呪詛
口の中には、あの味がまだ残っていた。苦い抹茶の味と、あまったるい余韻を残す人工甘味料の味。
楽屋の鏡を見ると、あたしの隣にはあたしが立っている。同じ髪型、同じ背丈のもう一人のあたしが。
鏡に映ったあたしは、あたしの耳元に口を近づける。その口元が、にいっと斜めに高く引き上げられる。
「壊しちゃいなよ」
あたしの姿をしているのに、声だけはあたしよりも低い。
「気に入らないものは壊すべきだって」
そうでしょ? きっと、すっきりするよ。
冷たい吐息が、耳元にかかる。
「……いいかもしれないね」
あたしも口角を上げて見せた。
あははははははっ!
もう一人のあたしは、大きく口を開けてけらけらと笑った。
ひとしきり笑ったあと、楽屋から廊下に出る。一階に降りると、電話をしている長身の男と出くわした。
「咲堂樹里さん」
すれ違ってしばらくしてから、声を掛けられる。振り返ると、さっきの男が苦虫を噛み潰したような顔でこっちを見ていた。
「誰?」
「失礼致しました——わたくし、アイドルグループ『万物の歌神』のマネージャー、因幡と申します」
ああ、あいつがいるグループのマネージャーか。気に入らない。
「何だよ、こいつ」
隣に立つもう一人のあたしも、男を睨みながらそう言っている。
「——すみません、一瞬だけ立ち止まっていていただけますか?」
「は?」
何であたしがそんなことをしなきゃいけないの?
そう反論する間もなく男はあたしに向かって、何かを呟き始めた。日本語に聞こえないような、意味不明の言葉。
「ぐえっ」
もう一人のあたしが苦しそうにえずく声が聞こえて、あたしまで気分が悪くなってきた。
訳がわからないけど、聞いていて気分の良くない言葉だったし、身体も頭もずしんと重くなった。
目の前が一瞬、真っ白になる。あたしはこのままどうなるんだろう。
ふざけんなよ、どうしてあたしがここまで苦しまないといけないんだ。どうして、どうして。あたしは被害者なのに。ふざけんなよ。
「あああっ、くそっ。もっと、あんたの力を借りないと」
もう一人のあたしの苛ついた声。
途端に、ぐいっと後ろから顔を掴まれる感覚があった。たくさんの指が口の中に入ってきた。
口の中がすごく甘ったるい。まるで、甘い花のつぼみを噛んだみたい。
「——なんということだ」
力ない声が聞こえて、意識が戻る。
目を開けると、布製のマットを敷いた青い床と黒い大きな革靴が見えた。身体が重くなったあたしは、どうやらそのまましゃがんでいたみたいだ。
痛む首を持ち上げると、さっきの男があたしを見下ろしていた。目を大きく開いて、信じられないものを見るような目つきで。
やめろよ。どうしてあたしをそんな目で見るんだ。誰のせいで苦しんでいると思ってるんだよ。
「あっち行けよ!」
もう一人のあたしが叫んだ。男の方を憎々し気に睨みながら。
そのあとはどうしたのかわからない。気がつけば、自分の楽屋に戻っていた。
「もう大丈夫、あたしはあいつよりも力をつけたから」
楽屋の姿見の中、隣に立ったもう一人のあたしが呟く。
あたしのおかげ?
おうむ返しに呟いたあたしを見て、もうひとりのあたしがにいと笑う。
「あんたの中の想いにもっと力を与えたの。そうすれば、今のやつみたいにやられなくて済むから」
何を言っているのかはよくわからなかった。だけどあたしの中の何かが変わったのはわかった。
それにすごく気分が良かった。
「そう、良かったね」
あたしも笑みを返した。
*
「こっちこっち、因幡くん——って、めちゃくちゃ顔色悪いじゃん!? どうしたの!?」
「——すみません、なかなか手ごわい悪霊と対面しまして」
「わーお……やっぱそれって、さっき急に電話切れたのと関係ある?」
「大いにあります、実は……」
「——あー、なるほどね。憑かれちゃったのかな、咲堂樹里さんも」
「そうでしょうね——結局、あの悪霊を祓うことはできませんでした。無念です」
「この間といい、苦戦が続くねえ——それで彼女も御剣社長と接触してる可能性はないの?」
「その可能性は高いと思っています。後ほど、彼女のマネージャーに確認しておきます」
「オーケー、頼んだよ——さて、この件だけど。やってもらうか、うちの女神たちに」
「あまりこういうことは堂々と頼みたくないのですがね」
「まあね、でもしょうがないでしょ——それにあの子たちなら負けないと思うし」
「——だといいのですが」
「あの子たちを信じなよ——うちの子たちが只者じゃないっていうのは、オーディションの時点でわかってたんだから」
「……そうでしたね」
「あとは作戦を決めるだけ。これから考えよう」
「そうですね。まずは誰にお願いするかですが……」
「それはもう、決まってるでしょ。咲堂樹里に近づける適役が」
「やはり彼女ですか」
「うん、あの子しかいないよ」




