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喫茶厨房本能寺 ―織田信長、感情のままに喫茶店を運営中―  作者: 本能寺
第六章 エピローグ、本能寺の日常三度(みたび)

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第53話「巨城改築と逃亡の2号店」


第53話「巨城改築と逃亡の2号店」


【東暦一五七三年 七月上旬・喫茶厨房本能寺 早朝ミーティング】


『本能寺オーブン』と『平蜘蛛』が厨房へ電撃復帰を果たしてから数日。


開店前の静まり返る客席フロアでは、信長、光秀、長秀、そして厨房スタッフたちが集まり、緊急の作戦会議が開かれていた。


ホワイトボードの前に立つ丹羽長秀が、几帳面にまとめられた売上日報と混雑グラフの突出した数値を指示棒で示した。


「……信長様、直ちに対策を打つべき問題が生じております」


「ぬ? なんだ長秀」


カウンター席のパイプ椅子にふんぞり返り、朝から『缶コーヒー有楽斎』を飲む信長が片目を細めた。


「二大設備の再稼働により、調理効率は大幅に向上し、料理の旨さも桁違いになりましたしかし――それを目当てに押し寄せる客の数が、本能寺の受け入れ能力を遥かに上回っております。 現在、モーニングのピーク時における平均待ち時間は一時間を突破。外の歩道にまで長蛇の列が伸び、近隣から苦情が寄せられるうえ、待ちきれずに入店を諦めるお客様も相次いでおります」


「ちっ……並べば極上の飯が食えるというのに、待てんとは気の短い奴らめ」


「調理場の動線にも、客席数にも、これ以上の余裕はありません」


長秀の厳しい指摘に、その場にいた一同は重い沈黙に包まれる


その時――会議の輪から少し離れたパントリーの物陰で、明智光秀がスッと手を挙げた。


先の株式投資の大暴落で追証に追われ、手元資金どころか、コツコツ積み立ててきた『六資産バランスファンド』まで売却せざるを得なくなり、今や財布の中身はわずか四百二十円。


そんな極限の懐事情の中、連日の怒涛の過密労働と待ちきれない客たちの不満に揉まれていた光秀の脳裏に、先ほど電撃のような閃きが走っていたのだ。


(……待てよ? そもそも、なぜ私は自分のお金で逃避行をしようとしていたんだ……?)


目から鱗が落ちるような衝撃。


自分が遠く南の島へ高飛びするための旅費など、なけなしの個人資産から捻出する必要など最初からなかったのだ。


本能寺の資金で、どこか遠方の平和な土地に2号店を構える。そして自分は「新規店舗立ち上げ責任者」として赴任するのだ。


(これなら会社の経費で、合法的にこの狂気の清須本店から脱出できる……!)


さらに、2号店に客が分散すれば、本店に押し寄せる客の待ち時間問題も自然と解消されるはずだ。


(完璧だ……! これぞ我が人生を救う乾坤一擲の妙手……!!)


光秀は必死にほくそ笑む口元を引き締め、咳払いを一つして信長へ向き直った。


「し、社長! 丹羽殿の言う通り、現在の待ち時間は危機的状況です。そこで、この問題を解決する真の妙案が、私にございます!」


「ああん? なんだ光秀、申してみろ」


「はい! 現在の待ち時間を生んでいる大きな要因は、本店一箇所にすべての需要が集中していることです。でしたら――離れた場所に『2号店』を出店いたしましょう! 2号店にお客様が流れれば、分散効果によって本店の待ち時間問題は一気に解決いたします!」


光秀の堂々たる提案に、厨房スタッフたちがざわめいた。


だが、腕組みをして聞いていた成政が、眉をひそめて難色を示す。


「待て店長。2号店を出すと言っても、うちの爆発的な回転率と料理の旨さを支えているのは、あの『本能寺オーブン』と『平蜘蛛』だぞ。あんな常識外れの危険設備、社長以外に誰が扱えるって言うんだ? 属人度MAXの設備を二店舗に増やすなんて、登山で言えば、酸素ボンベなしで二つの雪山を同時に登るような無茶だ」


「成政の言う通りッスよ」


利家も腕を組みながら首を振る。


「社長が一人しかいねえのに、2号店で同じ料理が出せるわけねえっス。現場が爆発炎上して遭難するのがオチっスよ」


(しめしめ、かかったな……!)


