第十一話
秋といえば食欲の秋であり、そして秋刀魚が最も旬な季節。
……なのだが、司がぶら下げているビニール袋の中には何故か一人で食べきれるのか怪しい物量のシシャモがギッシリと詰まっていた。
「…………」
この神在商店街は司がまだ生まれていない頃から存在していて、引っ越しをする直前までは何度も両親と一緒に歩いて過ごしている。
しかし、それはあくまで十年も前の話であって、越して来てまだ二週間程度の司は顔見知りの類など既に存在していないと高を括っていたのだが……魚屋のおばちゃんはとんだ番狂わせだった。
「あれま、ひょっとして司ちゃんかい?」
その時の司の顔は、まるで追手に気付かれた悪漢かのような形相だったに違いない。少なくとも顔の筋肉が痛いほど引き攣っていたのは半ば自覚していた。
カスミハイツの管理人程とまではいかないが大柄で、店の通路と通路の間に挟まりそうな巨体を器用に滑らせながらおばちゃんは司の顔の倍の大きさでニカッと子供をあやす様な笑顔を浮かべた。
「まぁまぁ凄くおっきくなっちゃって、しかも優男になっちゃってま! あと三十年若かったらおばちゃんも放っておかないのに~」
「……えぇっと」
「んまぁー照れちゃって! 昔と全然変わってないのねぇ」
あくまで、念のために、そして司の名誉のために付け加えておくと、照れたのではなく驚き過ぎて凍りついていただけである。
さらに付け加えるのであれば、司とこのおばちゃんが会うのは実に十年ぶりで、当然だが背丈も伸びたし体格も小学生に比べれば何もかもが違う。
優男……は、どちらの意味だろうか。
本来は気品ある男を示す言葉なのだが、昨今では専ら『軟弱な男』のイメージの方が強い気がする。前者かと自惚れるつもりはないが、かと言って後者であればそれはそれで不服だ。
「あの、俺のこと……覚えてるんですか?」
それなのにおばちゃんは軒先に立った姿を見ただけで司と判別していた。先述の通り、姿形は大きく変わっているはずなのに。
そんな司のもっともな疑問は、おばちゃんの快活な笑い声に吹き飛ばされてしまった。
「あっははは! そんなのすぐ分かるもんだよ。人ってのは見た目とか大きさが変わっても、意外と中身は変わらないもんなんだよ」
「はぁ……」
おばちゃんの言はつまり、十年経った今でも司の根本的な中身が変わっていないと言っているのと同義である。複雑な心境の司を察したのかおばちゃんはカッカと高笑いした後、生臭さの残る手で司の頭をぐっしゃぐっしゃと強引に撫でてきた。
「わ、ちちちょっと……!」
「その遠慮がちなトコ変わってないねぇ。お母さんと来てた時も滅多に目合わせてくれなかったし、人見知りが過ぎるのも考えもんだよ?」
「ほ、放っておいてくださいよ……」
管理人といいおばちゃんといい、この手のタイプの女性は苦手だ。
ただでさえ司は他人嫌いなのに、こういった輩は追い打ちを掛けるかのように堂々とスキンシップまがいの事を仕出かす。子供の時なら甘受していたかもしれないが、流石に高校生ともなれば明確に拒絶の意志を見せねばならない。
「でもま、本当に大きくなったもんだね。懐かしいったらないよ。昔はよくこの商店街を三人で走りまわっててさぁ……今もあの女の子たちと仲良くしてるのかい?」
「は? あの女の子……たち? 三人って……?」
「えっとほら、二個上の子ともう一人……名前までは忘れちゃったけど、仲良しだった子がいたじゃないか。まさか忘れたなんて薄情なコトはないだろう?」
「……いや、えっと」
二個上の子、というのは言うまでもなく忍の事だろう。確かに忍とは幼馴染で引っ越しをする前は何度も遊んでいる。だが、今このおばちゃんは三人で走りまわっていたと言っていた。
