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その夢を、星空に -Star Observation Society KYOTO-  作者: TOM-F
Sign02 ペルセウス プリンス・チャーミング
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夏越(前)

 六月は、僕たちのような天文家にはつまらない時期だ。

 今年はとくに天候が不順で、梅雨にはいる前からぐずついた天気が続いた。


 今日も小雨のなかを路子カフェに出向くと、高橋先輩と真優理先輩がランチを食べていた。

 坪庭に面したいつもの席に座ると、春花が水のグラスをとんとテーブルに置く。

 青色の矢羽根絣の茶居着からは、いつものとおり白檀の芳香がした。付き合いはじめてからわかったことだが、これは洗濯をしたあとで春花が香を焚きしめているのだった。


「今日のランチは、賀茂なすと『麩嘉』の生麩の揚げ出しだよ」

「じゃあ、それを」


 うん、とうなづいて春花はキッチンに入ると、ほどなく定食の盆を運んできた。

 皮の紫も鮮やかな賀茂ナスと、手毬を思わせる生麩が盛られ、サヤインゲンが緑を添えている。ナスを口に運べば、とろりと口に溶けて、生姜が利いた出汁の味が残った。


「今日の茶葉はディンブラ、お水は神山湧水だよ」


 そう紹介しながら春花は、紅茶とともにデザートに水無月を出した。

 もっちりとした白いういろうの上に、蜜漬けの小豆を乗せた和菓子で、ういろうの部分は平安時代に貴族が夏場に食した氷を模していて、小豆はその赤い色に魔よけの意味があるといわれている。

 水無月を菓子楊枝でつつきながら、高橋先輩が「なあ、みんな」と呼びかけた。


「再来週な、祇園さんの宵山やろ。皆で行かへんか。俺も天水も、採用試験の一次は合格やったし、その祝いもかねて、どうや」


 僕は、それもいいな、と思う。

 祇園祭のハイライトは山鉾巡行だが、僕はその前夜の宵山をそぞろ歩きするのが好きだった。

 真優理先輩が、「ええやん」と応じた。


「ウチは賛成や。春花も行くやろ」


 真優理先輩が誘うと、春花は高橋先輩をちらりと見てから「うん」と頷いた。

 葵祭の諍いは、サークルに深刻な亀裂が入ってもおかしくない出来事だった。けれど、真優理先輩の機嫌は翌日にはもう治っていた。高橋先輩の骨折りが奏功したというところだろう。

 そして、「言いすぎてごめん。かんにんしてな」という真優理先輩の謝罪を、春花もあっさりと受け入れたのだった。

 流し雛のときもそうだったが、この二人の間には奇妙な絆があるように思えた。



 その日の夕方、僕と春花は待ち合わせて上賀茂神社に出かけた。

 今日は夏越大祓が行われる日だ。本格的な夏を迎える前に、半年分の罪穢れや疫災を祓い清め、残りの半年の無病息災を祈る神事だ。


 境内には人が通れるくらいの大きな茅の輪があって、方向を変えながら三度くぐる歩き方が図示されていた。春花は、その図を見ることもなく、慣れた足取りで茅の輪をくるくると潜り抜けた。

 雨は降ったり止んだりで、春花のおろした黒髪が雨に洗われて、街灯の光を鈍く反射している。


 京野菜を売る屋台をひやかし、社務所で夏越豆腐の振る舞いを受け、それから手水舎に立った。

 春花は、石の樋から手水に流れ落ちる神山湧水で手と口を浄めたあと、柄杓にもう一杯の水を汲むと、掌に受けながら喉を鳴らして飲んだ。

 口元からこぼれる雫が、柔らかな曲線の顎を伝って、ぽとりと滴下する。

 ふうっと息をついて、春花は「おいしい」とつぶやいた。

 僕は春花に「それで」と話しかけた。


「教育実習、どう?」


 春花は、「うん……」と応えた。


「毎日、必死だよ。授業はうまくまとまらないし、指導教員にはだめ出しばかりされるし。教えられている生徒たちは、きっといい迷惑だよ。こんなのでほんとうに教師になれるのか、不安しかないよ」


 そういえば、と僕は思い出す。あの流星の夜、春花は「教師になれればそれでいい」と言っていた。あの夜、僕の問いかけは真優理先輩に遮られてしまったが、いまならちゃんと聞ける。


「ねえ、春花は、どんな教師になりたいの?」


 僕の問いに、春花は「わたし……」と口ごもった。


「とくに望みはないの。そもそも、教師になるのは、わたしには目的じゃなくて手段だから」

「手段?」

「うん。やりたいことをやるための手段」


 やりたいことがある、と春花はゴールデンウィーク明けの夜にも言った。そしていま、彼女は、自身がやりたいことと、なりたいものは違うと言った。教師という職業を「手段だ」と言い切るのは、きっとその先になにか求めるものがあるからだろう。それは、もしかしたら僕が探している答えにたどりつく端緒かもしれない。

 そう思った僕は、「春花はなにをしたいの」と訊こうとした。けれど、彼女が口元だけで笑っていることに気づいて、その問いを引っ込めた。


「でもね……」と、春花は続ける。「それはきっと、だれかに迷惑をかけることになるの。伯父様や真優理ちゃんが言ったとおりに」


 僕は不用意な問いをしなくて良かったと思った。

 春花の言葉には、彼女の容易ではない事情が見え隠れしていた。だから彼女は、真優理先輩の言いがかりをあっさりと許したのだろう。そして彼女を縛っている事情は、僕なんかがそう簡単にどうにかできるようなものではないのだ。彼女があえて僕に多くを語らないのは、きっとそれが理由だ。

 僕は自分の無力を痛感する。このままではだめだと思いながらも、ならばどうすればいいのかも見出せない。だから、春花を安心させてあげられるような言葉のひとつも、口に出せない。

 それなら、せめて……。


「ねえ春花。あれ」


 僕はそう言って、境内の一角を指さす。

 そこでは、夏越大祓に使う紙の人形を、巫女が頒布していた。


 神紋の葵が描かれた白い紙の人形に、ふうっと息を吹きかけてから木箱に奉納する。こうして罪や穢れを人形に移し、それを神職が境内の小川に流して浄めるのだ。


 ほどなく浅黄色の袴を履いた神職たちが、紙人形の詰まった木箱を運んで行った。

 僕たちはそれを追うように、境内の小川に向かった。

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