第二話 村の枠外②
教会を出てもすぐには足が動かなかった。
周りでは声が上がっている。
笑い声。名前を呼ぶ声。授かった職を何度も口にして喜ぶ声。
昨日までと同じ顔ぶれのはずなのに少しだけ遠くに感じた。
誰もが、自分の行き先へ向かっていく。
剣士は剣士のところへ。
採掘士は採掘士のところへ。
薬師は薬師のところへ。
これから何をするのか、誰に教わるのか。もう決まっている者もいるのだろう。親に肩を叩かれ、友人と笑いながらそれぞれが迷いなく歩いていく。
アシェルだけがその場に立っていた。
どこへ行けばいいのか分からない。
待ちに待った日だった。
今日になれば、自分の進む道が決まると思っていた。
剣士かもしれない。
斥候かもしれない。
それとも、子どもの頃から思い描いていたまだ名前も知らない何かかもしれない。
何であっても今日から始まるはずだった。
それなのに。
――あれで、終わりか。
手のひらを見る。
台座に触れた時の冷たさは、もう残っていない。
見た目も昨日までと何も変わらない。
迷い人案内人。
職は授かった。
確かに授かったはずなのに、自分だけ何も始まっていないような気がした。
「――アシェル」
母の声だった。
振り向くと、父も隣にいた。
二人とも何かを言おうとしている。
けれど、すぐには言葉が出てこないようだった。
「……帰るか」
父が言った。
「うん」
アシェルは頷いた。
帰る。
たったそれだけの言葉なのに、その一言で今日が終わってしまったような気がした。
帰り道、誰とも話さなかった。
周りではまだ職の話が続いている。
誰が何になった。
誰と同じ職だった。
明日からどこで働く。
そんな声が聞こえてくるたび、アシェルは少しだけ歩く速度を上げた。
自分には関係のない話だった。
いや、本当なら自分もその中にいるはずだった。
家へ戻り、戸を閉めると、外の声が遠くなった。
暖炉には朝の火がまだ残っていた。小さくなった薪の先が赤く、時折ぱち、と音を立てている。
「……案内人、って言ってたわね」
「迷い人案内人だよ」
母の呟きにアシェルは答えた。
自分で口にしてみても、やはり分からなかった。
剣士なら分かる。
採掘士も分かる。
薬師も知っている。
迷い人案内人。
何をする職なのか。
どこで必要とされるのか。
そもそも、迷い人とは何なのか。
名前だけがあってその先が何もなかった。
「聞いたことがない」
父が言った。
「俺も」
短い沈黙。
「どういう職なのか……」
母が言いかけて、口を閉じた。
誰も続けられなかった。
分からない。
父にも。
母にも。
そして、授かった自分にも。
アシェルはゆっくり息を吐いた。
このまま座っていても何も分からない。
「……聞きに行ってくるよ」
「誰にだ」
父が顔を上げた。
「村長だよ」
あの場で司祭と話していた。
自分の職が告げられた時、二人とも明らかに様子が変わった。
何か知っているかもしれない。
いや。
知っていてほしかった。
父は少し考えてから頷いた。
「いいだろう。俺も一緒に行くぞ」
「いや、一人で行くよ」
すぐに答えた。
これは自分の職だ。
自分で聞きたかった。
「……気をつけて」
「うん」
母の声に背を押されるようにアシェルは家を出た。
村長の家は教会のすぐ近くにある。石造りの建物で、村の中では一番しっかりしていた。扉の前まで来たところで、アシェルは足を止めた。中から声が聞こえた。
「……どういうことだ?」
低い声だった。
村長だ。
「私にも分かりかねます」
司祭の声が続く。アシェルは扉を叩こうとしたが、手が止まった。少しだけ身を寄せる。気づけば耳が扉に触れそうなほど近づいていた。
「前例は?」
「ございません」
短い沈黙。
「……読み違えではないのか」
「その可能性も否定できませんが……」
司祭の声が少しだけ強張っていた。
「台座の様子はいつもと違っていた。それは間違いなかろう」
「はい」
「ならば何かしら意味はあるはずだ」
「しかし、記録には何も――」
言葉が途切れる。
村長が小さく息を吐いた。
「……扱いが難しいな」
アシェルは息を呑んだ。
――扱い。
職のことだ。
アシェルのことではない。それなのに、自分のことを言われたような気がした。さっき教会の前で立っていた自分の姿が頭に浮かんだ。剣士は剣士のところへ。採掘士は採掘士のところへ。薬師は薬師のところへ。自分だけどこにも行けなかった。
中から足音が近づいてくる。
アシェルはそこでようやく扉を叩いた。
「……アシェルです。聞きたいことがあります」
少し間があって、扉が開いた。
村長と司祭がいた。二人とも、ほんのわずかに表情を変えた。驚いたようには見えず、どこか困ったような顔だった。
「……アシェルか」
村長が言った。
「話を……聞きに来ました」
司祭が一度だけ村長を見ると、村長はゆっくり頷いた。
「――入れ」
「はい」
家の中は外より少し暗かった。
窓はあるが光は強く入ってこない。壁には古い地図が掛けられ、村の周囲の山や川、道が細い線で描かれていた。
アシェルは一瞬だけその地図を見た。知っている道がいくつもある。知らない道もある。この地図を見て村の外を想像したこともある。わくわくした。昨日までなら、もう少し近くで見たいと思っただろう。今はそんな気になれなかった。
「座れ」
中央の机の前に、椅子が二つだけ置かれている。村長はその一つの椅子を引いて、アシェルに言った。
アシェルは腰を下ろした。司祭はそのまま立っていた。少しの間、誰も口を開かなかった。
