第十八話
漆黒に沈む洋館に跋扈する小さくて頼りの無い明かり。
『惨劇ノ迷宮』というだけあって内部の様相もかなり意匠が凝らしてあった。
廊下に懐中電灯を動かせば、鮮血のような色合いの朽ち果てかけた絨毯がぼんやりと闇の中に浮かび上がる。
通路端には中世の甲冑がそれぞれの得物を手に沈黙しているのだが、どれもこれも今にも動き出すのではないかと奇妙な気配と圧迫感すら感じさせてくる。
じめっと肌に触れる空気も、先だって見たPVの設定をより近くに感じるために一役買っている。なるほど、かなり本格的なオバケ屋敷ではないか。
「埃っぽい匂いも凄いな……」
人生で初めてオバケ屋敷に入った司は怯えるどころか純粋に感心してしまっていた。
入ったばかりの廊下の時点でこのクオリティ。マップに記されている書斎やキッチンともなるともっと迫力が増すのだろうか。僅かにだが期待で胸が膨らむ。
強いて難点を上げるなら、まだ最序盤の所為か誰も何もこちらを驚かしに来ないところか。
「つ、司! そんな早く歩かないでその……も、もう少しゆっくりでだな……」
「これ以上ゆっくりって……しょうがないな」
依然として司の右手は忍の恐ろしい握力で掴まれていた。
扉を開いていざ進もうとした矢先、忍の歩調が四割ほど遅くなってほとんど引きずるような形で歩いているのだが、こんなペースでは脱出までにどれだけ時間が掛かるか分かったものではない。
……さっさと出たい。
怖いと言えば怖いのだが、オバケ屋敷に必要以上な時間を掛けたくないというのも正直なところだった。
「あぅ……ままま、まぁってくださいよぅ……こ、っ怖くて、足が動かにゃ……ややや」
司の背中にそんなか細い声が聞こえてきて振り返ると、涙目のセーラー女子が未だにスタート地点の扉の前でしゃがみ込んでいるのが見えた。四人グループで入るまではともかく、それ以降一緒に行動する義理もないだろう。
「……おい、彼女が遅れてるようだぞ?」
とは思いつつ、不憫に感じた司は斜め後方に立っていた学ラン男子に声を掛ける。すると、彼は小さく肩をすくめた。
「別に彼女じゃないですし放っておいても大丈夫ですよ。そちらこそ、ボク達に構わず先に進んでください」
「……ん」
予想よりもかなりクールに返されてしまったが、彼が大丈夫と言われたのだからきっと大丈夫なのだろう。
そう割り切って踵を返そうとしたその瞬間、あろうことかセーラー女子の視線とぶつかってしまった。
まるで崖下から手を伸ばし助けを求めるかのような絶望的な瞳、そして視線を離そうとしているのにそれを許さぬ強力な磁力のような眼力。
「す、すみませぇん……」
「……」
結局、司は持っていた懐中電灯をセーラー女子に預け、そして空いた左手を彼女に差し出して形だけ両手に花となってしまった。
「優しいんですね」
「……違う」
やや含みのあるような言葉とは裏腹に、学ラン少年の上目遣いな視線には不思議と嫌な感情は感じなかった。どちらかと言えば好意的なようにも思えたが、足を止めると同時にそんな雑多な思考も中断する。
「悪意の書斎……」
最初の関門である『悪意の書斎』への入り口に辿り着く。半開きになった扉には所々朽ち果てていて穴だらけ。穴を覗きこんでも中の様子はうかがい知ることが出来ないのだが、微かな物音が聞こえるたび両手がデュアルショック。
ごくり、と誰かが唾を飲み込む音が沈黙の中で酷く鮮明に響く。
思わず飲み込まれてしまいそうな闇の向こうへ機中電灯を構え、司は一歩先へ踏み込む。
「……行きますよ」
「ちょ、ちょちょっと待った!」
「? いきなりどうした、忍?」
突然、忍はそんな震え声を上げたかと思うと司より一歩前に飛び出しその往く手を阻む。怖くなったのだろうか、それとも体調不良か。そんな忍の発した言葉はそのどちらでもなく、全く予想外の言葉だった。
「こ、ここからは私が先に行く。こ、怖ければ司は私の腕に捕まるといい……というか、掴んでおけ」
「……なんだって?」
そんな忍の言葉に司は耳を疑った。
開幕からビビりっ放しの人間がいったいどういう風の吹き回しだろうか。というか、先に行くと言いながらこっそり保険を掛けている。
だが、当の本人は胸を張ってこう主張する。
「ほら、私はお前の先輩だろう。先輩らしく、ここは後輩を守るのが――」
「また唐突に先輩風吹かそうとしたな。何考えてんだ?」
「細かいコトはいい。ほら、ここからは私に任せろ」
終始震えっぱなしの忍の声に一抹の不安を感じつつも、特にそれを否定する理由も見当たらないので司は小さく肩をすくめて従うことにした。
並び順が変わって、先頭を忍、次いで司とセーラー女子、しんがりは依然として学ラン男子となっている。……いい加減、何か呼称を付けるべきか?
