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その夢を、星空に -Star Observation Society KYOTO-  作者: TOM-F
Sign02 ペルセウス プリンス・チャーミング
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斎王代(前)

「……という状況なんですが」


 部屋の前で待っていた春花は、事情を尋ねた僕に「帰りたくないの」と、うわごとのように繰り返した。路子カフェに戻るように説得することは、春花の居場所を奪うだけだと判断した僕は、彼女を部屋に迎え入れてから保護者に連絡を入れた。

 小西先生は電話口で、「まったく……」とため息をついた。


「君という男は、どうしてこうも……。まあいい。こちらはうまく取り繕っておくから、春花の気が済むまで、そこにいさせてやってくれ。……ああそれと、図に乗って手を出すにしろ、求められて優柔不断に受け入れるにしろ、あの子は初めてのはずだから、優しくしてやるんだよ」


 そんな軽口が出るほどに安心したのだろうが、途端にとんでもない言葉を吐き出した不良保護者に、僕は返す言葉がなかった。

 目の前のベッドに腰掛けた春花に聞こえたのではないかと、ひやひやした。


 電話を切ると、春花はうつむいたまま「ごめんね」とつぶやいた。

 僕は、「気にしなくていいよ」と答えるしかなかった。


 お腹が空いた、という春花と連れだって近所のスーパーで、パックのオードブルと缶のハイボールを買ってきた。

 テレビのバラエティ番組を流し見しながら、これといった会話もなく、食べ物で空腹を満たし、酒で間を持たせた。

 日付が変わろうかという頃、春花は、ううんと背伸びをして……。


「シャワー、使わせてね」


 と、こともなげに言った。


「ちょ……着替え、ないよ」


 慌てる僕を尻目に、春花は旅行カバンをぽんぽんとたたいた。


「帰省してたから、着替えならあるよ」


 やはり帰るつもりはないらしい。

 ならば今夜はとりあえず、ここに泊まってもらうしかない。

 だが、ベッドはシングルだし寝具もひとり分しかない。小西先生の余計な一言もあって、どうしても意識してしまう。茶居着姿のときには気にしたこともなかったが、見た目の幼さとはうらはらに、春花のからだつきは豊かだった。同衾などしては、理性を保てる自信はなかった。


 バスルームに向かった春花を見送って、僕は覚悟を決めた。

 今夜は、床で寝るしかない。

 春花に続いて僕もシャワーを浴び、それからベッドの譲り合いがあって、順当に彼女はベッドに入り、僕は床に敷いたラグの上に転がった。


 照明を落としても、北大路に面した僕の部屋は真っ暗にはならない。

 僕はベッドを見ないように、背を向けてからだを横にした。フローリングの固さはラグだけではどうしようもなく、枕もないから、眠れそうもなかった。

 やがて、「智之くん」と春花の声がした。


「やっぱり、綾乃ちゃんの方がいい?」


 僕の胸が、どくんと弾んだ。

 ばれたのかという焦りとともに、その言葉の意味をどう受け取るべきなのかという迷いがあった。僕の逡巡を見透かすかのように、春花は言葉を重ねた。


「流し雛のときはごめんね。事情を智之くんに教えて、断られるのが怖かったの。なりゆきで、伯父さんたちにも認めてもらえるんじゃないかって……」


「こんな面倒な子はいやだよね」と言って、春花は声を詰まらせた。

 僕は黙って、春花が落ち着くのを待った。

 やがて、すんと鼻をすすった春花は、「実家のお祭りのあとでね」とかぼそい声で話しはじめた。


「母に叱られたの。そういう遊びをしていい立場じゃない、京都に行かせている理由を、ちゃんと考えなさいって……」


 あの時のことが、そんな波紋を広げていたのだ。僕は自分のことしか考えていなかったが、大人たちの言葉をもっと深く理解すべきだったのだろう。

「でもね」と、春花は話し続ける。


「わたしにも、やりたいことはあるの。綾乃ちゃんみたいに、わたしがしたいことはこれだって、母に言い返したかった。だけどわたし、母の言葉に逆らうことも、抗うこともできなかった。いい歳をして何を言ってるんだって笑われちゃいそうだけど、わたし、母の期待を裏切ることが、どうしようもなく怖いの。でも、そんなふうに自分の夢をなかったことにするのは、もっと嫌なの。だからね……」


 感情の起伏を隠しきれない声音に、名家のひとり娘が背負ったものの重さを、僕はすこしだけ分かったような気がした。

 それは、初詣の願掛けのときに、そして追儺の帰り道に、春花が漏らしていたことだった。そして、そういうものたちからの解放という希望を春花に抱かせたのは、他ならぬ僕の言動だ。だから……。


「逃げてもいいよね、わたし」


 そう言う春花を、僕は受け止めなければならないのだ。

 それに……。

 春花は僕を選んでくれた。たとえそれが逃げ込む先だとしても、僕は春花に必要とされたのだ。それは、僕の心の空隙を、甘露のようにあたたかく潤し、甘く満たした。

 春花が僕を必要としてくれたように、僕も春花を欲しいと思った。

 ためらいはあった。これは、綾乃とのこととは意味が違いすぎた。

 けれど……。


「……ねえ」


 と、奇しくも僕と春花の声が重なった。

 ふっと甘い吐息がして、音程をとり違えたフルートのように、うわずった春花のささやき声がした。


「やっぱり、こっちに来て」


 シングルサイズのベッドは、このときも二人で使うには狭かった。

 仰向けだった春花が、からだを捻ってこちらを向いた。僕は、迷いを振りきって、春花と向き合った。


 いつもの白檀の芳香とはちがう、ボディソープのフローラルな香りが、湿った熱気とともにすぐそこにあった。

 春花の背中に腕をまわして、僕は……。


 腕のなかで震えるぬくもりを、ありったけの優しさで抱いた。

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