第110話 ルドルフくんのお話し その6
ヴァルトラントの聖女室には、とても恰幅のいい女性がまっていたよ。
「はじめまして大聖女様、ヴァルトラント王立女学校校長のヘンリエッタと申します」
「はじめまして、アンです」
ママはきっとヘンリエッタさんを見て、扶桑女子大の澤田克子先生を思い出したにちがいない。
「女性だらけのところに失礼いたします、ステファンです」
「ようこそいらっしゃいました、殿下」
僕達は会議用のテーブルの席を勧められた。
「今日はぜひ、女性の教育についてお話を伺いたいと考えまして。ノルトラントの女性教育を改革したアン様が、せっかくいらしたのですから」
「あの、女子大は私の友人ネリスの提案です」
「ええ、ネリスさんですね。予科での教育にご熱心と伺っています」
お茶とお茶請けが配られた。お茶請けはお菓子ではなく、果物だった。
「ふつうでしたらお菓子をお出しするのですが、大聖女様は果物がお好きとお聞きしまして」
「ありがとうございます」
「お茶が冷めないうちに、どうぞ」
ヘンリエッタさんはママでなく、ぼくを見て言った。早速いただいたらお茶もおいしいし、果物も梨ににた味でおいしかったよ。
「大聖女様は、算術を中心に女学校のカリキュラムを大幅に変えられたのですよね、具体的にどのあたりまでお教えになるのですか?」
「ベクトルと微積分までですね、複素数はちょっと無理でした」
パパが小さく「アン」と言った。
「あ」
とママが言った。多少軍事機密にふれそうだったからだ。でもママは思い直したようだった。
「でもステファン、女学校も女子大も、留学生いるわよ」
「まあそうだね」
ヘンリエッタ校長はにっこりと笑った。
「殿下、先の戦争でノルトラントは算術をもちいて的確な攻撃をしていたことはすでにヴァルトラントでは調査ずみです」
「ははは、そうでしたか」
「学問のおそろしいところですわよね、平和にも戦争にも有用であるのですから」
「おっしゃる通りです」
「大聖女様は戦争はお嫌いとお聞きしております」
今度はママが「嫌いです」と即答した。
「それでも算術の教育を女子にも騎士団にも積極的に進めていらっしゃるのですよね」
「はい、戦争を我が国から仕掛けることはありませんが、他国から攻められることはご存知のようにいつでもあり得ますから」
「先の戦争に関しては本当に申し訳なく思います」
「それなりの事情がお有りだったと考えております」
「ええ、あのときの飢饉はひどいものでした」
ヘンリエッタ校長は、悲痛な顔になってしまった。かなりつらい経験をしたみたいだ。パパはそれを気遣って、
「ヴィルヘルム国王陛下も相当努力されたようですね。それでもですから、よっぽどひどかったのでしょう」
と言った。
「お気遣いいただきありがとうございます。私、今でこそこのような体型ですが、戦争前は普通の体型だったのですよ。平和になり、食事がおいしくなり、こんなになってしまって」
笑えなかった。
しばらく会話が止まってしまったが、エルフリーデさんが話を再開した。
「大聖女様は天気の研究をされているのですよね、日照りや寒い夏などの予想もされているのでしょう、だからノルトランントは飢饉がおきていないのでしょう」
ママが答える。
「いえ、正直なところ、明日の天気予報がどうにかできる程度です。長期の予測などとてもできません」
「いずれはと、お考えでしょう」
「そうですね、何年かかるかわかりませんが」
「はやくできるようになるといいですね」
「ええ」
「天気の観測の資料は、より広範囲のほうがいいのではないですか」
「それはそうですが」
「ではぜひ、観測網にヴァルトラントをお加えください」
「大変うれしいお申し出ですが、軍事機密とも関連してきますので」
「承知しております。聖女様は天気の予想から決戦の日を予測されたのですよね」
「よくご存知ですね」
「はい、ぜひとも大聖女様をヴァルトラントにお迎えしたく、研究させていただいております。女子大に留学させていただいているオクタヴィア姫殿下から、頻繁にお手紙をいただきましたし」
