第58話「清洲会議と脳筋の猛進」
第58話「清洲会議と脳筋の猛進」
【東暦一五七三年 八月下旬・非営業日の喫茶厨房本能寺】
感情エネルギー設備の定期点検のため、表のシャッターが完全に下ろされた店内。
普段なら仕込みや大掃除の雑音が響くはずのフロアの中央に、長机がロの字型に連結され、異様な緊張感が張り詰めていた。
中央の上座には腕組みをして不敵に笑う織田信長。
その脇には、几帳面に眼鏡の位置を正す丹羽長秀。
そして机を囲むように、明智光秀、羽柴秀吉、佐々成政、滝川一益、前田利家、そしてホール担当の巨漢・柴田勝家が顔を揃えていた。
長机の真ん中には、信長が描き殴ったあの特大スケッチブックが鎮座している。
表紙に躍る文字は『平蜘蛛・超高圧新メニュー極意録』。
「……定刻となりました」
長秀が静かに手帳を開き、電卓を脇に置いた。
「これより、究極モーニング・ワンセットにおける豚角煮の超高圧野菜ソース選抜評定――通称『清洲会議』を開会いたします」
「おうッ!」
信長が机をドンと叩き、ギラギラとした瞳で一同を見渡した。
「昨夜決めた通り、俺のスケッチブックにある四十八のアイデアから、まずは精鋭十品を厳選する! そしてそれを平蜘蛛で一気に試作し、最終的に五大ソースを決定するぞ! 採用された者には、今日のボーナスに加えて俺から特大の社長賞を出すからな!」
「「「おおおおおッ!!」」」
利家や秀吉が拳を握りしめ、やる気をみなぎらせる。
だが、その熱気の中でただ一人、目の下に濃い隈を作った店長・明智光秀だけが青ざめた顔で手を合わせた。
(頼む……! 頼むからすんなり十品に決まってくれ……! ここで揉めて試作が増えたら、私の胃袋と哀愁が物理的に消滅してしまう……ッ!)
長秀が手元の資料を配りながら、淡々と本題に入った。
「本日の目的は、四十八のベース案から、珈琲五種とフレンチトーストに調和する十品を合理的に選び抜くこと。まずは不要なものを削ぎ落とし――」
「――異議ありッ!!」
ズドォォォォンッ!! 店内の床が激しく揺れ、長机の上の水差しが跳ね上がった。
立ち上がったのは、仕立てのいいシャツの胸元がはち切れんばかりに筋肉を盛り上がらせた男――柴田勝家であった。
「し、柴田殿……!? いきなり大声を出して何ですか!?」
光秀が耳を押さえて飛び上がる。
勝家は光秀など目にも留めず、信長に向かって直立不動の姿勢を取り、腹の底からの超重低音を響かせた。
「社長ッ!! 某、先ほどから黙って聞いておれば、皆の者があまりにも姑息で軟弱な守りの姿勢に入っていることに怒りを禁じ得ませんッ!!」
「ぬ? 軟弱だと?」
信長が面白そうに眉を跳ね上げる。
秀吉と光秀の背筋に、冷たい悪寒がサッと走った。
「然りッ! 『オペレーションがパンクする』だの『仕込みが追いつかない』だの、現場の都合など知ったことかッ!!」
勝家は仁王立ちになり、丸太のような腕で胸板をドカドカと叩いた。
「信長社長が滾る情熱で生み出された四十八品! そのどれもが天下一品の至高の味であるはず! なぜそれを十品だの五品だのとケチくさく削らねばならんのですかッ!!」
「お、おい勝家……!?」
利家が青ざめて止めようとするが、体育会系パワー全開の勝家は止まらない。
「全部ですッ! 四十八種類、全部作って全部お客様にお出しすれば良いのですッ!!」
「ぎゃあああああッ!?」
光秀が頭を抱えて椅子から転がり落ちた。
「四十八品あれば、お客様は毎日来ても一か月半は違う味を楽しめる! 迷う時間こそが至福! 喜ばぬ客などおりませんッ! オペレーションが足りぬなら走ればいい! 睡眠時間を削って気合と根性で仕込めば全て解決いたしますッ!!」
勝家は熱血の涙を流しながら信長へ拳を突き出した。
「社長のご命令は絶対! 上が右と言えば右へ突撃するのが真の男! 某は社長の四十八品すべてを全力で支持いたしますッッ!!」
「……」
信長がゆっくりと腕を組み、ニヤリと口角を吊り上げた。
その瞳に、料理狂としての最も危険な炎がメラメラと再燃していく。
「……やはり、そう思うか、勝家」
「ハッ! 愚問にございますッ!!」
「うむ……! 確かにそうだ! 客に妥協した選択肢を押し付けるなど、天下の織田信長のやることではない! やはり四十八品すべてを試作し、全種類メニュー化するのが――」
「ちょーーーーーっと待ったァァァァァッッ!!!」
その瞬間、目にも留まらぬスライディングで信長と勝家の間に割って入ったのは、羽柴秀吉であった! 秀吉は必死の形相で両手を広げ、勝家の巨体を遮るように立ちはだかった。
(アカン……! 勝家殿の無条件YESマン体質が、一番触れたらアカン社長の狂気スイッチを押しよった……ッ! ここで押し切られたら、全員過労死からの店舗三度目の炎上コース確定や……!!)
