしますよ」
流奈の顔を見て、ふっと微笑む因幡。
「ええーっ、あたし頼みなんですかー?」
「ファンに憑りついた呪いを見事に祓ったでしょう」
「そう言われちゃうとなあ……でも、マネージャーも頑張ってくださいよー」
「わかっていますよ——では、始めましょうか」
打って変わって真剣な顔になる因幡。
「美亜は特別なことをしないで大丈夫です。何も考えず、静かにしていてください」
「は、はい、わかりました」
因幡の気迫に押され、思わず背が伸びる。
「それから、気をしっかり持っていてください。最も大切なことはそれです」
「……はい」
——きっと大丈夫。
マネージャーや流奈という強い味方がいるのだ。きっと負けない。
そんな自信が心に溢れてきた。
「——では、これから美亜には火を使った祓いの儀式に参加していただきます」
連絡を受けて龍一が用意したのか、神社の石畳の上には松明が二本立てられている。
「流奈はもうご存じでしょうが、火には邪なるものを追い払う力があります」
その力を借りて、美亜の中に憑りついたものを祓うのだという。
因幡は松明に火をつけた。それからいくらもしないうちに、灰色の煙と火の粉が上がっていく。
本殿に顔を向けた因幡は、畳まれていた白い和紙を広げると、美亜にはわからない言葉を唱え始めた。
ぱちり、ぱちりと炎が爆ぜるとともに、辺りに白色の煙が黙々と立ち込め始める。それを聞いていると、心がぼんやりとし始める。
——なんだか、不思議な感じ。
今ここで見えるもの、聞こえるものすべてが現実ではないもののように思えてくる。
「こんなことしても無駄だよ」
微睡みのような状態になった途端、冷たい声が聞こえた。




