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喫茶厨房本能寺 ―織田信長、感情のままに喫茶店を運営中―  作者: 本能寺
第六章 エピローグ、本能寺の日常三度(みたび)

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第60話「百点満点の狂気と無限抽出」

第60話「百点満点の狂気と無限抽出」



【東暦一五七三年 八月下旬・非営業日の喫茶厨房本能寺】


プシューーーーーーッ!! 安全弁から白い蒸気が勢いよく噴き出し、厨房いっぱいに甘辛い肉の脂と、凝縮された野菜の香気が立ち込めた。


「加圧完了! 減圧バルブ開放、三、二、一……オープン!」


一益の鋭い号令とともに、成政が極厚の耐圧ハッチを開放する。


中から現れたのは、繊維の芯まで超高圧で崩され、脂身が白く艶めく豚バラ肉。


そして、玉ねぎを中心とした香味野菜の甘みを極限まで凝縮した、飴色に輝く『完熟香味野菜の超高圧オニオンピューレ』であった。


「おおおッ! 見ろ、肉が箸を入れる前からフルフルと震えておるぞ!」


信長が身を乗り出し、ギラギラとした目を輝かせる。


長机の上には、試食用の小皿と採点シートがずらりと並べられていた。


「……では、これより試食および採点に入ります」


司会進行の長秀が、電卓を片手に採点ルールを厳格に読み上げた。


「選抜方法は極めて明快です。本日集まった本能寺のスタッフは全部で八名。私、光秀、秀吉、勝家、利家、成政、一益の七名は【持ち点十点】。そして最終決定権を持つ信長様のみ【持ち点三十点】。合計百点満点とし、点数の高い上位五品を晴れて正式なモーニングメニューに採用いたします。なお、発案者本人による採点のブレを排除するため、アイデアの発案者は自身の料理に対して一律で【十点】満点をつける規定とします」


「へっへぇ! 自分の案は無条件で十点満点、そのうえ社長が三十点ってことは、信長社長の舌を唸らせた奴が一気に有利ってわけですな!」


秀吉が揉み手をしながら目を光らせ、利家も「勝負ッスよ!」と拳を握りしめる。


一方、平蜘蛛のバルブから手を離したばかりの光秀は、丸椅子の上でぐったりと息を吐き出していた。


(……ふぅ。一品目が無事に終わった……。成果給の契約書に絶望したおかげで、調律の勘は掴めた。この調子で淡々とあと九回加圧をこなせば、今度こそこの悪夢から解放される……!)


光秀が額の脂汗を拭った、その時だった。


「――うむ! このオニオンピューレ、玉ねぎの細胞が極限まで破砕されておって極上の甘みだ! だが……」


小皿の角煮を咀嚼した信長が、ふと箸を止め、鋭い眼光を光秀へと向けた。


「この甘みと旨味が、果たして五つの『漆黒の涙』のどれと最も噛み合うのか? それを確かめねば、正しい採点など下せるはずがなかろうがッ!」


「えっ」


光秀の動きがピタリと止まる。


「当然ですね」


長秀が眼鏡を押し上げ、淡々と補足した。


「甘みの強いオニオンピューレには、酸味のアメリカンが合うのか、深煎りのメキシカンが合うのか。フレンチトーストを交えた三位一体の調和を検証せねば、百点満点の採点など不可能です」


「その通りだ!」


信長が豪快に机を叩いた。


「おい光秀! 試飲用の珈琲は昨夜のうちに飲み干してしまったからな! 今すぐ平蜘蛛を切り替え、五種類の珈琲をすべて淹れ直せッ!!」


「……は?」


光秀の口から乾いた声が漏れた。


「珈琲を……五種類……全部……?」


「そうだ! 一品ごとに五つの珈琲と合わせるのだ! 早くしろ、肉が冷めるぞ!」


「ちょ、ちょっと待ってください!!」


光秀はガタガタと震え上がりながら、猛然と立ち上がって長机に両手を叩きつけた。


「試作の料理は十品ですよね!? その一品ごとに、五つの珈琲を全部淹れ直して合わせるんですか!?」


「当たり前だ、味を確かめるのだからな!」


「十品×五種類の珈琲で……加圧抽出が合計五十回じゃないですかァァァァッ!!」


光秀の絶叫が店内に木霊した。


「四十八品を十品に削ったはずなのに! 珈琲のせいで昨日の四十八連発より回数が増えてるッ! 完全に四十八連発レベル、いやそれ以上の地獄になってるじゃないですかァァァッ!!」


