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喫茶厨房本能寺 ―織田信長、感情のままに喫茶店を運営中―  作者: 本能寺
第六章 エピローグ、本能寺の日常三度(みたび)

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第54話「迷走のテラス席と究極の朝餉」


第54話「迷走のテラス席と究極の朝餉」



【東暦一五七三年 七月中旬・喫茶厨房本能寺 朝】


前回の会議で決定された「本能寺要塞化計画」――その前段として、店舗周辺の月極駐車場を金の力で緊急確保した青空テラス席が本格稼働を始めていた。


青空の下に整然と並べられたパラソルとテーブル席。


梅雨も明け、からりと晴れ渡った青空の下では、確かに長蛇の列は敷地内へと収まり、歩道に溢れ返っていた行列問題は一見解決したかに思われた。


――否、「行列問題に限っては」である。


「すいませーん! こっちの席、アイスコーヒー頼んだのにホットのカフェオレが来てるんですけど!」


「おい兄ちゃん! 三十分前に頼んだ特製ホットサンドがまだ来ねえぞ! 隣の席にはもう鉄板ナポリタンが届いてるじゃねえか!」


「伝票の番号! 駐車場側の四十番テーブルと、店舗前の十四番テーブルがごっちゃになってるっスよォォォッ!!」


炎天下の駐車場と店舗の間を、前田利家と柴田勝家が汗だくになって疾走していた。 客席数が爆発的に増えたうえ、店内席とテラス席で番号の管理が統一されていない。さらに厨房からの配膳距離も伸びたことで、オーダーの取り違えと配膳ミスが多発していた。


「申し訳ございません! すぐにお取替えいたします!」


「すぐお持ちしますので少々お待ちをォォッ!」と、ホールスタッフの疲弊はすでに限界突破の領域に達していた。


そして、そのしわ寄せを一身に受けていたのが――。


「……ま、誠に申し訳ございません……! すぐに伝票を再確認し、正規のモーニングセットをお持ちいたしますので……! どうか……どうかご容赦をぉぉ……!」


レジ前で深々と頭を下げ、怒り狂う客たちのクレーム処理に追われる店長・明智光秀であった。 先の信用取引の大暴落で貯金を吹き飛ばし、手元に四百二十円しか残っていない男の心身は、この数日間の連鎖クレームによってすでに完全に擦り減り、肌は土気色を通り越し、白蝋のように青白くなっていた。


モーニングの営業がようやく一段落し、午後の仕込みと会議のためシャッターを半分下ろした客席フロア。 光秀は椅子に座る気力すらなく、レジ下の床に這いつくばっていた。 そんな光秀の頭上へ、規則正しい靴音が近づいてくる。


「……信長様。やはり、物理的に客の数が多すぎます」


書類を手にした丹羽長秀が、眼鏡の位置を正しながら信長へ告げた。 カウンターのパイプ椅子で『缶コーヒー有楽斎』を呷っていた信長が、不機嫌そうに眉を寄せる。


「ぬ? なんだ長秀」


「テラス席の増設により収容能力は上がりましたが、オペレーションの混乱とホールの疲弊が限界です。価格を引き上げ、来店客数を適正な水準に抑えることで、混雑緩和と利益率の改善を両立させるのです。具体的には、セット価格を二千円から三千円台へ引き上げる『高単価路線』への移行を提案いたします」


床で這いつくばっていた光秀の耳がピクリと跳ねた。


(こ、高単価路線……! 客が減ってくれるなら、これ以上の救いはない……!)


光秀が救いを求めるように顔を上げた瞬間――信長の一喝が轟いた。


「却下だッ!」


「……信長様?」


「当たり前だたわけが! せっかく『本能寺オーブン』と『平蜘蛛』が戻ってきたのだぞッ!?」


信長は空き缶を机に叩きつけ、熾火の瞳をギラギラと燃え上がらせた。


「俺がずっと試したかった料理、客どもに食わせたいと滾っていた新たな火と圧の美味が、今まさに形になろうとしておるのだ! それを何だ、値段を釣り上げて客を減らすだと!? 腹を空かせてやってくる大勢の客に、俺の極上の一皿を次々と叩き込んで唸らせてこそ料理人だろうが! 客数を減らすような高単価路線など、絶対に認めんッ!!」


料理狂・織田信長にとって、感情エネルギー設備の復活は「至高の料理をより多くの人間に喰らわせるためのチケット」に他ならなかった。


客を減らすなど論外中の論外。


「くっ……」


長秀は小さく息を呑むと、即座に次の策を繰り出した。


「ならば、提供の手数を減らすために『メニュー数』を大幅に削りましょう。トースト、ナポリタン、和食モーニングと多岐にわたる選択肢を半分以下に絞り、厨房の負荷を物理的に軽減するのです」


「それも却下だッ!!」


信長は間髪を入れずに怒鳴り散らした。


「削るだと!? 冗談を言うな! 戻ってきたオーブンで焼き上げる各種パン、平蜘蛛の超高圧で煮込む具材、俺が試したい料理なんぞ山ほどあるわッ! 朝の選択肢を奪うなど、料理人の敗北以外の何物でもないわッ!!」


高単価化もダメ、メニューの削減もダメ。 信長の底なしの料理欲と頑固さが、現場の逃げ道をことごとく塞いでいく。 このままでは、明日も明後日もテラス席を巻き込んだ怒号のモーニングラッシュが続き、クレームの嵐で自分の命が尽きてしまう――!