秀吉は脳細胞を音速でフル回転させた。
勝家の進言に頭ごなしに「無理です」「できません」と否定すれば、信長は意地になって四十八品を強行する。
ならば、相手の顔を立てたまま、別の道へ誘導するしかない。
秀吉は満面の笑みを浮かべ、勝家の勢いをそのまま利用することにした。
「勝家殿ッ! 素晴らしいッ! まさに忠義の鑑、本能寺の切り込み隊長ですわッ!!」
「む……? 羽柴、貴様……」
勝家が面食らう中、秀吉はくるりと信長に向き直り、満面の笑みで揉み手をしながら畳み掛けた。
「社長! 勝家殿の仰る通り、社長の考えた四十八品はどれも神がかりのアイデアです! 削るなんて勿体なさすぎますわ!」
「おお、秀吉! 貴様もそう思うか!」
信長が気を良くした瞬間、秀吉はスッと真剣な顔を作り、声を一段落とした。
「……ですが社長。もし今ここで、四十八品を一気に全部メニュー化してしまったら――どうなります?」
「どうなる、だと?」
「はい。お客様は『あ、いつでも四十八種類あるんだな』と安心してしまいます。……つまり、一度の来店で満足し、次に来る理由の『飢餓感』が薄れてしまうのです!」
「……ほう?」
信長の目がピクッと動いた。
秀吉は手振りを交えて熱弁を振るう。
「商売の極意は、天下人を焦らすが如き『限定感』! まずは厳選された【五大ソース】として堂々たる本能寺の『常時レギュラー軍』を確立するのです! そして……残りの四十三品はボツにするのではなく、季節限定、月替わり、あるいは雨の日限定の『隠し秘蔵メニュー』として小出しにしていくのですわッ!」
「な……なにィ!?」
信長が身を乗り出す。
秀吉はニヤリと不敵に笑ってみせた。
「『あの幻の四十八品のうち、今月しか味わえない限定ソース!』……どうです社長? この方が、お客様は何十回も、何百回も本能寺へ通わざるを得なくなります! 客の胃袋を永久に支配する、真の『天下不武』のマーケティングですわッ!!」
「ぬ……ぐぐぐ……ッ!」
信長は腕を組み、激しく唸った。
四十八品を捨てるのではない。
すべてを活かし、客を永遠にリピートさせるための布石。
料理人のエゴと商売のスケール感が、見事に調和した秀吉のプレゼンに、信長の心がグラリと揺れ動く。
その隙を、厨房の職人たちが見逃すはずがなかった。
「……信長社長、私も秀吉殿の戦略を支持します!」
成政がすかさず長机に両手をついた。
「四十八の峰を一度に攻めるのは無謀な乱登山! まずは五つの主峰を『本能寺五岳』として確立し、残りの山々は季節ごとの縦走ルートとして登らせるべきです! その方が、食材の仕入れも旬に合わせて極限まで安く、高品質に調達できます!」
「ホールの動線、メニュー表のレイアウト、オペレーションの回転速度……」
一益も淡々とストップウォッチを滑らせ、資料を提示した。
「五大レギュラー+限定枠の運用こそが、客席稼働率を最大化する最短ルートです」
さらに、後方から冷徹な帳簿の音が追い討ちをかける。 パチパチパチ……ッ。 長秀が電卓を叩き、静かに顔を上げた。
「秀吉殿の提案通りに限定メニューとして段階的に展開した場合、通年の再来店も見込めます。四十八品の一斉投入による廃棄ロスと人件費の高騰を考慮すれば、利益面でも大きな差がつくでしょう。少なくとも年間で米三十俵分以上の増益は見込めます」
「米三十俵以上の増益……!」
信長がゴクリと唾を呑み込んだ。
現場の全方位からのロジック、そして秀吉の鮮やかな誘導。
信長は腕を組み、天を仰ぐと、カッと目を見開いて豪快に笑い飛ばした。
「ガハハハハハ! 面白いッ! 貴様ら、いつの間にそこまで知恵を回すようになったか!」
信長はスケッチブックをバシッと叩いた。
「良いだろう! 四十八品を一気に並べるのは野暮というもの! まずは本能寺の看板たる【五大ソース】を決定する! そのために、このスケッチブックから比較検証用の十品を今ここで選別するぞッ!!」
「「「おおおおおッ!!」」」
フロアに歓声が響き渡った。
光秀は胸を押さえ、その場にへたり込んで涙を流した。
(た、助かった……! 秀吉殿……貴方は本物の救世主だ……! 四十八連発の即死コースだけは完全に回避された……ッ!)