「何を細かい計算をしておるのだたわけが! 五十回も四十八回も誤差の範囲だァッ!!」


「誤差なわけあるかァァァッ!! 私の胃と情緒に対する致死量ですよォォォッ!!」


「文句を言っている暇があるなら圧をかけろ!」


「冷める前に食わせろ!」


「社長、俺の三十点をお願いしますッス!」


騒ぎ立てる肉食獣たちを前に、光秀は泣く泣く平蜘蛛の抽出口へ珈琲粉をセットし、己の哀愁を注ぎ込んで、地獄の五十連抽出、その第一波を起動せざるを得なかった。


『ドォォォォォンッ!!』


凄まじい蒸気とともに、漆黒の原液が次々とカップに満たされていく。


光秀が魂を削って抽出した珈琲を片手に、八人の審査員による狂乱の試食採点レースが幕を開けた。


「うおおおッ! オニオンピューレには『アメリカン』の軽快な酸味が抜群に合いますわ!」


「いや、フレンチトーストの甘みを挟むなら『イタリアン』だ!」


「採点! 発案者の一益殿は規定通り十点。信長様二十五点、長秀九点、秀吉八点……」


長秀が手帳に書き留めながら、呆れたように横を向いた。


「……なお、柴田勝家殿。貴方はなぜ一品目から迷わず【十点満点】をつけているのですか」


「愚問ッ!!」


勝家は腕を組み、仁王立ちで胸板を叩いた。


「基を正せばすべて信長社長のスケッチブックから生まれた至高のアイデア! 某が減点などできるはずがなかろう! 全品、全力で十点満点に決まっておるッ!!」


「採点の意味がねえッスよ勝家さん……!」


利家が額を押さえて呻く。


「……勝家殿の十点を加え、オニオンピューレは合計八十二点!」


「次だ次ィッ! 第二号、秀吉の『ビーツとリンゴの鮮紅加圧ソース』を投入しろッ!」


「光秀、珈琲五種おかわりだ!」


「早くしろ!」


「また胃が痛んできた……豆を三粒減らす……ッ!」


カチリ、ドォォォンッ!!


「ビーツの鮮やかな赤がフレンチトーストに映えるッスね! 女性受け抜群ッス!」


「だが山男の胃袋には少々甘ったるい! 成政六点!」


「発案者の秀吉殿は規定の十点、勝家殿は当然の十点、信長様二十二点……合計七十四点!」


「第三号! 成政の『九条ネギと山葵の極圧グリーンソース』!」


「珈琲五種、早くゥッ!」


「ひぃぃぃっ、エイリアンの苦味に負けないようにネギを潰せぇぇぇッ!!」


カチリ、ドォォォンッ!!


「ぬおおおおッ! 山葵の鮮烈な刺激が、豚の脂を一刀両断する! この吹き抜ける爽快感、まさに北アルプスの稜線ッ!!」


「成政殿十点、勝家殿十点! 信長様二十八点、合計八十八点!」


四品目、利家の『焼きパプリカと八丁味噌の濃厚ディップ』。


名古屋の意地が炸裂する圧倒的なコクに、発案者利家の十点と勝家の十点、さらに信長が三十点満点を叩き出し、合計九十一点で暫定トップへ躍り出る。


五品目、六品目、七品目――。


「珈琲五種、追加だ!」


「またかァァァッ!」


角煮を食い、珈琲を煽り、点数を叫び合う狂乱のフロア。


八品目、九品目――。


「次の五種、早く持ってこい!」


「まだあるのかァァァッ!!」


次々と平蜘蛛へ食材が放り込まれ、採点シートの枠が着実に埋め尽くされていく。


その傍らで、明智光秀はもはや人間としての輪郭を失いかけていた。


平蜘蛛の前に正座したまま、虚ろな目で宙を見つめ、青黒いオーラを煙突のように立ち昇らせている。


(……痛い。胃が痛い。もう何杯珈琲を淹れたかもわからない……。私は喫茶店の店長のはずなのに……なぜ休日に圧力鍋と一体化しているんだ……? 成果給……? 金など一銭も要らないから……布団で寝かせてくれ……)


だが、その極限の虚無と絶望こそが、平蜘蛛にとっては最高純度のプレミアム燃料であった。


光秀の指先は、無意識のうちに完璧なミリグラム単位で豆を量り、平蜘蛛の微細な金属疲労の音を聞き分けてバルブを神技のように操っていた。


哀愁調律の精度は、皮肉にも回数を重ねるごとに研ぎ澄まされていく。


そして、試作はついに最後の十品目へと突入した。


「ラストだァッ! 第十号――光秀発案、『完熟トマトと和出汁の超高圧さっぱりジュレ』ッ!!」


成政がトマトと昆布出汁、角煮を平蜘蛛へ放り込む。


光秀は白目を剥いたまま、最後の力を振り絞って平蜘蛛に手を添えた。


(……早く終われ……。一瞬で圧力をかけて……すべてを無に帰してやる……ッ!!)


