第十二話
その日、空は今にも圧し掛かってきそうな分厚い雲に覆われていた。
ともすれば雨が降り出しそうな空模様にもかかわらず、司はいつも通り屋上の給水塔の傍で寝転がっていた。湿った風が頬を雑に撫でてくる。
「…………」
そんな機嫌の悪そうな空を、司は睨んでいた。
別に今日の空に恨みがあるわけでもなし、世間や神様に不満だ不平があるとかそんな事もなく、ただただじぃっと睨みつけている。
瞳に映る灰色は、黒にもなれず、かと言って白にもなれない曖昧な色は、今の司の心と同じ色だった。
「司くーん。あの、デートのコトなんですけどね……ぇ?」
今日も今日とて桜夜がやってくる。
鉄錆だらけの梯子をコンコンと小気味良い音を響かせながら上って来ると図々しくも司の傍に座り込んできた。ご丁寧にも、正座で。
「どうかしたんですか? 元気無いですね」
「……別に、関係無いだろ」
「元気が無いこと自体は否定しないんですね。昨日、何かありましたか?」
視線だけ斜めに上げると桜夜の整った顔立ちが見える。司をからかうでもなく、かといえば心配しているという風でもなく、ただ何となく訊ねてみただけとでも言いたげな気取らない表情。司は寝返りを打った。
「何もないっての。いいから失せろって。風邪引いても知らないぞ」
「わ、わ、わ! まさか司君からそんな労わりの言葉が出てくるなんて! これじゃ雨じゃなくて雪が降りそうですね」
「…………」
蹴っ飛ばしてここから叩き落としてやろうか。
そんな司の企みは、不意に桜夜が回り込んできたことによって阻止されてしまう。何のお構いも無しに目の前にしゃがみ込むもんだから、思わず司は反対側に体を転がすようにして向きを変える。
「? あのー、どうかしたんですか?」
「……何でもねえよ」
……神様とやらになると羞恥心が無くなるのだろうか。
とりあえず、桜夜に顔が赤くなっていたことに気付かれなかったことは幸いだった。そんな司を他所に再度桜夜が回り込む。今度は堂々と司の身体を跨いできた。
「お話する時は、こうやって顔を見合わせるものです。目と目を見てお話すると、人は嘘がつけませんからね」
「だ、っからそういうんじゃなくて……あぁもう」
観念した司は溜息をこぼすと同時に体を起こし桜夜と渋々向き直る。寝転がっているよりかは見えないし、そもそも見たいとかそんな気も…………無いことはないが、相手が相手なので何か嫌だ。
「そ、れ、で? 昨日何があったんですか?」
「昨日、偶然忍と会ったんだよ」
「ただ会っただけですか?」
「……少し、話もしたよ」
興味津津といった様子の桜夜の顔がぐいぐいとにじり寄ってくる。適当な言葉で濁しても追求されるような気がして、司は渋々だが正直に答えた。
「昔の話。初めて会った時がどうとか……そんな話だよ」
「初めて忍ちゃんと会った時の話ですかぁ。……私、ちょっと興味がありますね」
「……まぁ、それぐらいなら別に話してもいいか」
司は昨日忍と話した内容をそっくりそのまま桜夜に話す。
初めて会ったのは雨降りの神社だとか、意外にご近所同士ですぐに仲良くなっただとかそんな程度。
しかし、桜夜は妙に真面目な顔をして司の話に聞き入っていた。忍と出会った時の話に関してはやけに食い付いてきて少しウンザリもしたが。
「あとは……そうだな、お前と付き合ってるのかどうか聞かれたな」
「へ……あ、えぇぇ!? や、そんな忍ちゃんったら、噂を鵜呑みにしちゃったんですかねぇ? ……えへへぇ」
「安心しろよ。ちゃんと付き合ってないって言ったから」
「……ですよねー」
あの時、では桜夜とどういう関係なのかと忍から追及されなかったことは幸運だったかもしれない。今にして思えば当人である司自身も分からないような奇妙な間柄だ。
ふと、桜夜がおずおずとこちらを上目遣いに見上げているの気付いた。
「私のこと、もしかして話題になってたりしましたか?」
「え? ……あぁ、少しだけな」
どんな風に? と桜夜の目が語っている。話しても問題ないだろうと判断し、司は昨日の忍の言葉を思い出す。
