最終話。新たな朝を、火山の麓(した)からおはようございます。
「あれ? なんでこんなとこでゆるさんが寝てんすか?」
翌朝。ゆるさんが寝起きでぼんやりしていると、
土竜の一匹が、驚いた声を出した。
昨日の朝、ゆるさんがこの場所を去ってから
長をからかった土竜の片割れだ。
そして結葉たちにウェポナイトの固まりを
放り投げた竜でもある。
「あの人間たちを町まで送って? で、疲れてここで寝 てた……。
いや、あれだけのことで疲れるとは思えねえっすし……わかんねえっすよ」
推測を口にしながら、それでも答えに辿り着けない様子だ。
「お前たちにはまだわからんことだ」
既に起きていたらしく、長がそうめんどうそうに答えている。
「おはよう ございます~」
全身をピンとのばして、そうゆるさんは挨拶した。
いつもの目覚めの一のびである。
空間が広いのは、土竜たちが圧迫感を感じさせないように、
少し離れているおかげだった。
そうして初めて、軽い口調の土竜は
ゆるさんの存在に気が付いたというわけである。
「よく寝られたか、竜凰殿」
一歩こちらに近づいて来た土竜の長。
ズンと重たい足音と共に、少し地面が揺れる。
気遣うような声色で言う長に頷くと、
首を目いっぱい上に伸ばしておかげさまでと返した
ゆるさんことブルカーニュ。
それでもまだ顔の位置は、長の体の半分に少し届かない。
「いっしょに寝てくれて、ありがとうございました モグラさん」
首を戻してから向かい合う位置に歩いて、そう言って
ペコリと頭を下げたゆるさん。
「土竜だと言うのに」
がっかりしたように、首をたれて返す長。
それにウフフとおしとやかに笑ってから、
「じゃ、わたし 水飲んできますので」
そう言ってブルカーニュは地を蹴って空へと飛んだ。
「まったく。平気で水の魔力の源泉にドボンだもんなぁ。
ほんと竜凰ってのはどうなってんだか」
昨日長をからかっていた土竜の、初めに喋った方ではない方が
そう飛び去る彼女を見送りながら呆れた声で言った。
そうしたらもう片方が、
「だよなぁ。ほんと、あのぼんやりさんはつくづくかわりもんっすよ」
と同調して声を上げた。
***
「おはようございまーす」
降下しながら声を出して、言葉が終わるのと同時にザブンと
例の湖に入ったブルカーニュである。
「珍しい入り方だねゆるさん。おはよう」
「ブルカーニュおねえちゃん、おはよう」
水をコクコクと水中で飲んでいると、竜の中で唯一
ゆるさんよりも体の小さな、水竜姉妹に声をかけられた。
自らの魔力を空間に広げることで、
魔力を通して声を浸透させて相手に伝える、
水竜ならではの水中での対話の仕方である。
「おはようございます、アズラッティちゃん カスクちゃん」
全属性魔力をその身に宿すゆるさんは、水竜の真似事をすることができる。
しかし小波一つ起こらない専門家と違って、ゆるさんは
水と風の魔力の同時使用によって音を伝えていると言う独自のやり方のため、
ゆるさんが水中で喋ると空間が波打つ。
「たまにはこんな風でもいいかな、と思ったんですよ」
普段の調子ではあるが、実は昨晩の火山への帰り道の寂しさが、
一人で飛んでいる時に蘇って来てしまった。
だから早く誰かの顔が見たかったのだ。
「ふぅん。下から来たのと、なんか関係あるのかな?」
訳知り顔で言うアズラッティに、ゆるさんは「さ、さぁ」とはぐらかす。
一人で寝るのがいやで、土竜の長といっしょに寝ていた
と言うのを知られるのは恥ずかしいようである。
「んー?」
アズラッティ、下から覗き込むようにじわっとゆるさんに接近。その表情は、
口は閉じているもののニヤけるのが抑えきれないのがありありとわかる、
いたずらっ娘全開な物で。
「かっ からかわないでくださいっ」
言うなりブルカーニュは、派手に泡をたてながら上昇、
「ふぅ」
バシャッと湖から顔を出した。
「ごめんってば」
続けてアズラッティが顔を出すのと同時にそう言い、
「おこんないでよ~」と楽しそうに続けた。
更に、カスクも顔を出す。
「むぅ」
ほっぺたをぷくーっと膨らませて、不機嫌丸出しな様子のゆるさんに、
アズラッティはアハハと苦笑いする。
「あれ?」
空気を換えてくれるが如く、アズラッティの視界になにかが映った。
「あれって風竜?」
アズラッティが言う通り、正面の空に一匹の緑の竜。
「すんごい速度。どうしたんだろあんなに慌てて?」
グングン大きくなって来るそれは、
すぐに誰だか判別できるほどにまでなった。
「あれ……ビユウンだ」
「ゆるさんっ! てーへんだ! てーへんだー!」
大騒ぎしながら、湖面に激突するんじゃないかと言う勢いで
突っ込んで来たビユウン。