『ギチチチチチッ――シュドォォォォォンッ!!』


光秀の「早く帰りたい」という究極の哀愁が平蜘蛛に突き刺さり、わずか数秒で超高圧加圧が完了。


皿の上に盛り付けられたのは、透き通るような真紅のジュレをまとった、芸術的な豚の角煮であった。


「……む」


信長が箸を伸ばし、一口含む。


その瞬間、信長の瞳が見開かれた。 秀吉も、成政も、長秀も、一口食べた瞬間に動きを止めた。


「な……なんだこれは……!?」


勝家が丸太のような腕を震わせた。


「トマトの尖った酸味が、昆布出汁の深い旨味によって完全に丸められている……! 濃厚な角煮の脂をさっぱりと包み込み、フレンチトーストの甘みを何一つ邪魔せんッ!」


「それだけではないぞ……」


信長が『イタリアン』と『ネオ』の珈琲を交互に口に含み、震える声で呻いた。


「珈琲の苦味を舌に乗せた瞬間、トマトのグルタミン酸が出汁と混ざり合って、口の中で爆発的なコクへと進化しやがる……! 珈琲の五種すべてに合わせても、味の芯がまったく崩れん……! どの珈琲にも合わせられるのではない。どの珈琲を合わせようと、トマトと和出汁の芯が微動だに揺らがんのだッ!!」


光秀がただ「一番早く終わらせたい」という一心で素材の水分と出汁をぶち込んだ保身の極致。


それが、如庵仕込みの神域の哀愁調律によって、奇跡の黄金比へと昇華されていたのだ。


「……採点結果が出ました」


長秀が電卓の集計画面をバシッと叩き、静まり返るフロアへ告げた。


「信長様――三十点満点! 長秀十点、秀吉十点、成政十点、一益十点、利家十点、勝家十点! そして、発案者規定による光秀自身の十点を加え……合計、百点満点です!!」


「「「うおおおおおおおおッッ!! 百点出たァァァァァッ!!」」」


店内に割れんばかりの歓声が爆発した。


「ガハハハハハ! 満点だ! 文句なしの第一位採用だぞ光秀ェッ!!」


信長が机を叩いて大絶賛し、秀吉が「店長すげえですわ!」と肩を揺さぶる。


長秀が淡々とペンを走らせた。


「これにより、上位五品が決定いたしました。 一位:完熟トマトと和出汁の超高圧さっぱりジュレ(百点) 二位:焼きパプリカと八丁味噌の濃厚ディップ(九十一点) 三位:九条ネギと山葵の極圧グリーンソース(八十八点) 四位:完熟香味野菜の超高圧オニオンピューレ(八十二点) 五位:ビーツとリンゴの鮮紅加圧ソース(七十四点)。 ――以上五品を、本能寺モーニングの正式な『五大ソース』として採用いたします」


「よしッ! 決まったな!」


信長が満足げに腕を組み、仁王立ちになった。


「採用された光秀、利家、成政、一益、秀吉には約束通り特大の社長賞を出す! そして光秀ッ、お前には百点満点の功績と――五十回の珈琲抽出に十品の料理試作! 合計六十回の加圧を完璧にこなした莫大な成果給を上乗せしてやるからなァッ!!」


「……え?」


床に突っ伏していた光秀が、ピクッと震えて顔を上げた。


「ご、五十回じゃ……なくて……?」


「当たり前だろうが! 珈琲五十回に料理が十品だぞ!」


信長が満面の笑みで親指を立てた。


「合計六十連発だァッ!!」


札束と社長賞の栄冠。


しかし、光秀の意識はスーッと遠のき、白目を剥いて完全に倒れ伏した。


「……ろ……六十回……。私の哀しみが……六十回も吸われた……」


魂の抜け殻となった店長を床に残し、厨房の奥では黒光りする『超高耐久仕様・平蜘蛛』が、六十回の激闘を終えて満足げにカチリと音を立てていた。


かくして、血と汗と哀愁の果てに、本能寺の新たな看板となる「至高のモーニング・五大ソース」が堂々の完成を迎えたのである。





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