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喫茶厨房本能寺 ―織田信長、感情のままに喫茶店を運営中―  作者: 本能寺
序章 本能寺の日常

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第7話「本能寺炎上」


第7話「本能寺炎上」



【東暦一五七〇年6月2日】


「秀吉! フレンチトーストの焼き時間を、あと三秒短縮しろッ!」


怒号と熱気が渦巻く喫茶『本能寺』の厨房。


オーナー・織田信長の全宇宙を揺るがすような絶叫が響き渡っていた。


連日のSNSバズと、再生可能エネルギー大手・本願寺エネルギーホールディングスの総帥である本願寺顕如の訪問を経て、店の行列は隣のブロックまで伸びるという狂気の沙汰を見せている。


バックヤードに居座る『第一世代本能寺オーブン』は、もはや正常な機械の音ではなく、『グォォォォォォッ……!!』という獣の咆哮のような異常重低音を響かせていた。内部で渦巻くのは、バイトリーダー・羽柴秀吉から搾り取られた純度百パーセントの【怒り】の熱源である。


「無理ですわ社長ぉぉぉッ!? 十五秒のオペレーションでも限界突破してんのに、これ以上短縮したら中まで火が通りませんわ!!」


秀吉は額から滝のような汗を噴き出しながら、鉄板の上で極厚パンを神業的なスピードで裏返していた。その目は血走り、疲労と理不尽への【怒り】は最高潮に達している。


だが、その【怒り】が強まれば強まるほど、オーブンはさらに出力を上げる。そして出力が上がれば上がるほど、厨房の温度も上昇していく。信長と秀吉による、悪魔の永久機関が完成していた。


「黙れ! 表面の香ばしさと中のフワフワ感を極限まで引き出すには、この火力で一気に焼き上げる三秒の短縮が必要なのだ! 腹を空かせて並んでおる客に、最高の状態の一皿を今すぐ届けるぞ!!」


信長には、経営の数値も、設備の限界も見えていない。


見えているのはただ一つ――目の前の客に、至高の料理を食わせることだけだった。


「社長! もうやめてください!!」


バックヤードの扉を蹴り開け、光秀が血相を変えて飛び込んできた。手には警告音が鳴り止まないタブレットが握られている。


「第一世代オーブンの温度センサー、すでにレッドラインを突破しています! 顕如会長の言う通りだったんです! うちの設備には、この熱量を受け止めるだけの『器』がない! 今すぐオーブンを止めて、店を休業させてください!!」


「断る!」


信長は缶ビールを床に叩きつけ、ギラギラと狂気に満ちた目で光秀を睨み据えた。


「外を見ろ! 俺の料理を待っておる客がまだ百人は並んでおるんだぞ! 設備が熱いだと? 壊れたら新しいのを作ればいい! 料理を美味くするための熱を殺して何が料理人だ!!」


「信長様は料理人以前に店主でしょうがぁぁぁッ!!」


光秀の悲痛な絶叫が響いた、まさにその時だった。


カチ。


秀吉の手元で、タイマーが十二秒を刻む。


信長が命じた「三秒早い」焼き上がり。


「秀吉、出せッ!!」


「出しますわぁぁぁッ!!」


秀吉がフレンチトーストを皿へ跳ね上げた、その瞬間――。


秀吉から抽出され続けた【怒り】のエネルギーは、すでに第一世代本能寺オーブンの許容量を遥かに超えていた。制御装置は悲鳴のような警告音を繰り返していたが、もはや流れ込む【怒り】のエネルギーを制御しきれない。


『ガキィィィィィンッ……!!』


第一世代本能寺オーブンの深部で、パーツが物理的に破断した。


「え……?」


秀吉が動きを止める。


光秀が息を呑む。



――後に二人の間で語り継がれることになる一日。



通称「本能寺の変」が始まった。



オーブンの排気口から、黒煙とともに、これまで見たこともない深紅の炎が噴き出した。暴走した【怒り】のエネルギーが制御系の限界を超え、炉そのものを内側から破壊したのだ。


『ゴォォォォォォォォォッッ!!!!』


一瞬だった。


激しい爆風とともに、赤い炎が厨房の壁を突き破り、天井へと一気に燃え広がっていく。


ダクトを通じて油とコーヒーの焦げた匂いが充満する店内に火の手が回り、スプリンクラーが警報とともに作動した。


「火事だぁぁぁッ!? 避難してください!!」


光秀がホールへ飛び出し、叫ぶ。


客たちが悲鳴を上げて一斉にガラス扉から外へと逃げ出していく。秀吉は煙に巻かれながら、必死で消火器を炉に向けて噴射するが、一度解き放たれた【怒り】の炎は白い粉など嘲笑うかのように、メラメラと本能寺全体を飲み込んでいった。


