宮園楓花 因縁
「そうですね、コーヒーの良い香りがしてました」
「わたしの記憶違いかもしれないんだけど、昨日咲堂さんって『コーヒーが苦手』って言ってなかった?」
「あっ……確かに」
E&Fエレメントの御剣社長から、発売前のドリンクを差し入れにもらったときのことだ。2種類あるフレーバーのうち、咲堂は自分が手にしていたコーヒー味のものは苦手だといって、楓花の抹茶味と交換をしていた。
「今日、いきなりコーヒーが飲めるようになったってことでしょうか?」
美亜の言う通り、人の味覚の好みが変わることはあるかもしれない。しかし、それなら昨日コーヒー嫌いを騙った意味がわからない。
「ええー! もうこんなになってるの!?」
悩みこんでいると、少し離れた撮影セットから素っ頓狂な声が聞こえてきた。声のした方を見ると、教室のセットの窓際の方で小道具係の三枝が佇んでいた。すかさず「どうしたの?」と柳が声をかける。
「ちょっと、見てくださいよ~」
三枝は困った顔をしながら、一輪挿しを片手に近づいてくる。
「お花がこんなになっちゃってるんですよ——今日、仕入れてきたばっかりなのに」
楓花たちが見た一輪挿しには、一輪の白い百合の花が差してある。撮影セットの窓際のロッカーに置かれていた小道具の花だ。
しかし白い花びらの先端はどれも黒ずみ始め、花の房は力尽きたように頭を垂れていた。
「それ、本物のお花なんでしたっけ」
楓花が問うと、三枝はこくりと頷く。
「リアリティを出すために、造花ではなく本物のお花を使ってるんですよ——だけどすぐ枯れちゃうんだったら、造花にしてもらおうかな」
悔しそうに歯噛みする三枝。
「あらら、でも本物の花だしそういうときもあるよ」
「まだ予算あるし、新しいもの買ってもらえばいいって——監督のとこ、相談しに行こう」
「はあ、そうですね……」
三枝たちスタッフは新しい花を仕入れようという話をし始め、楓花たちの元を離れていった。
「はあ、色々あるねえ」
「そう、ですね……」
美亜とそんなことを言い合いながら、楓花は再び西の壁の方を見た。
そこではまだ壁によりかかった咲堂が紙コップの中身を飲んでいた。遠くから見ただけではあるが、彼女には覇気がなく、目つきもぼんやりとしているように見えた。
——大丈夫かな。
どこか具合でも悪いのだろうか? 無理をしているわけじゃないといいんだけど。
そう尋ねようと、咲堂の方に歩を進めた瞬間だった。
目の前の咲堂が、にいっと口角を上げた。
「……えっ?」
楓花は驚いて、目を瞬かせる。
「先輩、どうしたんですか?」
脇で美亜が声をかけるが、楓花の耳には届いていなかった。
だというのに、閉じていた口が開いたことがわかった。その口の中からは、黒い枝先のようなものが出ていることも。
——あれ?
その黒い枝先には、ぽつん、ぽつんと赤い何かがいくつかついているような気がした。
目を凝らしながら、咲堂の方へと少し近づく。
それが赤く小さな花びらだとわかったとき、身体が動かなくなった。
「こっち見るなよ」
威圧するような低い声だったが、咲堂の声に似ていた。
「……うわあっ!」
声が聞こえた途端、身体がびくりと動いた。金縛りが解けたかのように。
「先輩、大丈夫ですか!?」
美亜が駆けつけてくる。さらに周りを見ると、大勢のスタッフたちが「何事か」と言いたげに楓花の方を見ていた。気まずい思いをしながら、彼らに「すみません、何でもありません」と言うしかなかった。
「先輩、何かあったんですか? 急に叫ばれたりして……」
「ごめんね、何でもない——ねえ、美亜。今わたしに誰か喋りかけたりしてた?」
「えっ、喋りかけるってどんな……」
「その、こっち見ないでとか何とか言ってる人とか……」
「……うーん、私は聞きませんでしたけど」
首を捻った美亜の不審そうな目が楓花の心に刺さった。
「そっか、じゃあ空耳だったんだね」
納得はいかないが、そう言っておくしかない。
空耳に幻覚、少し前からそんなことが多い。大役を務める撮影での緊張でそうなっているのだろうか。
——なんか、まずいかもしれない。
額に脂汗が伝った。このまま撮影を続けても大丈夫なのだろうか? 心の中の不安とわだかまりが大きくなってくる。
後ろを振り返る。
さっきまで咲堂がいたはずの場所には、もう誰もいなくなっていた。




