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その夢を、星空に -Star Observation Society KYOTO-  作者: TOM-F
Sign02 ペルセウス プリンス・チャーミング
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落文(後)

 哲学の道は、銀閣寺という別名で知られる慈照寺の入口で、忽然と終わる。風情のある石畳の散歩道が、いきなり車の行きかうアスファルトの道路に変わる。銀閣寺の他にも白沙村荘などの名所があるので、観光客の数も格段に増えて喧騒が押し寄せる。

 まだ日は高いから拝観もできるが、真優理先輩は「甘いもんでも食べにいこか」と言うとバス停に並んだ。


 千本今出川でバスを降りた真優理先輩は、交差点の角に建つ老舗の和菓子屋、鶴屋吉信に入った。

 ショーケースには高級な和菓子が並んでいるが、真優理先輩は見向きもせずにエレベーターに乗って二階に上がった。そこには低いテーブルと腰かけが整然と並ぶ、高級旅館の待合のような風情の場所があって、和菓子を抹茶とともにいただくことができるようになっている。大きな一枚ガラスの向こうには、路子カフェよりずっと立派な坪庭が設えられていた。

 ちょっと気圧される雰囲気だったが、真優理先輩は臆する様子もなくカウンター席に腰掛けた。割烹料理屋のような意匠だが、飾り気のない土壁には朝顔を活けた一輪挿しが掛けられているだけで、茶室のような風情だった。


 僕たちの着席を待っていたかのように、暖簾を分けて割烹着の和菓子職人が出てきた。

 真優理先輩と目が合った彼は、いかにも顔なじみというように相好を崩すと「いらっしゃいませ」と続けた。

 真優理先輩は品書きをちらっと見ると、注文を口にした。


「『落し文』、ふたつ頼むわ」


 カウンターの中で、職人が和菓子を作りはじめる。

 色の違う餡を混ぜて団子を作り、小さな木の棒で平たく伸ばした餡にくるむ。流れるように作業をしながら、和菓子職人は説明を加えた。


「オトシブミという虫は、葉っぱを巻いてその中に卵を産み、地面に落とすのですが、平安時代の人々はそれになぞらえて、直接には伝えられない思いを文にして、相手の家の前に落としておいたそうです。この菓子は、その落し文から着想を得たものです」


 和菓子職人の話が終わったところで、真優理先輩が不意打ちのように「それで」と僕に向かって問いかけてきた。


「春花とは、うまいこといってるんか?」


 僕は、「よくわからないです」と、正直な感想を答えた。


「うまくいっていない、というわけではないと思いますけど」


「そうか」と短く答えたあと、真優理先輩は口を噤んだ。


 やがて菓子は完成したらしく、抹茶とともに、緑の葉から卵の黄身が覗くような練り切りが差し出された。和菓子職人の熟練の技に感動すべきところだったが、僕にはいつもとちがう真優理先輩の様子が気になってしかたがなかった。

 僕は、その横顔に「真優理先輩」と呼びかけた。

 真優理先輩は、なにかを思い出したように「ああ」と応じた。


「あのな、その先輩っていうん、そろそろやめてもええで」


 そう言われて、僕は答えに窮する。あれこれ考えたすえに、僕は「じゃあ……」と前置きして続けた。


「真優理」


 次の瞬間、真優理先輩の人差し指が僕の額をこつんと弾いた。

 けれど、いつものような痛みはなかった。


「いきなり呼び捨てか。カノジョでもヨメでもないねんで」

「すみません、真優理……さん」


 とってつけたような敬称に、けれど彼女は満足げに目じりをさげた。


「それも、なんか、こそばゆいな。まあ、呼び捨てでええわ。なあ、ウチの名前な、めずらしいって思うやろ」

「はい」

「じつはな、仏さんの名前やねん」


 仏様の名前というと、なんとか如来とか、なんとか菩薩とか、そういうものしか思い浮かばない。「まゆり」とは、どうにも結びつかない。


「仏様?」と返した僕に、真優理は「そうや」と答えた。


「孔雀明王っていう仏さんや。孔雀は毒虫でも毒蛇でも食べるから、人々の災厄や苦痛を取り除く仏様やとされててな。その本名というかサンスクリット語の名前が、マハーマーユーリーっていうんや。重たい名前やろ」


 真優理は不満そうに口をとがらせるが、僕には彼女の言う重さのようなものは感じられなかった。


「強くてかっこいい、真優理らしい名前じゃないですか。名づけた人の期待とかも込められていそうだし」


 はあっとため息をついた真優理は、「オン・マユラ・キランディソワカ」と呟くと、練切に黒文字を刺した。


「そやから、重たいんや。名づけたんは今の親父やなくて、インドかぶれのろくでなし野郎でな。まあ、どっちもウチに期待なんかしてへんのやけどな」

「でも、そうじゃなければ、そんな名前をつけないんじゃないですか」


 無言で練切を口にした真優理は、手慣れた所作で抹茶を飲み干した。


「どうせなにも望んでへんのやったら、春花みたいな、可愛らしい名前にしてくれたらよかったのに。こんな名前、期待やなくて呪いみたいなもんや。けど、それでもこの名前だけが、ウチのよすがやからな……」


 真優理はそう言って、坪庭に目をやった。

 僕は、彼女がなにを言ったのかわからなかった。名前だけが自分の拠り所だというのは、どういうことなのだろう。

 問いたくて真優理の横顔をうかがうと、彼女は顔を背けて坪庭に目をやった。ガラス窓に映る彼女の顔が、坪庭のなかに幻像のように浮かび上がった。その幻像の唇が動き、彼女の声がした。


「負けんように、きばるしかあらへんやん」


 ため息を落としてからこちらに向き直った真優理は、もう、いつものような凛とした笑顔だった。

 僕は思わずカメラを向けてシャッターを切った。

 笑顔のままで、真優理は再び僕のおでこを人差し指で弾いた。しっかりした痛みがあった。


「いま撮るんか。やっぱりあんた、いけずやな」

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