司と、忍と……もう一人なんていただろうか。
思い出そうとして記憶を遡ってみるのだが、心当たりがまるでない。当時から人見知りで友人も少なかった司だから、逆に面識のある人物であればそうそう忘れたりはしないはずなのだが……
「まぁ、学校が変わっちゃったりとかで会うこともないのかね。それとも、年頃の男と女ってのもあるのかい? くふふふ」
「……」
おばちゃんの含みのある笑いを無表情で受け流し司は考える。
忍の他に、ここを司と一緒に走りまわっていた人物とは誰のことだろうか。
そんな人物がいるとすれば覚えているはずなのに何故覚えていないのか。
不意に、喉の奥に魚の骨が引っ掛かったような違和感が生じる。出てきそうで出てこないこのもどかしい引っ掛かりは言いようも無い程に不快で、司の内をざわざわとうごめきだす。
「……あの、その女の子ってどんな」
「そうだ司ちゃん! 今日たっくさんシシャモが入ったんだけど買ってかない? 再会を祝して半額で良いわよ?」
おばちゃんの営業ウインクは土砂崩れのようにグチャグチャでとても直視出来るものではなかった。
※
そして帰路に至るわけだが、司はというと先刻のおばちゃんの言葉に頭を悩ませながら虚ろな心地でとぼとぼと歩いていた。
「三人……三人って、俺と忍と……もう一人は誰だ?」
何度思い出そうとしても、全く思い出せない。
先述の通り、幼少の頃から人見知りの嫌いがあったのは事実だが、故にその時に交友のあった人物ともなれば鮮明に頭に残っているはず。それなのに全く思い当たらないのはどういうことだろうか。
単純に、忘れてしまった?
人は生きる上で忘れることの出来る生き物だから、仮に忘れてしまったとしても別段不思議ではない。
ならば、なぜ忘れてしまったか?
「……」
司の足が止まる。
脳裏に、過去に起こった小さな事件が一瞬過ぎる。しかしそれは……
「ここ最近、よく出くわすな」
そんな声を掛けられ顔を上げた先に忍が立っていた。学校指定のジャージ姿にショルダーバッグを抱えたその姿は部活帰りを雄弁に物語っている。
「えっと……お疲れ様です、桐嶋先輩」
「そんな態度を何時まで続けるつもりなんだ? ……まぁ、そこまで敬語を使いたいっていうなら私は別に構わないけ、ど」
詰め寄る忍の火照った朱色の頬を見、司はすぐさま視線を斜めに反らして半歩だけ身を退く。間近で見ようが見まいが彼女の容姿が端正なのは知っているし、だからこそ余計に意識してしまう。
「こんなトコで……お魚抱えて何してるんだ?」
忍と出くわした場所は、以前にも桜夜と訪れたあの神社。くすんだ灰色の鳥居と社に、子供の背丈ぐらいの賽銭箱が参道の奥に見える。
「そういえば、初めて司に出会ったのはここだったな……懐かしい」
ジャージ姿のまま忍はゆったりとした歩調で参道を進んでいく。出くわしてしまった以上、この場を無言で帰るのも何となく失礼な気がして致し方なしと、司もその後ろを二歩分の隙間を開けながら歩いていく。
「天気予報で通り雨が来るとか言ってた日だったか……お使いの帰りにここを通り過ぎようとした時、賽銭箱の前で泣いている子を見つけたんだ」
「……知ってる。それ、俺だから」
思い返してみると悔しいというか恥ずかしいというか。
当時の司は見知らぬ少女の登場を泣いて喜んでいた。大人用の傘があんなに頼もしく見えたのもあの日が最初で最後かもしれない。
「送ってあげた先も私の家とそう遠くない距離だったし、オマケに通っている小学校も同じで両親に至ってはお互いに知り合いだったというオチで……その日から、よく二人で遊ぶようになったんだ」