「別に馬鹿にしてたりとかはしてねぇよ。ただ、アイツはお前のことを不思議な人だって言ってたな。気心が知れてるだとか、初対面じゃないような気がするとか……」
「そう……ですか」
「そういえばお前、忍と知り合い?」
「え? えぇっと……」
珍しく桜夜が言い淀むと視線を遠くに泳がせた。傍目から見ても動揺しているのは一目瞭然で、司が怪訝な顔をするのも無理はない。
「何かお前、隠してないか?」
「か、隠す? 私が? いったい何を隠してるっていうんですか? いきなり失礼ですね全く。私は、司君が失くしてしまった縁を直すためにこうして努力して――あぁ! 何ですかその目は! まだ私のこと信じてくれないんですかぁ!? もー!」
「……もーいい。この話は止めだ止め」
これ以上この話題を続けるのが不毛と感じた司は再び寝転がると瞳を閉じて昼寝を決め込む。
しかし、安眠は訪れず代わりにこんな言葉が降り掛かってきた。
「それだけ、ですか?」
「…………」
実を言うと気になっている事が一つだけあるのだが、それはあくまで個人的なことなので桜夜に話す必要はないと思っていた。
だが、彼女は司の心を見透かしてるかのように透き通った瞳をこちらに向けてくる。
何だろう、刑事ドラマで犯人を取り調べてる時の目と言ったら伝わるだろうか。
吐いちまえよ、楽になるぜ。
ニュアンス的にはそれにかなり近い。
「少し、引っ掛かってることがあるんだよ。その、昔のことで……な」
して、どこから話したものだろうか。
人に説明するのもあまり得意ではないので、一度頭の中で自分なりに整理整頓をしてから話す順番を考えていく。
「忍と会う前、俺の事を覚えてるっていう魚屋のおばさんと話してたんだけどさ。その時、昔は商店街を三人で走り回ってたねって言われたんだ。一人は俺でもう一人は忍ってのは分かるんだけど、もう一人なんてこれっぽっちも覚えてないんだよ。
……ちょっと気味悪くないか? 身に覚えのない友達なんてさ。小さい時の記憶だから鮮明に覚えてるわけじゃないけど、少なくともそん時仲良かったヤツくらいなら覚えてておかしくないのに。……それが少し引っ掛かってたってだけだ」
少し引っ掛かっているだけ――司はそう言ったが、どうにもそれだけではないような気がしてならなかった。
それが何か大事なことのように思えてならない。
だけど、その理由がハッキリとしない。
ただ漠然と胸の内に引っ掛かったこの違和感は、正直に言うと誰かに話しても意味が無いと思っていた。
事実、目の前の桜夜はポカンと呆けているではないか。
「……どうかしたか?」
「え……ぁ、えっと……はい?」
そんな桜夜の反応を見て司は溜息を吐いた。
コイツ、話を聞いてなかったのか。
結果として司の独白のようなものになってしまった。
ふと時計を見てみると、もう間もなく次の授業の始まる時刻だった。
「……? 先に行くからな」
授業が差し迫っているのにも拘らず、桜夜は給水塔の傍でぼんやりと立ち尽くしている。立ち眩みでも起こしたのだろうか。
ボーっと呆ける桜夜を残し、司はそそくさと屋上を後にする。
「……はぁ」
司がいなくなったのを確認してから、桜夜はちょこんとその場にしゃがみ込んで小さく吐息を漏らした。今の言葉は司の正直な気持ちだったのかもしれないが、その正直さ故とても重く深く桜夜の心に突き刺さっていた。
気味が悪い――今しがた、司はそう言っていた。
「別に、気にしてなんかないんですけど…………いえ、やっぱりちょっと……寂しいですね」
それが全て自分の所為だと知っているからこそ、桜夜はこの使命を果たさなくてはならない。
司を変えてしまった責任と、そして、一人の少女の恋を叶えるために。
次で第二章を終了して、十四話から第三章に入ってエンディング……かな。
お気に入り件数がちょびっと増えてました。
こんな亀ペースのお話ですが、気に入っていただけたのなら嬉しいです。
では、待て次回。