「い、行くぞ……」
「ど、ドキドキします……ッ」
前から完全に怯え竦んだ声、後ろからは、恐がりつつもホラー小説のページを捲ってしまうような好奇心混じりの声に挟まれながら、いよいよ『悪意の書斎』への扉を押し開く。
書斎と言うだけあって、入るなり古本にありがちなカビ臭い匂いが鼻をつく。懐中電灯の明かりを四方に巡らせれば、書斎の名の通りいくつもの書棚が立ち並んでいるのが見える。……が、それ以外は特にこれと言って見当たらない。
「……何もな」
ブシュ――――ッッ!!
「うおッ、ビックリし――」
「ぎゃああああああああああッッ!!??」
「いやああああああああああッッ!!??」
書斎に一歩踏み込んだ途端、今の今までの静寂を完膚なきまでに吹き飛ばす轟音と噴射された煙に司は思わず怯み、そして前を往く女性陣二名が洋館を破壊せんばかりの叫び声を上げる。書斎の奥で奇怪な色にライトアップされた老婆の姿なぞ目もくれず、忍と少女は全力疾走を始めた。
「ばっ、ちょ!? 二人して引っ張んなって――!?」
司の制止の声は叫び声とドタバタと床を叩く音にかき消され意味を成さず、あろうことか『悪意の書斎』を強引にすっ飛ばし、次のエリアでスタンバイしていたスタッフの目の前を台風の如く過ぎ去り、マラソン選手が給水所を利用するような気軽さで懐中電灯を手渡すと、あっという間に第一チェックポイント、第二チェックポイントと末恐ろしい速度で通り過ぎていく。
そんな、正しく脱兎の如き二人の背中を見つめている時、ふと司はあることを思い出した。
(あぁ、そういえば前にもこんなコトがあったような……)
忍と知り合って間もない頃だったか。
近所で大きな犬がいると同級生たちが噂しているのを偶然耳にした。
司もそれが気になって見に行きたかったのだが、自分の身の丈ぐらいの大型犬を想像したら怖くなってしまって行くに行けなかった。
そんな折、同じ噂話を忍も聞いたらしく彼女から見に行こうと誘われた。
思えば、それは人生初の道草だったかもしれない。
見知らぬ場所へ向かう冒険心は司の小さな恐怖心をあっという間に塗り替えた。
放課後の帰り道、普段なら近寄らない高級住宅街の方へと足を伸ばし、白い鉄柵の下を忍び足で歩く。思わず見上げてしまうような門扉から顔を覗かせ、噂の大きな犬を探し視線を忙しなく動かして、やがて伏せのポーズで昼寝しているのを見つけた。
「うわぁ……おっきぃ……」
「ちょっとぐらいなら触れるかもよ。もっと近くに行ってみよ」
そんな言葉に最初はためらったものの、もしかしたら大人しい性格の犬かもしれないと勝手に判断し司は彼女の後を追いかける。
そーっと、そーっと。
司がゆっくりと手を伸ばし、指先が触れるか触れないかギリギリのところで、犬の両耳がピクリと跳ね、次の瞬間物凄い勢いで吠え立て始めた。
「うわあぁッ!」
「きゃああああああ!!」
「ご、ごめんなさああああああい!!」
目の前で、しかも大声で吠えられたことに驚いて腰を抜かしてしまった司に少女たちが手を伸ばす。
彼女たちに引っ張られながら門をくぐり抜け一目散に逃げ出していく司。
(あ、れ……?)
記憶の中で走る少女の後ろ姿がブレて、不意に二つの姿に分かれる。
一人は、ショートヘアで短パンのボーイッシュな女の子。
それが忍なのは覚えているのだが、問題はもう一人の女の子。
司の前で長い髪を右に左に大暴れさせて、か細い手足を懸命に動かし、それでいながら達成感に満ち満ちたような笑顔で司に振り返る。
思い出そうとぼやける記憶に手を伸ばす。
あと少し、あと少しで何かを思い出せる気がする。
君は誰だ?
何者なんだ?
虚ろな夢を掴もうとするかの如く、記憶の向こうへと思いを馳せ――やがて、目も眩むような鋭い光が差し込んだ。
「まぶ、しっ……………………あ、あれ?」
司を現実へと引きもどしたのは、燦々と注ぐ秋の日差しと行き交う人々の喧騒。
そして、司の真横でぜぇはぁと肩で息をする忍の姿だった。
調子は……そこそこって感じでしょうか。
ますます寒くなってきましたけども、皆様も風邪などひかないようお気を付けくださいまし。