「まさか上級生だったとは思わなかったけど」
「私は年下だと確信してたけどな」
勝ち誇ったような笑みを浮かべながら社殿までたどり着くと忍は賽銭箱の前に腰を下ろした。
「……どうした? 座らないのか?」
「まだ若者ですし、話ぐらいなら立ったままで十分」
「そのままだと流石にカッコがつかないと思うけど……いいのか?」
トントンと隣を指で小突く忍。
別にカッコつけなくとも話は出来るのだが……変に意地張って子供っぽいと思われるのも癪だったので司は渋々隣に腰を下ろす。
鳥居の向こう側でオレンジ色の夕日が半分沈んでいく。暮れ時ともなれば冷たい風が吹き込むものだが今日の風はまだ少し暖かいまま吹いてくれている。
「……なぁ」
言いかけた忍に視線だけ動かす。
珍しく、とでも言うべきか忍は少し躊躇いがちな表情を浮かべて司の様子をちらちらとうかがっている。
「その、何だ……こ、此比良さんと、付き合ってるっていうのは……本当なのか?」
「…………」
威圧感を込めたしかめっ面で返すと、何故か忍は少しだけホッと安堵したかのように表情を一瞬緩め、そして一瞬で普段通りの表情に戻る。
「……なんだ、付き合ってないのか。それはそれで……まぁ、残念だな」
「冗談じゃないよあんなヤツ……」
河川敷で体当たりをくらい、住居不法侵入に痛い発言、さらにはストーカー行為……そんなのと付き合えるほど司は酔狂な人間ではない。
しかし何故そんなことを聞くのだろうと軽く視線を横にずらしてみると、忍は夕日よりも遠い何処かを目を細めながら見つめていた。
「不思議な人……だよな、彼女。雰囲気が違うというか、うぅん……」
そりゃ神様(自称)らしいし。
……なんて言って変な顔されるのが嫌だったので口を挟まずそのまま聞き流す。
「気心が知れている……というのは、普通初対面の人間には使わない……よな?」
「そういえば、屋上でそんなこと言ってたな」
初対面な気がしないだとか、名前を呼ばれても違和感が無いだとか。
記憶の片隅に残っていた忍と桜夜のやり取りを思い出す。
「自分でも不思議だ。あの人に名前を呼ばれた時、懐かしいような気さえしててね。……だから、司も一緒に居るのかと思って」
「……そんなことを聞くためだけに、わざわざ呼び止めたんですか?」
調子を少し戻し、やや皮肉めいた口調で司が唇を尖らせると忍は体を斜めにずらし向き直る。
凛と澄ました顔が淀みなくこちらを見据えてくる。
それは何か胸の内で決意を固めたような表情。
苦手な表情だと、司は視線を適当な方向へ反らした。
「なぁ、お前は何をそんなに怒っているんだ?」
二人の間を茜色の風が吹き抜けていく。
“あの時”と似てる――司は立ち上がると何も言わず忍に背を向けて歩き出す。
「……別に、怒ってるわけじゃ……ないんですよ。ただ、その……」
自分でもくだらないと思っている。
誰かから見たら、そんな瑣末な事で悩んでいたのかと笑われてしまうかもしれない。
だけど司にとっては、司だからこそ、あの時の出来事をとても重く受け止めている。
怒っているわけじゃない。
むしろ、司は怯えている。
「……や、何でもないです」
本当は今すぐにでもぶちまけたい想いが喉元までこみ上げてきているのに、それを言わないまま司は歩き出す。
「言ってくれなきゃ、何もわからないだろ……司」
伸びた影を引きずりながら、司は一度も振り返らずに鳥居の向こう側へと消えていった。
踏み込むのは何時だって女の子。
……投稿が少し遅れたのは本文を軽く見直ししてたのと、某TCGの規制関連の情報を見たり聞いてたりしたためです;
次回は未定ですが、今月中に数回は更新する予定。
では、待て次回。




