楓花と美亜 没収
トイレを出て撮影現場に戻ると、楓花が座っていた椅子のそばにはまだ美亜がいた。
「お疲れ、美亜。もう気分は大丈夫?」
楓花が美亜から離れてから10分ほどしか経っていないが、美亜の顔はほんのり血色を取り戻しているように見える。
戻ってきた楓花を見つけた美亜は、優しく微笑んだ。
「はい、大丈夫です。さっきはすみませんでした——私より、怪我をした楓花先輩の方がずっと大変だったのに……」
「いいんだよ、美亜が元気になってくれた方がわたしはずっと嬉しいからさ——それより、まだ帰らないの?」
美亜の手元に目をやる。
彼女の華奢な手は「乙女の園の王子」第2話の台本を開いていた。ここで台本読みをしていたらしい。
「は、はい。明日、第2話の撮影があるって聞いたので、もうちょっとしっかり読みこんでおこうと思って」
どこか緊張したように笑う美亜。
「脇役なのでそこまで台詞は多くないんですけど、私、ドラマの撮影は初めてなので……撮影の時に失敗したくないんです」
第2話から登場する美亜の役は響に好かれる小夜へ嫉妬する女子生徒、深川智咲の役だった。立ち位置的には、小夜の天敵となる役だ。
「そっか、美亜は努力家だね。その心意気なら絶対上手くいくよ」
そう言って楓花が美亜の頭を優しく撫でると、小さな声の「ありがとうございます」が返ってきた。その顔は少しだけ赤いような気がした。
「あっ、そういえば、さっきのドリンクなんですけど……」
思い出したように、美亜が話題を変える。
「ドリンクって、御剣社長にもらったやつ?」
「そうです。関監督たちとのお話から戻ってきた因幡マネージャーの前で飲もうとしたら没収されてしまいまして……」
「はっ? 没収?」
——何で?
思いがけない言葉に、眉間に皺が寄ってしまう楓花。
「は、はい。理由はよくわかんないんですけど……」
話を聞くところによると、因幡マネージャーは美亜の持っていたドリンクのボトルを見るなり表情を変え、美亜から取り上げてしまったらしい。そして忙しなく、またどこかに行ってしまったとのことだった。
「どうしてですか? って聞いても『すみません』と言われるだけで詳細は教えてもらえなくて——やっぱり、新商品をいただいたのが良くなかったんでしょうか?」
しゅんとしている美亜が気の毒で、楓花は「大変だったね」と声をかけるしかできなかった。
その答えは、再び因幡と会ったことで明らかになった。
「ばんかみ」メンバーが待つ寮へと帰ろうとした矢先、スタジオエントランスから中に入ってくる因幡と出くわしたのだ。
「——楓花、帰り際にすみませんがちょっといいですか」
携帯電話を片手に、楓花に話しかけてきたマネージャーの息は軽く弾んでいた。
「いいですけど、何かありました?」
「本日、F&Eエレメントの御剣社長と会いましたか?」
因幡の口から出てきた人名に、一瞬思考が止まる。
「はい、会いました」
——なんであの人の名前が出てくるんだ?
楓花の脳内に疑問が沸いたが、言葉として出る前に因幡が話を継いだ。
「そのときに彼から、まだ未発売のドリンクをもらった。間違いないですか?」
「間違いないですけど——マネージャー、さっき美亜から聞きました。ドリンクのこと」
話を聞いた因幡は「ああ」と思い出したように頷いた。
「あれに何か問題でもあるんですか?」
「そうですね——ドリンクを受け取ったこと自体は悪くないのですが、少し調べたいことがありまして」
「調べたいこと?」
「美亜にも言った通り、詳細は言えません——そして私からも楓花に聞きたいのですが、あのドリンクを飲みましたか?」
「わたしですか? 飲んでませんけど——まさか、没収ですか」
「すみません、没収です。今ここでお渡しいただきたい」
「わかりました——だけど、何か問題でもあるんですか?」
リュックサックの中に入れていたドリンクを渡しながら、楓花は問うた。
「炭が入ってるらしいですけど、美味しいみたいですよ」
「味のことを気にしているのではありません。ただ、少々調べたいことがあるのです」
「はあ……」
アイドルマネージャーが、この未発売のドリンクの何を調べるというのか?
「まさか『ドリンクに毒でも入ってる』とか言いたいわけじゃないですよね?」
「……決してそういうわけではありませんが」
若干の間と、曖昧な回答が引っかかる。
「あの、なんで違うと断言できないんですか? この際だから聞きますけど、うちのグループって怪しいことに巻き込まれるの多いですよね? この間の神社の件とか」
「神社の件」というのは、夏ごろに起きた一件だ。
楓花と「ばんかみ」メンバーである静の仕事先にあった神社で、因幡は重い呪いをかけられた若者を助けようとして、危険な目に遭いかけたのである。
結局は静が陰陽師流の悪霊払いを使って解決したのだが、楓花にとってはなかなかに衝撃的な体験となった。
それだけではない。神社の一件よりも前から、メンバーの流奈や茜が悪霊祓いをしたという話を聞いている。
もはや楓花には「『ばんかみ』はオカルト方面のごたごたに巻き込まれやすい」という認識ができていた。
「——そうですね、『ばんかみ』メンバーはそういうものに巻き込まれますね」
全てを諦めた様子で、ため息をつく因幡。
「すっかりこういう事態に慣れてしまったんですね、あなたも。オカルティックなものの存在など否定してくれた方がいいのですが」
「否定するなって言う方が無理ですよ、この間のあんな現場見せられたら——それで、もしかしてわたしの知らないところでまた呪いとか悪霊沙汰が起きてるんじゃないですか?」
「ノーコメントです——まだ何とも言えません、だから調べているのです」
因幡はそれ以上、口を開かなかった。
「何かわたしにできることはありますか? わたし、何でもやりますよ。悪霊祓いとか」
「そういう経験があるのですか?」
「ない、ですけど」
楓花には霊感だとか、悪霊祓いだとかができるわけではない。今までに幽霊も見たことがない。
だが、自分にも何かするべきことがあるのではないかと考えてしまう。
「ならば、残念ですがありません。そもそも素人に悪霊祓いは危険です。そう簡単にはさせません」
きっぱりと言われてしまった。
「今はただ、あなたの仕事に集中してください——ドラマの主演という大仕事があるでしょう?」
「……はい、わかりました」
「ドリンクのことはまた進展があれば伝えます。再三言いますが、何か異変があれば教えてください」
「わかってます」
「最後に一つ——楓花、しばらくそのまま動かないでもらえますか?」
「えっ?」
途端、楓花を見る因幡の目がきゅっと細められた。
「何してるんですか?」と楓花が問うも、彼は何も答えない。
「——はい、大丈夫です。問題ありません」
ようやく因幡が口を開いたのは、一分ほど経ってのことだった。
「今、何をしてたんですか?」
「霊視です」
「れいし?」
「あなたに悪霊がついていないか見ていました」
「何かついてました?」
「いえ、大丈夫です。何もついていませんでした」
「安心できました?」
「ええ、それだけでも良しとしましょう」
固かった因幡の表情が少しだけ緩んだ。