光秀は内心でほくそ笑んだ。


そもそも光秀には、新店舗にあの忌まわしき殺人調理兵器を持ち込む気など微塵もない。そんな危険物を抱えていては、せっかくの逃避行が台無しである。


「お二人とも、ご安心ください!」


光秀はしたり顔で胸を張った。


「なにも2号店にまでオーブンや平蜘蛛を持ち込む必要はありません! 我が店には、見た目で客を喜ばせる『黄金茶室』と、素晴らしい香気を街中に放つ『楽市楽座』があるではありませんか! その二台さえあれば、十分に客を惹きつける看板になります!(同じ料理など出す必要はない。客寄せに使うのは最初だけで、赴任した後はどちらも物置に封印して、のんびり普通の純喫茶として営業するつもりだがね!)」


安全な設備だけを看板にして、自分は遠くで優雅に店長ライフを満喫する ――光秀の完璧な脱出シナリオ。


しかし、その目論見を打ち砕くように、冷静な声が響いた。


「明智店長。その計算には、見落としている問題があります」


長秀が眼鏡の位置を正し、冷たい視線を光秀へ向けた。


「……え? み、見落とし?」


「ええ。『楽市楽座』の香気拡散機構は、一度稼働すれば際限なく過熱暴走を繰り返す欠陥を抱えております。それを安全に制御するためには、向かいの本願寺カフェが誇る『感情電力変換ボイラー』による余剰エネルギーの強制冷却バイパスが絶対に不可欠なのです」


「あ……」


「つまり、楽市楽座を運用するには『道路の向かいに本願寺カフェが存在する』という極めて特殊な立地条件が必須となります。そんな都合の良い物件が、他所にあるはずがありません」


「う……」


「さらに言えば、黄金茶室単体ではただ光るだけの客席に過ぎません。調理設備が伴わなければ飲食店として成立しない以上、2号店の開業には別途、厨房設備と人員の確保が必要です」


長秀の指摘に反論の糸口を見出せず、光秀の脱出計画が揺らぎかけた。


だが、ここで引き下がるわけにはいかない。清須から合法的に脱出する唯一のチャンスなのだ。


光秀は額に青筋を浮かべ、必死の形相で食い下がった。


「ま、待ってください丹羽殿! 設備がなくても成立します!先の『本能寺の変』で清須全域を黄金に染めた一件は、今や全国に知れ渡っているのですよ!? 我が『喫茶厨房本能寺』のネームバリューは絶頂期です! 感情エネルギー設備などという危なっかしい兵器がなくとも、うちの看板を掲げて普通のトーストと珈琲を出すだけで、お客様は喜んで押し寄せてきます! 2号店は絶対に大成功するんですッ!!」


魂を削るような光秀の熱弁。


しかし――カウンターの奥から、低く鋭い声が光秀の言葉を真っ向から両断した。


「ならん」


「……え?」


見れば、パイプ椅子に腰掛けていた信長が、氷のように冷徹な眼光で光秀を射抜いていた。


「看板だけで客を釣って、中身はどこにでもある普通の飯を食わせるだと? ……光秀、それはもう『俺の皿』ではない」


「しゃ、社長……?」


「俺の名と本能寺の看板を背負う以上、出す一皿は誰にも真似できぬ極上でなければならん。設備がないからと妥協した料理でお茶を濁すなど、料理人の誇りをドブに捨てるような真似ができるか! そんな腑抜けた2号店など、この織田信長の名において絶対に認めんッ!!」


「そ、そんなぁ……!」


料理狂・織田信長の絶対的な矜持の前に、光秀の「看板だけ借りてのんびり純喫茶逃亡計画」は跡形もなく粉砕された。


絶望に打ちひしがれ、光秀が床に膝をつきかけた、その時だった。


長秀はしばし図面を見つめ、やがてカシャリと眼鏡のフレームを押し上げた。


「――ですが、明智店長の『2号店』という発想から、私も一つ、重要な解決策を閃きました」


「えっ?」


「2号店を出す目的は、要するに『お客様を受け入れる場所を増やすこと』。ならば、わざわざ遠方に店を構える必要はありません。この場所で、客席そのものを力づくで増やせばよいのです!」