きょとんと呟いたアズラッティに、まるで答えるように口を開いた彼
ではあったが、話し相手はアズラッティではなくゆるさんだった。
ビユウンの勢いにびっくりした竜の少女たちは、
思わず湖に顔をひっこめた。
なにかに押さえつけられたような不自然な止まり方で、
なんとか停止したビユウン。
それを水中から見て、ゆるさんとアズラッティは顔を出した。
めいっぱい翼を広げる彼の、その大きさと迫力が
ゆるさん、ブルカーニュはちょっぴり苦手である。
「どうしたんですかビユウンくんそんなに慌てて?」
湖の真上に対空しているビユウンに、
そうゆるさんが驚いて声をかけた。
「聞いて驚け、いい話を持ってきたぜ!」
「わ、わかりました わかりましたから落ち着いてくださいってば」
ゆるさんがアタフタしているのは、ビユウンが落ち着きなく
翼をバサバサはばたかせているせいだ。
彼のはばたきによって湖面が派手に波打っており、
それに対してアズラッティがむっとして
ビユウンを睨み上げている。
カスクはまだ顔を出さない。怖がっているようである。
「おっと、すまねえ。つい、興奮しちまってよ」
「それで? いい話って言うのはなにさ?」
アズラッティがむっとしたまま促すと、
「わりいって」と苦笑いしてからビユウンは答えた。
「昨日いた、ちっこい方の嬢ちゃんいたろ?」
話し出したところで、カスクが波立つのが収まったと理解して、
こわごわではあるが顔を出した。
「エルさんですね」
「そうそう。そいつがまた、
今度は石ほじくり返す奴らと似たようなかっこしてよ、
昨日とおんなじとこ通ってな。この山に向かって来てんだよ」
「え? エルさんが?」
驚きと喜びの声を上げたゆるさんだが、
「でも、どうしてまた?」
同時に困惑もその表情に滲ませた。
「どうやら今回は、冒険者連中といっしょらしいぜ。
昨日のとは別の奴等だなありゃ。別の皮かぶってっから」
皮とは、人間たちの衣服や武具のことだ。
装備と言う言葉を聞いていない、あるいは
聞いていても気にしていないビユウンにとって、
彼等の纏う衣服や武具は、なにかの皮程度の認識なのである。
「全員ひょいひょい進んでるってこた、仲ぁよさそうだぜ。
嬢ちゃんの足取りも顔の調子もぜんぜん怖がってねえし、冒険者連中も
殴り込みに来たってツラじゃねえや」
「そうですか」
その言葉で今日エルがいっしょにいるのは、
ゆるさんの嫌いな「人間」ではなく
「人間さん」らしいとわかり、ゆるさんは一先ず安堵する。
「俺らに気付いたようでよ。こっちに御守ぃ見せて来てたぜ。
まあ、それでなきゃすぐにゃあの嬢ちゃんだって
わかんなかったんだけどな」
「そうですか。ありがとうございますビユウンくん」
言ってゆるさんは、ゆっくりと湖から上がる。
垂直に上昇したため、ポタポタと湖に自分についた
雫をしたたらせている。
「いいってことよ。じゃ、今日はゆるめに警戒しとくように
知らせてくら」
「おねがいします」
緑の竜は軽く一つ頷くとスッと飛んで行った。
「それじゃあ、ゆっくりと お出迎えしましょうか」
少し大きめに、調子を確かめるように
翼をはばたかせながら言う、ゆるさんことブルカーニュ。
そんなゆるさんの様子を少し眺めてから、
「そうだなぁ」と考えるように呟いて、
「今日はぼくもいこっかな」
アズラッティが言葉の後で、体を上半分水から出した。
「カスクはどうする?」
姉に問われて少し考えたカスクは、
「……こわくない?」
と不安げにゆるさんに視線を投げる。
「大丈夫ですよカスクちゃん。今お話してたのはほら、
昨日あった人間さんです」
「……ツンツンしたの?」
少し考えてカスクは確認した。
昨日カスクは人間、結葉たちを見かけている。
しかし会ったと言われて思い浮かんだのは、
自分の水掻きをつっついて来たエル一人だ。
会ったことと見かけたこと。カスクはいまいち
その区別が、まだついていないのである。
「そうです」
ゆるさんに首を縦に振られて、また少し考えた。
「うん。カスクもいく」
水掻きをつつかれたことを除けば、
カスクが初めて触れた人間は好ましかった。
だから首肯した。
「よし」
妹の答えに頷いて、
「じゃ、湖出るよ、カスク」
そうアズラッティは促した。
それに「うん」と不安のとれた声で応じる、
殆ど白い水色の、幼い水竜。
「今日は。悪い琴のない、のんびりした日になるといいな」
チャプチャプと、仲良く岸に向けて水をかき分ける
水竜の姉妹を見ながら、ゆるさんは穏やかに、
温かく呟いて、ゆっくりと空を見上げて。
「ん~、今日もいい天気ですねぇ」
そうしてにっこりと微笑むのだった。
おしまい。