「社長! 逃げてください! 店が……本能寺が燃えます!!」


光秀が煙の奥に立つ信長の腕を掴もうとした。


だが――。


激しい炎と黒煙に包まれる厨房の中心で、織田信長は逃げようともせず、立ち尽くしていた。


火の粉が舞い落ち、スプリンクラーの水が激しい蒸気を上げる絶望的な炎上の中、信長が見つめているのは手元の皿だけだった。


そこには、極限の火力で十二秒間だけ焼き上げられた、黄金色のフレンチトーストが鎮座している。


信長は静かにフォークを伸ばし、一口分を切り取って口へ運んだ。


熱々のパンを噛み締める。


表面は香ばしく、中は驚くほど柔らかい。濃厚な甘みが舌の上に広がり、十二秒という時間が一つの完成形として信長の中に刻まれた。


メラメラと燃え上がる厨房の炎を背に、信長は静かに目を閉じ、その味を確かめた。


そして――ゆっくりとまぶたを開けると、炎に照らされた口元に不敵な笑みを浮かべ、ぽつりと呟いた。


「……是非もなし」


「是非もなしじゃないでしょうがぁぁぁッ!!」


光秀の決死のタックルによって、信長と秀吉は間一髪でバックヤードの非常口から外へと転がり出た。


直後――『ドォォォォンッ!!』という凄まじい爆発音とともに、喫茶『本能寺』の屋根が崩落した。



挿絵(By みてみん)



消防隊による懸命な消火活動が続き、ようやく鎮火した頃には、空はすっかり闇に包まれていた。


黒く煤けたアスファルトの上で、膝をつき、茫然と全焼した店舗を見つめる男が一人。


明智光秀である。


ポロシャツは真っ黒に汚れ、髪からは煙の匂いが漂っている。手元に残されたのは、水浸しになったタブレットと、先日、家康へ売却したオペレーションの代金――一千万円の入金通知だけだった。


「……終わった」


光秀は震える声で呟いた。


SNSでバズり、連日長蛇の列を作り、家康へノウハウを売ってまとまった資金を得て、さあこれから経営を立て直そうというその矢先に――店舗が全焼した。


「売上過去最高……利益黒字……からの……店舗全焼……」


光秀は空になった胃薬のシートを力任せに握りつぶし、天を仰いだ。


「あのバカ社長……! 警告したのに……! 復旧資金だってギリギリなのに……器がないってあれほど言ったのに……!!」


「何を凹んでおるのだ、光秀!」


背後から、まったく懲りていない豪快な声が響いた。


振り返ると、顔に少し煤をつけただけの信長が、缶ビールをプシュッと開けて立っていた。隣には、煙に巻かれて完全に力尽きた秀吉が、ゴミ袋のように倒れ込んでいる。


「社長……! 店が……本能寺が燃えてしまったんですよ!? 建て直すのにどれだけの金と時間がかかるか……!!」


「ハッ! 壊れたものは直せばいいと言ったろう!」


信長は夜空に向かって豪快に笑い飛ばした。


「第一世代のオーブンでは、俺の求める火力を受け止めきれんことが分かった! 素晴らしい成果ではないか!」


「成果なわけがあるかぁぁぁッ!!」


「案ずるな! 家康にオペレーションを売って作った一千万円がある! 店の復旧にも使えるし、第二世代の厨房設備にも使える! これで今度こそ、もっと美味い料理を焼くぞ!」


「だから、一号店が燃え落ちたんですよ!!」


光秀の絶叫が夜空に木霊する。


信長はしばらくの間、黒焦げになった本能寺の跡地を無言で見つめていた。


「…………」


「しゃ、社長……?」


光秀が恐る恐る声をかける。


「……ふん」


信長はようやく鼻を鳴らした。


「今日の焼き加減……三秒、早かったな」


「反省するところそこですかぁぁぁッ!?」


「黙れ! 次は完璧な焼き加減で見返してやる! 店が燃えようが、設備が吹き飛ぼうが関係ない! あの三秒の差さえ分かれば、次はもっと美味く焼ける!」


信長は缶ビールを握りつぶし、ニヤリと不敵に笑った。


「光秀! 明日は何処の物件を見に行く?」


「休業です!! まずは瓦礫の撤去と警察の事情聴取です!!」


燃え落ちた喫茶『本能寺』の跡地で、店長とオーナーの噛み合わない怒号がどこまでも響き渡っていた。





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