楓花と樹里 対面
思った通り楽屋のドアの鍵は開いていたので、そのままドアを押した。
「待っていたよ、咲堂さん」
君のことを。
楽屋内にはボーイッシュショートが似合う奥屋敷響——否、ドラマ衣装である紺色のスラックスとブレザーを身に着けた宮園楓花がロッカーの脇に立っていた。
「——へえ、いたんだ」
当たり前だ、ここは彼女のための楽屋なのだから。勝手に入ってきているあたしが本来であればおかしいのだ。
だけど、今はそんなことどうでもいい。
目の前にいる女はずるをしてここにいるんだから、あたしはこの女の楽屋に侵入してもいい権利がある。
「美亜から聞いたよ。ここに来たのは、わたしの楽屋に用があったからなんだよね?」
敬語を使うことをやめた宮園楓花は、気障ったらしな男性の如き口調で話を続ける。
美亜っていうのは「おとおうじ」で小夜をいじめる脇役で出ていた「ばんかみ」の女、金剛寺美亜のことだ。つまり宮園楓花と同類。いや、あいつと比べたらまだ宮園楓花の方が演技力はあるかもしれない。先日見た演技は酷いものだった。
そういえば少し前、この女のカバンの中にカッターナイフを仕込んだところを彼女に見られていた。「ばらしたら同じ目に遭わせてやる」と言っておいたけど、とうとう我慢しきれず本人に言ったらしい。まあ、そんなことする気はもはやないけど。
「あんたにバレちゃったならしょうがないよね——うん、あんたの部屋にこれをしかけようと思ってた」
手元から取り出したものを前方に投げる。
あたしたちの間に空いた溝のような床の上にひらひらと落ちたそれを宮園楓花は拾い上げ、まじまじと見つめた。
「これは——お札かな」
「大正解。あたしがあんたのために作ったお札」
白い半紙を長方形に切って、あたしの血で呪いの字を書いたもの。文字と言葉は全て、もう一人のあたしが教えてくれたものだ。
「これをわたしの楽屋に置くとどうなるのかな?」
「わからない? あんたが不快になる、運が良ければ呪われる」
想像したら滑稽で仕方なくて、思わず笑ってしまう。
「——そんなことを考えてたんだ、咲堂さんは」
泣くでもなく、怒るでもなく、宮園楓花は淡々とした声でそう言った。それが妙に気に障った。
「これを書くために、咲堂さんは肌を切ったんだ」
宮園楓花はあたしを見ながら、痛いところをついてきた。
「本当は嫌だったけどね」
仕事道具でもある自分の肌を切るなんて、普通だったらしない。
だけど、あたしの足のふくらはぎには昨日の夜に剃刀で切った傷がある。ここなら衣装のストッキングで隠せるし、撮影にも映らない。痛みは数日続くかもしれないけれど。
それでもかまわない。
「——あんたを呪えるんだったらあたしは何でもする」
舌を噛もうが、髪を切ろうが、肌を切ろうが何でもしてやる。
「それぐらい、あんたのことが邪魔だからね——あっはっは!」
笑いをこらえきれなかった。静かな楽屋内に、あたしの高笑いが響く。
ああ、ダメだ。自分の言ってることが可笑しすぎて、笑いが止まらない。
げらげらと笑うあたしのことを、宮園楓花は悲しそうな目で見ていた。
——そんな目で見るなよ。
顔が熱くなっていくのを感じる。
もっと怒れよ、泣けよ、叫べよ。どうしてそんな平然と、冷静な顔を保っていられるんだよ。
気に入らない。癪に障る。その王子様みたいな顔を崩せよ。
「ずっと、あんたのことは気に食わなかったんだよ。配役が決まったときからね」
籠っていた感情が、あたしの口からどんどん出てくる。
大して実力も持ってないくせに。
普段は、アイドルとかいうバカげた職業で食っている身分のくせに。
どうしてあたしの隣で「主演」として肩を並べてるんだよ。
「どうせアイドルで得た知名度で、今回の主演だって手に入れたんでしょ? ……ふざけんなよ! あたしはそういうやつが一番嫌いなんだ」
白い天井の下に自分の怒声が響くのは、どこか遠く聞こえた。
ふふふっ、ふふふっ。
頭の中であたしじゃない声が笑っている。ずっと、私の中で笑っている。
「——そっか。全てわかったよ」
宮園楓花の、呪符を持った手が動いた。しなやかな指は、びりびりと音を立てて呪符を破った。
「君はそれだけわたしのことを憎んでいたんだね」
重いものを降ろすかのように、宮園楓花は言った。
「わたしも思い悩むことは多かったんだ——自分が主演の座でいていいのかって」
「そう思うんなら、役を下りれば?」
「いや、それはしない。君に今の話を聞かされて確信したよ」
わたしが奥屋敷響を演じるのには意味があったんだ。
「そうじゃないと君を救えない」
宮園楓花は、まっすぐあたしを見つめていた。射貫くような強い視線で。
「君の口から出ているのは——やっぱり植物なのかな? すごく大きく成長してるね。君の顔のほとんどが見えないや」
「はあ?」
悲しそうな目をした宮園楓花は、わけのわからないことを言った。
「鏡を見てごらん、今の君は本当の君じゃない」
彼女の役柄である響のようにかっこつけた口調のまま、宮園楓花は左手にある壁を手で示す。
その先には高さ2メートル近い姿見がかけられている。
「何言ってんの? 変なところなんて何もないじゃん」
そこには見慣れたあたしの姿と、その隣で微笑んでいるもう一人のあたしが立っているだけ。
「植物って何? あたしの顔には何もついてないけど」
目の前の宮園楓花は、あたしの顔を「大きく育った植物」が覆っているという。
きっと出鱈目だろう。
「幻覚でも見えてるの? もしかして変な薬でもやってる?」
たまらず笑いが出てしまったあたしの顔を見た宮園楓花は、悲しそうにため息をついた。
「そっか、君自身の目には違うものが見えているんだね」
がっかりしたように、宮園楓花は目を伏せた。
「うん、あたしには何も見えない。ただ自分の顔だけが映ってる」
女優として前線で生きていくために手入れを欠かさない、白い素肌と黒い髪の自分が映っているばかり。本当にこの女は何を言っているのやら?
「ごめんね、おかしなことを言って。気にしないでいいから」
信じられないことに、宮園楓花はふっと笑った。
「また後で——撮影現場で会おう」
そして楽屋から出て行った。千切れた破片となった呪符を備え付けのごみ箱に捨て、あたしを一人残して。