長秀は持っていたバインダーから、一枚の巨大な図面を勢いよくホワイトボードに貼り出した。


「な、なんだそれは……!?」


愕然とする光秀をよそに、長秀は淡々と指示棒で図面を叩く。


「まずは手始めに、入りきらないお客様を即座に収容するため、店舗周辺の月極駐車場を金の力でまとめて借り上げ、青空テラス席として緊急拡張いたします」


「ほう! 外の空き地を客席にするか。悪くない」


信長が身を乗り出す。


「ですが、テラス席では雨天時に機能いたしません。ゆえに並行して、本能寺の二階部分を拡張して新客席を増設する大規模リノベーション工事を直ちに発注いたします。それでも将来的に足りぬとなれば、三階、四階と上へ伸ばしていけばよいのです」


淀みなく語られる長秀の増築プランに、信長は「ガハハ! 天守閣のように聳え立たせるか!」と豪快に笑った。


だが、長秀の閃きはそれだけに留まらなかった。


「さらに、もう一点。戻ってきた『本能寺オーブン』と『平蜘蛛』についてです。あの二台が放つ凄まじい駆動音と地獄の業火、そして噴き出す高圧蒸気に対し、一部のお客様から『恐ろしくて落ち着いて食事ができない』という切実な声が上がっております」


「なんだと? あれほど頼もしく美しい厨房機器の何が怖いのだ」


「一般人にとっては兵器そのものです。そこで、客の目から感情エネルギー設備を隠し、安全に稼働させるため――店舗の真下に『地下厨房』を新設いたします。調理場の動線も広げ、客席と厨房を同時に増強すれば、供給能力の問題も解決できるはずです!」


二階の拡張、三階への増築、そして地下厨房の新設――。


図面を指し示しながら淡々と語る長秀の言葉を聞いていた光秀は、青ざめた顔で思わず絶叫した。


「巨城でも建てる気かァァァッ!!」


光秀の悲鳴が店内に木霊する。


「ちょっと待ってください丹羽殿! 2号店がダメだからって、どうしてそうなるんですか!? 周辺の駐車場を借り上げるだけでも固定費が跳ね上がるのに、二階の増築!? 三階の構想!? その上、地下に秘密基地のような厨房を掘削するなんて、喫茶店がやる工事の規模を完全に越えてますよ! ここを安土城にでも改装するつもりですかッ!?」


「米の保管庫を地下に広げ、櫓を高く築くのは兵站の基本です」


長秀が眼鏡の奥の目を光らせて淡々と返す。


「それに明智店長。まずはテラス席と二階の拡張、地下厨房の工事費を試算しておりますが、現在の手持ち資金と婚礼特需の利益、そして連日押し寄せる客数を計算すれば、回収は十分に可能です。三階、四階は、その後の需要を見て判断すればよろしいかと」


「ガハハハハ! 素晴らしいぞ長秀!」


信長が豪快に膝を打った。


「外へ逃げるように店を分けるなんぞ、戦の負け犬のやることよ! 狭いなら広げろ! 入らぬなら高く築け! 俺の料理を食いたいという客が尾張中から押し寄せておるのだ、全員まとめて呑み込める巨城をここに聳え立たせれば済む話だッ!!」


「しゃ、社長ぉぉぉッ!?」


光秀の絶望の叫びが響き渡る。


「長秀! 直ちに月極駐車場を地権者から押さえろ! テラス席を組み上げ次第、二階客席の増築と地下厨房の掘削工事に着工だ! 設計士を呼べッ! まず地盤と基礎を徹底的に調べ上げろ!!」


「ハッ! 直ちに手配いたします!」


「待ってくださぁぁぁい! 2号店! 私の平和な2号店逃避行計画はどこへ行ったんですかァァッ!? 駐車場を借りて二階を建てて地下を掘るなんて、どれだけ借金……いや、どれだけ資金が必要だと思ってるんですかァァァッ!!」


会社の経費で優雅に逃避行するはずが、己が出した「客席を増やす」という発想を長秀に拾われ、結果として本能寺の「要塞化工事」を決定づけてしまった。


光秀の夢見た2号店計画は、こうして本店の大改築計画へと姿を変えたのであった。




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