宮園楓花 遭遇
「なんか少女漫画みたいだな。荷物の中に危険物が入ってるだなんて」
自分の左手の先に包帯が巻かれていくのを眺めながら、楓花はぼんやりと呟いた。
ヒロインが女優を目指す少女漫画で似たようなシーンを読んだことがある。その漫画ではヒロインが靴の中に画鋲を入れられるのだったが。
「冗談言ってる場合じゃないでしょう」
すかさず、楓花の包帯を巻いていた因幡マネージャーが鋭い指摘を入れた。
普段から無表情の因幡マネージャーの顔は、いつも以上に険しい。少しでも刺激したら、どかんと爆発しそうな雰囲気がある。
「人の荷物にむき出しのカッターナイフを入れるなど犯罪ですよ。もっと事を真剣にとらえてください」
「……はーい、そうですね」
因幡マネージャーの言う通りだ。くだらないことを考えてしまうのは、自分の身に起きたことへの現実逃避なのかもしれない。事実、包帯を巻かれた左手は今もずきずきと痛んでいる。
カッターナイフと血まみれの左手を携えて皆の前に現れた楓花を見て、関監督を始めとするスタッフたちは騒然となった。
現場となった楽屋内にある防犯カメラはダミーだった。そのため、誰がいつカッターナイフを楓花の荷物に忍び込ませたのは不明だ。
こんなことをしたのは誰なのか。現場全体にぴりぴりとした空気が張りつめてきているのを、楓花は肌で感じていた。
「これからスタッフの皆さんと少しお話をしてきますが、怪しいことがあったらすぐに知らせてください」
楓花の手に包帯を巻き終えた因幡は、険しい顔で言うと「いいですね?」と念を押した。その気迫に押された楓花は、素直に「わかりました」と頷く。
「ごめんね、美亜。ショッキングなところを見せてしまって」
そのまま何をするでもなく座っている楓花の脇には、美亜が立っていた。その顔は青白く、今にも倒れそうな雰囲気である。思いもしない流血沙汰に恐れおののいているのは目にも明らかだ。
「——い、いえ、そんなこと言わないでください。私は大丈夫です」
そう返す美亜の声は弱弱しかった。
「その、誰がこんなことをやったのか、早くわかるといいですよね……」
「本当だねえ——ごめん、ちょっとトイレに行ってくるよ」
いたたまれない雰囲気になり、楓花はスタジオのトイレへと足を向けた。
——あーあ、しばらくこの状態か。
個室の洋式トイレに腰をかけながら、包帯が巻かれた左手に向けてため息をつく。
負傷した箇所が手の内側、手のひらだったことは不幸中の幸いかもしれない。手の甲であれば、包帯を外していても撮影の時に傷が目立ってしまったはずだ。そう思うと同時に、怪我をしてしまった自分がどれだけ迂闊だったかという後悔に苛まれる。
暗い気分になりながら個室から出ると、左手にあるトイレの出入り口が開けられた。
「——ああ、咲堂さんだ」
「今日は何度も会いますね」
入ってきたのは、撮影用のセーラー服から私服の紺色のデニムジャケットとジーンズに着替えた咲堂樹里だった。
メイクを直しに来たのだろう。彼女の手には大きめのラウンドポーチが握られている。
「宮園さん、さっきは大変でしたね。話、スタッフの皆さんから聞きましたよ」
負傷した手でぎこちなく手を洗う楓花の隣でメイク直しつつ、咲堂が言う。
「怖いですよね、誰がそんなことをしたんだか」
「犯人、早く見つかるといいですよね」
「普通に犯罪ですからね」
「それもあるし、女優って肌とか見られやすいから怪我はできるだけ避けたいもの」
「あははっ、そうですよねえ……」
——そこに気を遣えてなかったの、プロ失格だよな。
楓花が気にしていたことをずばりと言う咲堂に面食らう。今の楓花にはストレートに刺さる言葉だったが、言っていることは間違っていない。
「——あっ、ごめんなさい。今のは言うべきじゃなかったですね」
流石にまずいと思ったのか、謝罪する咲堂。どうも思ったことがすぐ口に出てしまうタイプのようだ。
何と返すべきか迷いつつ、斜め前の鏡を見たときだった。
「えっ……?」
鏡の前でアイメイクを続ける咲堂の口元は、少しだけ開いていた。
その口中から、黒く細い枝先のようなものが飛び出ている。
——何?
楓花が見つめていると、その黒い枝のようなものはぐにゃりを身をくねらせた。
「ちょっと、咲堂さん。その口どうしたんですか!?」
「口?」
慌てた楓花に驚いたのか、アイシャドウをつける手を止め、咲堂が楓花の方を向いた。
「私の口がどうかしましたか?」
楓花の目の前で、真っ赤な唇が動く。
その口元からは何も出ていなかった。
「……あ、いや、あれ?」
目を瞬かせる。確かに鏡で見たときは、咲堂の口先から黒く細い枝のようなものがちらちらしていたのに。
「何かついてます? ソースとか?」
微笑んだ咲堂はおどけたように首をかしげてみせた。
「いえ、全然そういう意味じゃ……ごめんなさい、何でもないです」
対面したときは何もなかった以上、そう思わざるを得ない。怪我をしたショックからおかしな幻覚を見たのだろうか?
しかし咲堂の口元から飛び出した黒い枝の怪しい動きは、妙に現実感があった。
「それじゃ私、先に行きますね——手、お大事に」
仕上げのアイメイクを終えた咲堂は化粧品をまとめると、楓花の方を振り返ることなくトイレを出て行った。
——もしかして、さっきの。
意図せずとも、自分の楽屋の鏡に映っていた女性の姿を思い出す。彼女も紺色のジャケットを着ていなかったか?
——気のせいだ。
かぶりを振って、楓花は急ぐようにトイレを出た。