(……やるしかない。この暴君の操縦桿を握り、無理矢理にでも舵を切らせる……!!)


床に這いつくばっていた光秀が、最後の生命力を振り絞ってゆらりと立ち上がった。 青白い顔に必死の笑みを張り付け、光秀はよろめきながら信長の目の前へ進み出ると、芝居がかった静かな声で語り始めた。


「……社長。お言葉ですが、私は社長ほどの料理人が、これほどまでに視野を狭めておられることが残念でなりません」


「ああん? 何だと光秀」


「試したい料理が山ほどある……それは結構です。ですが社長、トーストだのナポリタンだのと散漫に選択肢を並べ立てることの、一体どこに『天下の織田信長』の器があるというのですか?」


光秀は言葉巧みに、信長の料理狂としてのプライドを刺激する罠を張り巡らせていく。


「真の料理の高みとは、あれこれと迷わせることではありません。客が席に着いた瞬間、問答無用でその舌を平伏させ、一撃で魂を奪い去る……他の追随を許さぬ『至高の一撃』を叩きつけることではないのですか!? 散漫な多品種展開など、ただの町の喫茶店のやることです! 今の本能寺に必要なのは……喜怒哀楽の全設備の力をただ一点に集約させた、本能寺の『究極のモーニング・ワンセット』を作り上げることですッ!!」


「究極の……モーニング・ワンセットだと……!?」


信長の瞳が、カッと見開かれた。 「多品種のメニュー」を「雑音」と言い換え、「メニュー数を絞る合理化」を「至高の極限進化」という料理狂への挑戦状へと見事にすり替えたのだ。


「……四つの設備の力を、ただ一つのセットに結集させる……だと?」


信長はごくりと唾を呑み込み、瞳の奥に狂気の炎を宿らせた。


「一つの膳のために、四つの力を一切の無駄なく使い切る……。それならば、今まで誰も味わったことのない朝餉が作れるかもしれん! 面白い……! カレーだのナポリタンだのと迷わせる暇すら与えず、俺が朝から叩きつける究極の一式で、客どもの胃袋を黙らせてひれ伏せさせるというわけか……! よし光秀、その話乗ったぞッ! モーニングのメニューは、その『究極のワンセット』ただ一つに絞り込むッ!!」


(き、決まった……! 誘導成功……ッ!!)


光秀は心の中で涙を流しながら激しく拳を握りしめた。 メニューがたった一つになれば、伝票の取り違えも配膳ミスも大幅に減る。仕込みも調理も一本化され、地獄のような業務負担は劇的に緩和されるはずだ。


勢いに乗った光秀は、さらに欲を出した。


(よし……! ここで信長が乗っているうちに、長秀殿の提案した高単価路線へ持ち込めば……客数そのものも適正に減り、私の激務は完全に消滅する……!)


光秀はすかさず、甘言を弄して信長へ畳みかけた。


「社長! さすがは我が主君、見事なご英断です! そして……その全人類をひれ伏せさせる『究極のモーニング』ともなれば、当然ながら安売りなどしてはなりません! 丹羽殿の言う通り、一セット二千円……いえ、三千円以上の高単価で堂々と世に問うべきです!究極の料理には、それに相応しい格式というものが――」


「たわけがッ!!」


ドォォォンッ! と信長がカウンターを拳で殴りつけた。


「ひゃいっ!?」


飛び上がる光秀を、信長は鋭い眼光で睨みつけた。


「三千円だと? 貴様、まだそんな寝言をほざいておるのか! 本能寺の究極のモーニングなのだろうが!? ここは一宮市の目と鼻の先だぞ! ドリンク代と同額で当たり前に豪華なモーニングが付いてくるこの土地で、朝から数千円も取って美味いなど当たり前だろうがッ! 周辺の喫茶店と同じ土俵、珈琲一杯の値段で当たり前に付いてくるモーニングの枠で勝負して勝ててこそ、初めてそれが『究極の一膳』であることの証明になるのではないかッ!!」


「え……?」


光秀の思考が停止する。


「高級ホテル気取りのボッタクリ価格で逃げるなんぞ、料理人の敗北よ! いつもの珈琲代に少し足すか足さないかという日常の枠に、俺の研ぎ澄ました至高の朝餉を容赦なく叩き込み、他のすべてのモーニングを過去の遺物へと叩き潰す! 一宮のモーニング文化のど真ん中で、桁違いの神域の味を喰らわせるからこそ、俺たちの完全勝利と言えるのだッ!!」


信長は豪快に笑い飛ばすと、厨房へ向かって怒号を響かせた。


「おい成政、一益! 仕込みに入るぞ! メニューは一つ、だが今まで通りの価格だ! 尾張中の客どもをこの究極のワンセットで一人残らず薙ぎ倒してやるわァッ!!」


「ハッ、了解いたしました!」


「ちょ……ちょっと待ってください社長ォォォッ!?」


光秀の絶叫が、再び店内にこだました。


メニューをたった一つに絞り、四つの設備の力を限界まで注ぎ込む――究極のモーニング開発計画。 それを――今まで通りの超破格で提供するだと……!?


(そんなものを出したら……客が減るどころか、尾張中……いや、全国から客が雪崩を打って押し寄せて、テラス席どころか清須市ごと大爆発してしまうじゃないですかァァァッ!!)


光秀の小賢しい誘導は、メニュー削減という点では成功したものの、信長の底知れぬ料理人魂によって、さらなる大狂乱の未来を確定させてしまったのであった。



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