「……おまえの話というのはおおよそ察しがつく。迷い人案内人のことだろう?」
村長は顎を触りながら憂いを帯びた表情をしていた。そして、ゆっくりとその名を口にする。
アシェルは村長を見た。今度こそ、その先を聞けると思った。しかし、はっきりと言われた。
「聞いたことがない」
と。
「……そうですか」
「司祭にも記録を辿ってもらった。だが、見つからなかった」
「とはいっても、『案内人』という職自体は存在します」
「あるんですか?」
傍らの司祭が小さく頷く。
「ええ。街では旅人や商人を導く役として知られております。大きな街はとても複雑で、一定数の案内人は必ず必要になってくるのです」
案内人。
ここにきて初めて知っているものに繋がった。
「じゃあ、迷い人案内人も――」
「ですが――」
司祭の言葉に、アシェルは口を閉じた。
「『迷い人案内人』という職は、私も聞いたことがありません。少なくとも、教会に残された記録の中には見つけられませんでした」
「……そうですか。それで、案内人はどういう職なんですか」
村長は司祭を見る。司祭が答えた。
「道を示す者です。土地に不慣れな者を目的地まで導く。街や土地によっては、そうして生計を立てる者もおります」
「斥候とは違うんですか」
「違います」
今度はすぐに答えが返ってきた。
「斥候は先行して敵や周囲の状況を探る役目です。案内人は戦うための職ではありません」
「戦わない……?」
「ええ。多くは人のいる場所で道を示す役目です」
「道を示す……」
アシェルは黙った。
子どもの頃、何度も考えた。レオンが剣を振るうなら、自分はその隣で足りないものを補う。道を覚えて、危ない場所を避ける。みんながちゃんと戦える場所へ連れていく。斥候とは少し違う。きっと、そんな職がある。ずっとそう思っていた。
案内人。
名前だけなら、近いような気がした。
でも、司祭の話しているものは違った。
人のいる場所で道を教える。
戦わない。
それなら――。
「じゃあ、俺は……この村で何をすればいいんですか」
思ったよりも強い声が出た。
この村の道なら知っている。
村の人間だって知っている。
畑へ行く道。
山へ入る道。
川へ下りる道。
ダンジョンへ続く道。
けれどそれを知っているのはアシェルだけではない。小さな村だ。全員が全員、道を覚えている。誰に案内する必要があるのだろう。授かった職が、案内人であったとしても、アシェルにはこの村ですることがなかった。
「……今は、決められん」
村長がわずかに視線を落とした。
「決められない?」
「他の職のように、すぐ仕事を割り振れるものではない。しばらくは様子を見ることになるだろう」
様子を見る。
アシェルはその言葉を頭の中で繰り返した。
レオンには、もう剣を振るう場所がある。採掘士になった者は岩山へ行く。薬師になった者には、薬草を教えてくれる人がいる。自分だけが様子を見る。何をすればいいのか分からないから。誰も、自分をどこへ連れていけばいいのか分からないから。
「心配するな。職は神から授かるものだ。無意味なものではない」
無意味ではない。
だというのなら、何に使うのだろう。
それを知りたくてここまで来たのに。
「……はい」
口から出たのは、自分で自分を納得させるための返事だった。
司祭が一歩前へ出る。
「時間をかければ分かるかもしれません。古い記録の中に何か残っている可能性もあります」
かもしれない。
可能性がある。
さっきから、そればかりだ。
誰も嘘をついているわけではない。
誰もアシェルを追い出そうとしているわけでもない。
分からないのだ。
本当に、誰にも。
「こちらでも調べる。それまでは……自由にしていていい」
村長が肩に手を置いた。励ますような手つきだった。けれど、その顔は少し困っていた。何とかしてやらなければと思っているのに、その方法が分からない。そんな顔に見えた。
「自由……」
昨日までなら、その言葉は嬉しかったかもしれない。
仕事を手伝わなくてもいい。
好きなところへ行ってもいい。
レオンと一日中、木剣を振っていてもいい。
でも、今日からは違う。
みんなは職を授かった。今日から、それぞれの道を歩き始める。自由なのは、自分だけだった。何もすることがないから。
「今のところ、この村では使い道がない」
最後に村長はそう言った。責めるような声ではなかった。
使い道がない。
職の話だ。
分かっている。
それなのに、自分のことを言われたような気がする。
「……分かりました」
アシェルは立ち上がった。
一礼して村長の家を出る。扉を閉めて振り向くと、外の光が少しだけ眩しく、アシェルは反射的に瞼を閉じた。
村は何も変わっていなかった。
誰かが呼ばれている。
誰かが笑っている。
仕事の話をしている声も聞こえる。
朝まで自分も、その中に入るのだと思っていた。
職を授かれば自分にも行く場所ができる。
何をする人間なのかが決まる。
そう思っていた。
けれど、何も決まらなかった。
それぞれの場所で、それぞれの役目が始まっている。
アシェルはその中にいなかった。
ただ、それだけだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
待ち望んでいた職業授与の日。
けれど、アシェルだけは自分の行く先を見つけられませんでした。
ここから彼がどんな道を歩くのか見守っていただければ嬉しいです。
次回もよろしくお願いします。