「はあ」
「大聖女様、大聖女様は実は表向き、ノルトラントの繁栄のために尽力されているのでしょう」
ママはギクッとして、かろうじて返事をした。
「表向き、ですか」
「本音のところは、自然を知りたい、学問をしたい、ということですよね」
パパが笑い出した。
「アン、これはだめだよ。ぼくやアンのことは調べ尽くされてるから、何を言い訳にしても言い逃れできないよ」
「そうね」
「ですが、エルフリーデさん、ヘンリエッタ校長、ご承知のとおり軍事上のことも有りますからここでお返事することはできません」
「承知しております、殿下。ご提案申し上げているだけです」
「ありがとうございます」
「ですが殿下、たとえばですよ、殿下がヴァルトラント国王となり、ノルトラントと二人三脚で歩んでいけたらと、私達は真剣に考えているのです。そして大聖女様」
「はい」
「私達を大聖女様の学問のお仲間に、お加えいただけないでしょうか」
「仲間、いい言葉ですね。理性としてはとても良いお話をいただいていることは理解しております。ですが感情が、ステファン殿下との別居を拒絶しているのです。私はノルトラントの聖女ですからノルトラントから離れるわけにはいきません」
「ですから大聖女様、ヴァルトラントの聖女も兼任していただいて大聖女とおなりいただきたいと、私共は願っているのです」
「もうひとつ、ご存知かと思いますがノルトラント聖騎士団の団長もかねております」
「それでしたらご心配いただく必要はございません。国王陛下は聖騎士団には帝国聖騎士団となっていただき、大聖女様直属とされたらどうか、おっしゃってましたわ」
「逃げ道をご用意いただけないのですね」
「はい、大聖女様」
その夜ママは、
「ステファン、私もう少しヴァルトラントに滞在していいかな。今日の話し、ちゃんと判断するためにもちゃんとヴァルトラントを見て回りたい」
と言った。
「ああそうだね、伝書鳩魔法でフィリップに言っとけば大丈夫だろう。ただ心配かけるから細かいことは言えないね」
パパはそう言ってさらに、
「ルドルフ、もう少しヴァルトラントのおいしいもの、食べていこう」
以上のようにルドルフくんは、ヴァルトラントでのことを全部教えてくれた。私としては美味しいものを食べ、聖女様の努力でもたらされた平和見てくれば元気になれると思って送り出したのだ。しかし結果としてそれなりに外交交渉をしてきてしまった。
ヴァルトラント王室は現国王の退位、ステファン先輩への譲位は本気であり、アン先輩を聖女として迎えたいということも本気だった。
私は話を聞いてこれはまずいと思った。
ヴァルトラントに女子大予科分校をつくる。天文観測や気象観測網にヴァルトラントが加わる。これについてヴァルトラント聖女室は「仲間にいれてほしい」と表現した。学問の「仲間」という言葉に聖女様はとりわけ弱い。聖女様は物理学において、私達実験屋たちを仲間と言っていた。理論屋として実験の重要性を大きく認識していたからだとのぞみ先輩から聞いている。
聖女様は向こうでは修二先輩と結婚したのはいいのだけれど、1年も別居生活を強いられた。こちらでも出会えるまでかなり苦しかったらしい。もう二度とステファン先輩と離れたくないという思いが強いのは当然だ。ヴァルトラントはステファン先輩には王位を、アン先輩には聖女の位を用意しているという。ノルトラントの聖女も兼任するのでノルトラントを見捨てることにはならない。
とどめに子飼いの聖騎士団だが、帝国聖騎士団として聖女直属の騎士団としたらどうかと提案されたそうだ。
アン先輩は相当くらくらしているはずである。
私の心配をよそに聖女様は、
「じゃ、ちょっとベルムバッハ行ってくるわ、明日には帰るから、陛下にはよろしくね。ルドルフ、お願い」
ルドルフくんはまだ疲れているのかのっそりと起き上がり、お二人を乗せて飛んでいった。
その夜私はどっと疲れがでて、早いうちに深い眠りに落ちてしまった。