「……ふむ。では勝家殿、貴方も異論はありませんね?」
長秀が眼鏡の奥から冷ややかに問うと、勝家は腕を組み、深々と頷いた。
「うむッ! 社長がそうと決めたならば、某に異存などあろうはずもない! 五大ソース、死ぬ気でお客様へ売り込んでみせましょうッ!!」
「最初からそうしてくれよ……!」
利家が額を押さえてボヤいた。
「よし、では選定に入るぞ!」
信長がスケッチブックを開いた。
「五種類の珈琲、そしてフレンチトーストに調和する角煮のソースだ! 秀吉、お前ならどれを選ぶ!」
「はいッ! ホールからの推薦として、まずはこれですわ!」
秀吉が指差したのは、スケッチブックの序盤に描かれた鮮やかな赤色のページだった。
「『ビーツとリンゴの鮮紅加圧ソース』! フレンチトーストの横に置いた時の写真映えが抜群! 女性やお子様も絶対に頼みたくなる華やかさです!」
「ふむ、見た目の引きは重要だな。採用候補一!」
「ならば厨房からは、登頂の足場となるこの一品を推す!」
成政が身を乗り出した。 「『九条ネギと山葵の極圧グリーンソース』! 豚肉の脂を爽やかに切り裂く清涼感! 深煎りのメキシカンやエイリアンの苦味にも絶対に負けません!」
「脂を切る薬味の力か、悪くない! 採用候補二!」
「時間効率と原価安定の観点から、こちらを推します」
一益が素早く指を差す。
「『完熟香味野菜の超高圧オニオンピューレ』。
玉ねぎの甘みを極限凝縮させた王道の洋風だれ。
アメリカンからイタリアンまで幅広く受け止めます」
「王道だな、採用候補三!」
「俺はこれッスよ!」
利家がド派手に身を乗り出す。
「『焼きパプリカと八丁味噌の濃厚ディップ』! 地元名古屋の親父どもが泣いて喜ぶガツンとした味ッス!」
「味噌のコクは俺の得意分野だ! 採用候補四!」
次々とスタッフたちのアイデアとスケッチブックの原案が融合し、十品の枠が埋まっていく。
『大根と柚子の超高圧おろしだれ』
『人参と生姜のすりおろし加圧ジュレ』
『黒酢と根菜の超高圧中華ソース』
『南瓜と豆乳のポタージュソース』
『焦がし牛蒡のたまり醤油だれ』――。
「……よし、これで九品だな」
信長が顎を撫でながら、最後の空欄を見つめた。
「あと一品……最後の一枠はどうする、光秀?」
「えっ、私ですか!?」
突然話を振られ、光秀がビクッと肩を跳ね上がらせた。
頭を抱え、必死に思考を巡らせる光秀。
(ここで変に凝ったものを提案したら、加圧時間が伸びて私の胃が死ぬ……! なるべく工程がシンプルで、素材の水分だけでサラッと圧がかかるものは……!?)
「あ、あの……! 『完熟トマトと和出汁の超高圧さっぱりジュレ』など、いかがでしょうか……! トマトの酸味を昆布出汁で丸め、平蜘蛛で一瞬だけ加圧すれば、フレンチトーストの邪魔をせず、一番早く仕上がります……!」
「ほう……! トマトと和出汁だと? 珈琲の酸味と喧嘩させず、出汁で丸く包み込むか……! 面白い、採用候補十だッ!!」
カチリ、と長秀のペンが止まった。
「これにて、清洲会議による事前選別は完了。比較検証用の精鋭十品が決定いたしました」
机の上に並んだ十枚の選抜シート。
秀吉の機転、勝家の猪突猛進、成政と一益の実務眼、そして光秀の保身から生まれた、十の精鋭候補。
信長は爛々と目を輝かせ、立ち上がると、厨房の奥を親指で指し示した。
そこには、黒光りする『超高耐久仕様・平蜘蛛』が、口を開けて待ち構えている。
「会議は終わった! ここからは実戦だッ!」
信長が豪快に腕まくりをした。
「成政、豚バラを放り込め! 一益、十種類の野菜と調味料を順にセットしろ! そして光秀ッ!!」
「ひ、ひぃぃぃっ!?」
信長は凶悪な笑みを浮かべ、平蜘蛛の前の丸椅子をバンッと叩いた。
「お前が如庵で身につけた『哀愁調律』の真価を見せる時が来たぞ! 今日の胃痛と絶望の波を完璧に読み切り、十品すべてを最適圧で加圧しろ! この十品を全員で食い尽くして五大ソースを炙り出し、採用された奴には社長賞を叩き込んでやるぞォッ!!」
「やっぱり試作は十連発なんですねェェェェッ!!」
光秀の魂を削るような絶叫が、非営業日の店内に木霊した。
本能寺の命運を分ける五大ソースの誕生へ向け、哀愁と超高圧が激突する――「怒涛の十連加圧試作」の火蓋が、いま切って落とされた。




